アジアのダンス・アフリカのダンス

アジア・コンテンポラリー・ダンス・フェスティバル Bグループ  20011026 トリイホール

リン・サントスというオーストラリアの女性ダンサーの「Desert Country - A Body Record」でまず強く飛び込んできたのは、舞台上に固められた赤土、そして赤土で染められた布の、その赤の美しさだった。おそらくはオーストラリアの大地の、最も象徴的で代表的な物質、色として提示されたものなのだろう。それに囲まれた中で、動物のようにゆっくりと歩いたり、ピョンピョンと跳ねたり、動物の声を真似たりと、豊かな自然を彼女なりになぞることによって大地や自然との交感を実現しようというのだろう。

しかし、動きがやや単調に過ぎ、滑らかさや美しさを感じられなかったのが残念。文明の象徴である飛行機(だと思われたのだが)、また旗を持って旋回したのは民族の誇りを示すことだったのかと思うが、それらを通じておそらくはオーストラリアという島の、あるいはアボリジニーという民族の、自然と密着した歴史を描こうとしたのだろうが、ぼくとしては共感を抱くには至らなかった。

インドネシアのムギヨノという男性ダンサーの作品名「KABAR-KABUR」とは、プログラムによると「あいまいなニュース」「うわさ」という意味らしい。大げさで奇妙な足どりで歩いて来て、舞台中央の黒い壇に足をかけ、手を合わせたり片手で挨拶したり、儀式的な始まりであるのだが、やはり妙にコミカルなのが気になる。勢いをつけて敬礼をすると、直立のはずなのに斜めにゆがんでいて、足を掻いたり手を振ったりと、落ち着きがない。手だけが自分で動いていって両手の拳が喧嘩したかと思うと、指遊びのようになって、その指が伝統舞踊のような振りになる。

そんなふうに四肢、特に腕がそれ自身意志を持っているかのように動き続け、とうとうシャツの中に入ってしまう。ここからがこの作品の真骨頂であると思われるが、ダブダブの白いシャツを使って腕や膝や首が神出鬼没するのが、まず見た目に面白く、やがて徐々にシリアスな気分になってしまう。それにはムギヨノの哀愁を帯びた(というか、やや情けない)表情もあずかっていると思われるのだが、その存在自体が何かひじょうに大きなもの、たとえば社会とか国家とか、人間の本質に直結しているように見えてくるからだ。

もちろんプログラムの文章の影響も大きい。改めて全文を引き写してみよう……「言葉としての意味は、“あいまいなニュース”“うわさ”。ムギヨノは語る「ひとつの国は自分達の身体だ。様々な器官と末端がお互い、そしてそれぞれが特別な機能と役割を持っている。生き残るためにそれらは調和を持って働きつづけなければいけない。さもないと悲惨なことに病気になったり、死んだりする。」「KABAR-KABUR」は、現在のインドネシアの無秩序で不確かな社会、経済、政治的な状況に対する振付家の観察に基づいた探求である。ムギヨノにとって、今のインドネシアは多くのことが不均衡で不透明、そしてすべてがめちゃくちゃになっている。確認できないそして疑わしい多くの話と報道に囲まれる毎日。ニュースは、あいまいで、いいかげんで理解不可能。誤解が満ちているインドネシア……。

ダボダボのシャツから腕や足や膝がニョロっと出てくる様は本当におかしく、瞬間芸か手品みたいだ。観る者の意表を突きながら、何よりムギヨノ自身が驚きためらい、困っているようなのがいい。だから彼もぼくたちも、「何ものか」に対して等しく無力であり得ていることがわかるわけだ。

このことは、表現にとってとても大切なことだと思う。ぼくたちは「何ものか」をどこかに措定しようとしてはいるが、たいがいそれに触れたり見たりはできていない。それこそ「あいまいさ」そのものとしてしか存在していないようなものだ。はたして表現者はそれを特権的に知っている者として振る舞うことができるのか。

少なくともここでムギヨノは、それを観る者と共に触れたいと願う立場にあるものであった。彼はその何重ものあいまいさや不明瞭さを、ぼくたちよりずっと直接的に苦しんでいる者として現れていた。

続いて彼は手足のきれいな型の中から、自分の拳で自分の後頭部を殴り、自分で振り向いて驚いてみせるという、コントめいた動きをとった。そして次々に繰り出されるピストル、機関銃、手榴弾…。それらを彼はシリアスに繰り出し受け止めるのではなく(というのは、常に彼は送り手であり受け手であるからだが)、笑って見せる。ここにはおそらく相対化とか客観視も入り混じっているとはいえ、さらに一歩進んで(だか退いてだか)諦念と自己戯画化が多分に混入されていると思える。

ぼくは、ここにムギヨノの外界や他者に対する態度(attitude)という問題があることに思い至る。彼が観る者に提示するのは、奇妙で不条理でいい加減な社会や人々の姿であるようだが、そこには当然のごとく自分自身も含まれている。それはちょっと捨て鉢なユーモアのようにも見える。しかし、ぼくは最後の最後にやっと気づいたのだが、ムギヨノはほとんど最後に至るまで、舞台中央の黒い壇の上ですべての時間の動きを展開していたのだった。最後になって、やっと壇の外で倒立し、まるで十字架のような形になって仰向けになる。外に出たことで、初めてずーっと壇に縛られるようであったことがわかった、ということ自体、たいへん象徴的な出来事だったように思えた。つまり、彼はその内部にいるということではないのか。内側であるからこそ、とらざるを得ない態度というものがある。それはおそらく厳しく過酷なものだろうが、外へ出てしまえば無効となってしまう種類のものだと思われる。

彼は一人の表現者として、相対化や対象化を自らに禁じているように見えた。それが彼の作品を苦しいほどに複雑にしているように見えた。本当の意味のユーモアというのは、このようにギリギリのところで成立するのではないか。身体能力の高さ、美しさはもちろんのこと、世界との向き合い方という意味で、ひじょうに上質で完成度の高い、しかし問題作であると思った。

3つ目の北村成美「rep」は、「北村成美のダンス天国」の改題・再演作。まず膝から出て来て、足の裏や足首がプルプル震えているのを見せられる。続いては、カミ手奥の出入り口から舞台を対角線にして、出る・入るの反復。寝転がって顔をいろいろと作ってみたり、歩調を変えてみたりして必ず笑いを取ろうとしているようにすら見える。動作の反復といわれた時に受ける印象、「ミニマル」とは程遠い、イチビリで豊かなバリエーションをもったシーンだ。いつしかさらに軽快になったステップがバックのギター曲と合って、パン!と太ももを叩いたりするのが合いの手のようで面白かったりする。

このような彼女の作品の随所に見られるイチビリ、受け狙い的な傾向については、眉をひそめる人もいるかもしれないが、このこと自体を彼女の舞台と客席のコミュニケーションのありようとして捉えなければならない。彼女が踊るという行為を変化球的に投げかけるのに対して、観客は観るという受動的な反応にとどまらず、笑う、笑い声を出すという能動的な反応が期待される。それによって作品空間の親和性が強まる。しかしながら、陳腐なたとえで恐縮だが、変化球を投げ続ける投手の肩が徐々に負担に耐えきれなくなるように、こうして成立するコミュニケーションにもかなりの無理があるのかどうか、踊る彼女はある地点から急速に壊れてゆく。実は彼女のダンスを観ることの醍醐味は、ここにあるのではないか。何割かの人が彼女のダンスに辟易となってしまうのは、おそらくはこのせいだ。

今回のバージョンでは水を使わなかったが、「ホワイトボードに書いた魚の唇とキス」は残存。ただし、前後が削られていたように見え、気分転換ぐらいの意味にしか思えなかった。しかし、その後の足をさすったり額を叩いたりという動きの複雑な反復、足上げ、執拗なまでの回転の繰り返しには迫力があった。これらのこれでもか、というぐらいの反復には、まさに壊れとして受け止められ、ある種の恐ろしさが感じられた。この固着的な執拗さが、彼女の表現を生半可なものでは終わらせない芯の部分であると思う。

マーティン・カスナーというオーストラリアの男性ダンサーの「HE(Legless Lizard)」は、ユーモラスなのと神経症的なのとの間で、どちらに重きが置かれているのかわかりにくい作品だった。それは決しておとしめて言っているのではなく、そういう宙ぶらりんな感じが作品の多層性としてうまく成立していたと思う。ただし、この作品には言葉が多用されていて、ものすごく早口でところどころ小さな声で語られていたので、意味がほとんどわからなかったのだが、その言葉によって生み出されていたドラマが見えてこないのが、作品を享受する立場にとってはおそらく致命的に不利だったと思われる。バックに使われるモノクロの上質な写真についてもそうだ。動き自体はそうスリリングではなかったので、こちらの英語力を棚に上げて言うのだが、作品の提示のしかたについて、難しいものだと実感させられた。

中国の女性ダンサー、ウェン・ウイによる「Bowing to the End」は、プログラムの文章にもあったように、性についての固着から生まれた作品であるようだった。爪先に力を入れて、股間を絞るような歩き方をする冒頭、まるで陰部が落下するのを押さえているような手の置き方、胸をかき抱くしぐさなど、多くの動きが性器の存在に収斂するようだった。特に、多用される爪先歩きについて、それによって醸し出される緊張感以上に、中国の纏足を思い出させることによって、ここで直面している問題がウェンが中国人であることでいっそう固有に深刻な問題であることを思わせた。

衣裳もまた象徴的で、ちょうどルーズソックスのようになっているのが、途中で束ねているのを解かれて長く引きずるかたちになり、またたくし上げて、最後はまるで洗濯物みたいに丁寧に折畳んでいくのが、女性として生きることの困難をよく表わしているようだった。


アジア・コンテンポラリー・ダンス・フェスティバル Aグループ

Aグループは、3人の女性は東アジア、2人の男性は日本(東アジア)、オーストラリア、という構成だった。

台湾のメイ・リ「The last 15 minutes」は、そう言われなければ人生の最後の15分というよりも、駅のホームで恋人と別れるシーンのようだったが、そのような何気なさが、実はこの作品の強さだったのではないか。

正確には、何も彼女はこの作品を「人生の最後の15分間」を描いたものだとは言っていない。当日のプログラムには「もしもあなたの人生が、あと15分しかないとしたら、あなたは何について考えますか?」と記しているのだ。最後に回想されたシーンとして、やや時間が交錯気味に展開する。日常的な感情の流れに、「人生の最後」であるという、本当の別れが意識されているのが、動きの緊張度を高めたのだろう。

彼女の動きもまた、すごさと何気なさが交互にあらわれる。彼女の何ものかに跳ね返るような動き=何かにふれるとバウンドするような動きは、彼女の外界との接し方を象徴するようで、強い説得力がある。動きの流れとしては吃音に似ていて、身体のわりに長い腕がスタッカートのようにクックッとためらうのが、ひじょうに印象的だ。視線が強いのもいい。

韓国のヒュン・ヘア・バン「Flashback」では、シモ手で赤い紙片が落下し、やや大柄な女が顔の写真を一列に並べていく。まず言っておかなければならないが、小さな回転とダイナミックな動きの組み合せが面白く目が離せない、四肢が長いので足上げがひじょうに美しいなど、動きがひじょうに鮮やかだった。

作品のテーマとするところは、やや汲み取りにくいが、まず顔(自分の顔だったようだ)を何枚も並べているところから、おそらく自己言及が大きなテーマになっている。落下する紙片は砂時計のように、時間の流れや堆積を象徴しているだろう。途中で、左右に分けた髪を後ろにくくったのは、少女としての時間をあらわすもののように見えた。時折写真の一枚を口にくわえてみたりしたのは、時間の堆積や今こうあることについての当惑のような思いをあらわしていたのかもしれない。プログラムに「行きずりの時間の真ん中で、私はいつのまにか、30歳になっていた」と書かれているように、30歳という一つの節目(多くの女性にとってはより感慨深いのだろう)を迎えての当惑や仕切り直しやといった思いを抱いて、ラストで裾をつまんで爪先歩きをしていたのは、これからの時間を歩いていく歩幅やスタイルを実に的確に見せていたように思えた。

ユン・ウェイ-メイ(香港)の「Tango of Water Sleeves」は、踏まえられた言葉や人物について知っていないと、なかなか十全に理解するのは難しい作品だったように思う。京劇、ビデオで流される「流蘇」「管也管不著」等といった言葉が、ぼくには剛体な異文化として立ちはだかるように提示された。

しかしそれでも、この十数分の作品を楽しみ味わうための仕掛けはいくつもちりばめられている。まず、シモ手から黒いパンツスーツ姿で現れたユンの姿や動きが、ひじょうに美しく官能的だったことで一つの定まった世界に引き込まれる。背景の映像が左へ流れていくのが、時間の流れでもあるだろうが、風のようにも見え、官能的なゆるやかさとして空気を作る。ユンの動きもまたゆるやかだが、とても正確であるように思われる。でも、何に対して正確なのかはよくわからない。映像が終わると、あわてたように息を荒くしマッチで左腕を熱くなるほどかざす。続いて腕から顔をなぞるようにしてぬるい官能をあらわし、回転する。

続く蚊取線香の映像を使ったメタファは、日本においては新奇なものではないし、欧米等では理解されにくいと思うが、螺旋がどんどん短くなるのとユンが寝転がって激しく回転するのとで、時間論を提出することはできていたと思う。

次に京劇の女優(?)の映像とタンゴがシンクロするという不思議な場面に入る。タンゴがフェイドアウトして京劇の音楽になったり、またタンゴに戻ったりしながら、映像の女優とユンがユニゾンに近い動きで同調している。ユンの身体に京劇の身体が映り、ほぼ完全に重なり合う。この女優は、ユンにとってどのような存在なのかわからないので、これがどのようなことを意味するのか、わからない。そういうもどかしさを与えられながらも、何かとても大切なことが込められているような重みはずっしりと伝わってきた。また背景に文字が流れ、こちらを向いたユンはバラを口にくわえている。四肢の回転が大きな魅力的な動きをとった後、強い表情になり、モデルのように堂々と引っ込んでいった。この作品の背景にあるものをもっと深く知りたいと思った。

休憩を挟んで、ヤザキタケシの「本能」。柱に抱きついてクネクネしたり片脚を上げてピクピクしたり、シャドーボクシングならぬシャドーカンフーでカミ手からシモ手へ向かっていったり、両腕をすごい勢いで回転させたり、動きの見本帖のような楽しさがあった。また、突然笑い出したり、トイレに行ったり、くつろいでみせたり、顔の運動をしたり、「アメンボアカイナ」と発声練習を始めたり、自由奔放な次から次への展開は、アトラクティブで楽しいものだった。

しかし、いみじくもそれを彼自身が「本能」と規定して「能書きたれんと、はよ踊れい」とプログラムに書いているように、それらが何に対する奔放さであるかとか、何に面してシャドーカンフーのように闘っているのかという切実さは、見せていない。ここには、そのような切実さを見せることに対する、彼一流の照れのようなスタイルもある。切実さを放棄して(開き直って)、「本能的でありたい」というのも、半ばは本音であろうし、韜晦でもある。こういうヤザキのアンビヴァレントなためらいに対しては、少なからず物足りなく思うことがある。特に今回のように東アジア諸国の女性ダンサーが、自己のありようと正対している作品のあとで観ると、その斜の構えが回避、逃避の姿勢に見えなくもない。

しかし、それが現在のぼくたちの姿なのだ、ということにもすぐ気づくことになる。陳腐な表現になるが、闘うべき相手はあるか。掘削すべき自我はあるか。掘削の新たな手法はあるか。ぼくたちの現在は、そのような問いを問うことさえ気恥ずかしいほど、……何と言えばいいのだろう、病んでいる? 成熟している? ぼくたちはその一見の成熟に身を浸すことで、表現の本質に到達する方途を失いかけているように思える。

ヤザキの闘いは、実はそのような現在そのものに対するあらがいであるのではないか。それはとてもメタで末期的な闘いではある。いわば「闘うものがないことへの闘い」という逆トートロジー的な円環を描いてしまうからだ。この闘いは不毛で、ヤザキが勝利を収めることはないように思えるが、この中からきっと別の地平の何かが見えてくるに違いない。表現者にとっては困難な社会だと思わざるを得ない。

続くオーストラリアのブレット・ダフィ「WARD:HUMAN MEAT PROCESSING WORKS」は、大きな身体(背がすごく高い)、サブタイトルからも予想されるひじょうにオブセッショナルな要素をちりばめた映像、ガスマスクなどほとんど錯誤的とも思えるような衣裳、シャープな動き、によってキリキリと厳しい作品だった。特に4人の女に四肢をもてあそぶように掴まれ、髪を刈られている、というように、映像に展開される倒錯的で嗜虐的なシーンが、作品の空気を色濃く仕上げた。

まず動きに関して言えば、右足にだけ高下駄のようなものを履いているために奇妙な跛行の歩き方になるのが、高さを出す以上にアンバランスさを強調するという効果を強く出していたのが、印象に残る。腕も脚もひじょうに長く大きく、滑らかかつダイナミックに動くので、最前列で見ていたせいもあろうが強い威圧感があった。全身を打ちつけるような昏倒も、もちろん大きく衝撃的なのだが、身体が柔らかいためか、意外に破壊的なほどではない。むしろ倒れる身体の線がピンとまっすぐに張られて美しいのが印象に残っている。

終盤では、演劇(朗読?)の1シーンの映像、頭に2つのボールのようなものをつけた不思議な衣裳、と意味不明な要素が提出されるが、なぜかこちらの情緒の深いところに強く訴えてくる。この作品もまた、全体にふまえられている背景を知らない/理解できないために、作品の魅力の大部分を感受することが出来なかったようなもどかしさと共に、何かわからないけれども大きなものに出会えた、という満足感が残っている。


時と空間の螺旋〜伝統と現代、夢と日常の往還

 何か共通項があって、その上での差異を見せられると、そこからそのものへアプローチするきっかけを見つけやすくなる。たとえば、一つの文化圏の伝統と現代。11月17日にはインドネシア舞踊の伝統と現代にふれることができた(「旅する舞人〜伝統から現代へ」京都市国際交流会館)。現代舞踊のマルティヌス・ミロト(下写真右。撮影=古屋均)は、きっちりと構成された作品を見せる。特に3つ目の白い仮面を着けた作品は、自我の分裂・獲得といった普遍的なテーマをうまく舞踊作品化したものだった。

 彼の四肢、特に腕の動きは、しなうことなく、ドライブしない速さをもつという点で興味深いものだった。この動きは、しかしこの公演の前半で登場したラシナ(左写真左。撮影=古屋均)という伝統舞踊トペン・チルボンの名手にも見られたものだ。正確に言い表すのは難しいが、ワヤン(影絵)からも連想できるように、関節はくるくると大変よく動くのだが、弧を作ろうとはしない。それがメリハリのきいたガムランのリズムに乗って旋回する。

 彼女の動きでもう一つ特徴的だったのは、スピーディなジャンプが何度も繰り返されることで、それもほとんど助走とかタメのない、何者かにヒョイと持ち上げられるような軽いジャンプだったことだ。それもあるいは影絵からの連想で説明できるのかもしれない。

 ミロトが自我の問題として扱った仮面は、伝統芸能では当然のように「何者かになる」ということだ。その時踊り手は、空虚で何者にもなれる身体を用意しておかなければならないのではないか。伎楽の面と似た仮面を舞踊の途中からヒョイと着けて、包んでいた布は後ろにポイと投げ捨てる。変化(へんげ)とか憑依とか呼ぶにはちょっと軽すぎる仮面(ペルソナ)の扱いを見ると、自我なんてものを意識しなくてはいけない近代以降というのは、厄介だなと思ってしまう。ここでは一個の人格の変容などということは意識されておらず、面が変わることも物真似のようなものだと考えたほうがいいのかもしれない。この時代を生きているぼくたちなのに、伝統から提示されるもののほうに、より大きな衝撃力を感じとってしまうのは逆説的だ。

 続いては朝鮮半島。在日三世による伝統舞踊と、韓国出身の現代舞踊家の作品を1ヵ月の間隔を置いて観て、お隣りの文化圏の豊かな身体にふれることができた。

 12月4日に「アジアの美しい音色と舞」というタイトルで中国琵琶、伽耶琴と合わせて、ムン・ジョンエ(文貞愛。写真右。写真は別会場)、ソン・エスンらによる「チャンゴ(太鼓)の舞」とコリアン舞「千年のいのち」を見た(「オーケストラ・アジア」コープの会自主企画。神戸・生活文化センター)。2作品共に旋回がみごとで、風をはらんだチョゴリが円く膨れる美しさに酔った。前者はサムルノリ(農楽)を太鼓を使って踊るもので、農作業をシミュレートしたもののように見えた。後者は、解説によると半島から日本に渡来してきた先人たちの夢や日朝両民族の融和などを舞うものだそうだが、むしろ個人の情感が深く湛えられた表現的な作品であるように思えた。おそらくは、ムンの深い表情、優雅な舞い姿がそう思わせたのだろう。以前ムンはトリイホールのDance Circusで15分程度の作品を踊ったことがあった。その時のゆるやかな時間の流れは、今も鮮明だ。

 11月3日には、そのトリイホールで洪信子(ホン・シンジゃ。写真左。撮影=稲田卓史)の「螺旋形の姿勢」という公演があった。洪は、ニューヨークで1973年にデビューして以来、高く評価されている韓国現代舞踊の第一人者だ。洪の動きも形もシャープさとは対極にある。エッジのない柔らかで丸みのある動きが、静かに印象に残っている。ピンと伸ばし切らないことで、かえって大きさ、おおらかさにつながり、スローモーションのようなゆったりとした動きに、何か大切なものがこめられていると思えた。

 彼女はミニマリストと評されてもいるようだが、しいて言えばそれは動きのパターン、要素が最小限であるのではなく、小さな運動量で豊かな表現をなしうるという意味でのミニマルであるように思われた。作品のテーマ自体は、約めていえば、人生の旅であったり、死の超克であったり、女の情念であったり、ユートピアへので憧憬あったりと、多様でありながら汲みとりやすいものであった。しかし、まず時間の流れのゆるやかさに、こちらのリズムを合わせるのが少々難関だ。それを心得ることができた後は、ラストで洪がブランコを立ち漕ぎしながら「シャン グリ ラ…」と低く口ずさむまで、癒されるような豊かな時間を共有することができた。(「DANCEART」2000.Spr.)

今年の芸術祭典・京のプログラムの一つは、ミシェル・ケレメニス(フランス)とヴィンセント・セクワティ・マントソー(南アフリカ)を招聘し、それぞれのソロ作品を上演し、ヤザキタケシとのコラボレーションを行なうものだった。ケレメニスが構成・振付を行なったその「同時通訳」という作品(写真左)は、よくあるコラボレーション―きっかけだけを決めた即興とか―ではなく、緊密に構成され準備されたに違いない、緩みも遠慮もない質の高い作品だった。3人の組合せがビヨンビヨンとゴムのように伸び縮みしたりする驚き、ターンからリフトへの一連の動きの面白さに、夢中にさせられた。3つの地域からの3人のコラボレーションであったということで、3人の身体の特異性が強調されるのかと思ったが、意外にもぼくはむしろコンテンポラリーな身体の等質性のほうに興味が引かれた。

 まずぼくたちは、顕著に異文化的な文脈や身体については、当然のように差異を感じる。かえって、日本であることとはどのようなことであるかを見定めるのは、たいへん難しい。たとえば3人の動きの中でヤザキの動きを取り出して、なるほど日本人であると、どのような特性をもって感覚することができるというのだろうか。

 宝塚歌劇の振付も担当しているケンジ中尾のカンパニーとダンスマシーンインターナショナル(ニューヨーク)、宝塚歌劇団雪組の公演「AtmosphereU」(5月30日、宝塚バウホール)の作品「Atmosphere」が見せたように、外国人がナンバ、すり足で動くことも、ステレオタイプかもしれないが確かに有効な試みだろう。少なくとも彼らは日本人の身体を模倣し実感することができる。しかしそこでも屹立するのは結局ケンジ中尾自身の卓越したジャンプである。所作や音楽や衣裳といった表面的なものではなく、日本的であることの在り処をぼくたちが体感するのは、それが自明であるとぼくたちが信じ込んでいるというそのことによって、絶望的に困難なことなのではないか。

 それに比べれば、マントソーの身体からは、アフリカという出自が見えてくる。しかしそれにしても、肌の色、流れている音楽で容易に見えてくる以上には、どれほどの差異を認識した上でアフリカ的と指示しうるのか。むしろぼくは、彼の表情や身体の細かな動きから、感情(といっていいのか)の動きや流れのようなものが掴めないという一種のいらだちによって、彼の「ホクワネ」というソロ作品に直面させられた。強くしなやかな動き、美しい筋肉については文句なしに賞賛の言葉を惜しまない。しかし、ぼくの見る目のなさを暴露するようでこわいのだが、美しく流れる動きが総体として何に向かおうとしているのか、あるいはぼくが知らない喩や神話のような世界が伏流しているのかもしれないが、総合することのできないもどかしさとして動きが立ち現われていることに、むしろこれが大変に貴重なギフトであるのであろうことを実感し、うなだれたのだが。

 別の日(6月5日)に行われたカンパニー・ファトゥミ・ラムルーのエラ・ファトゥミによる「ワスラ〜ソロ」は、彼女自身の家族のルーツであるチュニジアを訪ねて創作されたものだという。もちろんその地方のものらしい音楽、彫りの深い彼女の顔だちから、エキゾチシズムは満足させられる。プログラムのメッセージによれば、「チュニジアの女性達の抑圧された生活とスタジオで得られる自由という葛藤の中で製作した作品」であるとのこと。

 女性であること、束縛されていること、そこから逃れようとすること、顔のない無名な存在となること、性的存在であること……様々な属性が印象的にストレートに提出される。そしてラストで、回転を多用した動きの後、足を大きく開いて膝を曲げて深く沈む姿が実に美しく、その時上半身は見たことのない不思議な動きをとっていた。透徹した悟りきったような表情で、ヒジを外に強く曲げてターンした後、両手で下腹を押さえたかと思うと指を強張らせて左右に強く引き裂いた。

 ぼくたちはこれらをどのような喩にでも読み取ることができる。しかし、ぼくが彼女から読み取った第一の重みは、その動き自体の強さそのものだ。この強さは、ファトゥミにとってチュニジアが、自分のルーツでありながら自分の現在ではないという隔たりから来る断念に起因するものではないだろうか。内部にそれを持ちながら、自分はその外部でしかありえない存在としての、引き裂かれるような複雑な思いが、その動きに強さを与え得た。

 芸術祭典・京の全体テーマ「“ギフト”〜身体からの贈り物」には、いくつかの視点が含まれていたようだが、プロデューサーの杉山準らは「我々は来世紀にどんな希望を抱けるのだろうか?」という問いかけを導き出している。希望というものは、絶望的な現在だからこそ見られるものではないか。断念や絶望は、自ら求めて把持するものではないだろうが、ファトゥミがあえて自身のルーツに向き会うことで深い断念を得たとするなら、それを見たぼくが迫られていることは、ただ真摯に今に正対することだ。

踊り続けていれば、見えてくる自己というものがあるだろう? それを見続けていれば見えてくるものがあると信じている。(季刊DANCEART)

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