<>の未来・予想・図

1月半ばまで兵庫県立美術館で開かれた「未来予想図〜私の人生☆劇場」を観終わって、現代美術とはいえ美術作品の展覧会というよりも、一つの大きく多様なパフォーマンスを観たような心地よい疲労を感じた。一つのフレームの中に収まることなく、ある時は激しく、ある時は柔らかに空間に滲出し、<>と共に空間が覆い尽くされてしまうような感覚。

この美術館の空間の大きさに対して、内藤絹子「言葉のDNA(遺伝子)」の言葉の奔出、しばたゆり「My object; I and object」の写真に包含される思いと付随する言葉の膨大さ、森村泰昌「劇場としての「私」」の過剰さが醸し出す奇妙な静謐、堀尾貞治「あたりまえのこと(位置をかえれば)」の激しい速度感などなど、パフォーマンスに通じる要素によって強い作品空間が構成されていた。

この「未来予想図」という、ベタにポップなタイトルに最も直結していたのは、やなぎみわの「Granddaughters」だっただろう。ヴィデオによって大写しにされた老婆たちが少女時代の思い出を語り、その言葉をスタジオのようなブースで同時通訳している少女たち。長い歳月を顔にくっきりと刻み込んだGrandmotherたちと、ブースの中でふざけたり笑ったりしている、ツルツルした肌をもつGranddaughterたち。それを観ている<>たち。

これら美術館で開かれている数多くのシーンから、ぼくはよくパフォーマンスの現場を実感する。それはただ単に何かがパフォームされたことの痕跡にとどまらず、今そこで湧き出ていることを感じるのだ。(2003.Jan. PAN PRESS)


石川裕敏個展

「水の様子」58 ギャラリー白、「天気概況」513 日下画廊

1968年生まれの石川は、大阪で個展を開くのが4年ぶりだという。その個展をぼくは見そびれていたような気がするから、本当に久しぶりに見たことになる。石川の作品については、ずいぶん以前に、その画面があえて「きたなさ」を引き受けていることに一種の感動をしていると書いたことがある。今から思えば、ほめてるのかけなしてるのかわからないような失礼な論じ方だった。その後も何度か作品を見る機会があったが、二次元的なペインティングということに強くこだわりながらも、今一つすっきりと自分なりの世界観に基づいた手法、方法論を見いだせずにいるようで、苦しんでいるなと思って見ていた。しかし今回、案内はがきの新作の写真を見て、何か手法もだが、画面に向き合う姿勢のようなものがひじょうにシンプルに整理されているように思えた。

まず「水の様子」The sign of watersと名づけられたギャラリー白へ行く。大きなキャンバスに、わりと荒いマチエールで色が重ねられているのだが、どれも形としては水平線が印象的だ。これまで石川の作品には、楕円や方形が多かったように思うのだが、まずもってこれが大きな変化である。

不思議なもので、水平線があると風景に見える。どんな色であろうが、空と大地に見える。説明が必要なら、黄色い空であれば黄砂の舞う中国、赤い空であればサバンナの夕焼けを思えばいい。いったんその画面を風景であるように見てしまえば、もうそれを抽象平面だと見ることはできなくなってしまっていた。

それは美しい風景だった。いま中国やサバンナと書いてはみたが、そのような特定の地名である必要はなく、それなのにどこかで見たことのある景色であるように思われた。それはぼくの中で、最も大切にしなければいけない風景であるように思われた。ぼくの人生にとって決定的に大切な人がそこで失われたことがあるような、そんな気がした。また見ようによっては、枯れ草の上を冷たい風が吹き過ぎていくようでもあった。不思議な色をした画面の上部は、空でも海でもない色をしているのに、そのような色をした空や海があることを知っているような気がした。そこには具体的なものは何一つないのに、風や水や温度や空気は、確かにあった。緯度や経度や、具体的な地名に拘束されていない、いわば<純粋風景>。つまるところ、抽象された風景があったというべきか。

問題は、水平線である。これが垂直線であったら、風景となってぼくを襲いはしなかったはずだ。一本、横に線を引くだけのことで、がぜん画面は別の次元に移ってしまう。抽象であると思って見ていた画面が、その線を地平や水平であると見ただけで、即時に風景に移ってしまう。面白い体験だった。

日下画廊に出品されていた中に、ドローイングの小品があった。人がただの線を描くだけで世界が生まれるということを如実にあらわしたものだった。線を描くことの恐ろしさが、そこからは感じられた。それを石川が知っていたのかどうかは知らない。ただ、そこには確かに世界が、立ち上がってしまっていたのだ。

石川の画歴にとって、この水平線(のシリーズ)が決定的であるかどうかは、まだわからない。会場で配布されていた資料(名古屋芸術大学GalleryBEでの個展資料)に掲載されていた原久子のテキストによれば、石川は15cm角の紙に毎日のようにクレヨンでドローイングをしていた、という日々があったそうだ。その数点が日下画廊にも出品されていたが、これもたいそう魅力的な画面だった。その日課のような「作業」の中で彼が何を深め発見したのか、別に修行僧ではないのだから、そこに必要以上にドラマを求めてはならないだろうが、一つの過程としては有益なものではあったはずだ。

GalleryBE資料に掲載された作品の図版を見ていて、1999年の「Seascape」と題されたものがあるのに気づいた。海景とでもいうのだろうか。今回の「水の様子」等と決定的に違うのは、明確な水平線の存在の有無だ。「Seascape」では線のあたりが靄っているようなのだ。石川がその線から描き始めたのかどうかは知らない。しかし見る者にとっては、その線を基点として画面に入り始めることができる。そして深い奥行きを感じる。線の上部と下部の差だけではなくて、下部に深い広がりを見て、次には左右の平面の広がりを思う。一本の線によって、画面が見る者にそのような時間を与えることができた。不思議なことに次の瞬間、見る者はその中に自身の個人的な思いの場所を見てしまう。元型のような共通記憶のようなものなのかどうかは知らないが、どういう方法によってか、次元を超えてしまったということになる。


大阪アートフェア2001 StART 429 SUMISO

東京・名古屋・大阪・奈良からの8画廊が、日頃からサポートしている作家を集めたアートフェア。いま注目のスポットである南堀江で開催されたということもあってか、短い会期(26日パーティー、会期は27293日間)にもかかわらず1000人を超える来場者があったと聞いた。

一時は月に一度以上は西天満を中心に画廊めぐりをしていたのだが、ここのところ少し足が遠のいている。そしてどうもその間に、画廊の地図自体に新しい動きがあったようで、ここに出展していた大阪のコウイチ・ファインアーツ、青井画廊は聞いたこともなかった。出品されていた作家の中では、森村泰昌、村上隆、丸山直史、坂井淑恵あたりはなじみ深いが、奈良美智の「画業」をオリジナルでまともに見たのは初めてだったし、青井画廊の出していた村上隆の大きな作品で、彼の素晴らしさを認識できたのはうれしい。(左図は、村上隆 in the deep of "DOB")

画廊ごとの8つのブースを回って、重複して出展されていたのが、村上隆、奈良美智、桑原正彦だったか。ギャラリーゼロ(大阪)と小山登美夫ギャラリー(東京)が出していた桑原正彦は、ピンクベージュのバックにブラウンの太い線でブタ、アザラシなどを稚拙な漫画のように無造作な感じで描いた画面で驚かせる。上体がブタで下肢が鳥というのもあって、小山登美夫ギャラリーのスタッフは、社会の奇形性とか公害で魚などに奇形が出ているとかいろいろと説明してくれたが、とりあえずはウナギイヌみたいなもので、滑稽にしか見えない。ギャラリーゼロには、彼の青空のような色面を描いた作品なども出ていたが、画面のある程度の美しさは別として、そこには表面はあるとしても、スタッフが説明してくれるような意味性、物語性への糸口は見えてこない。ブタやアザラシの落書きのようなキャンバスを目の前にして、これが画廊の中にあるのだから美術作品であると思って見て、そこから出てくるのは、まずヒザの裏をカックンとされた時のような脱力感や、そこに描かれた表面に留まる記号性でしかないように思える。

さて、ここからが自分でも不思議なのだが、ぼくはこのような脱力感や表面性、逆の方向から言えば、内面のなさそうな感じを気に入っている。だから、彼の作品についてスタッフが語ってくれた言葉は、一つの説明やプレゼンのための回路としてはよくできた話ではあっても、作品の魅力を語っていることにはならないと思っている。やや牽強付会かもしれないが、そのように添えられた説明言葉さえも、そこに見る者の関心を留めておくための記号となっているようで、滑稽だ。

もちろん、一見の無邪気さの中には、そのような不気味さはあるものだ。そんなふうに表と裏があっていつでも交換可能なところを楽しんでいるようなふうにさえ見える。どう解釈しようとしても擦り抜けていく、したたかさ。「社会性」と言われれば「ただのマンガです」と逃げ、「ただのマンガだ」と言われれば「そうかも…」と言いながら舌を出す。作品が表面で完結して成立しているからこそ、その解釈はどのようにも着脱でき、しかも軽やかかつ高速に回転しうる。そのような魅力をまず認知した上で、自分なりの好き勝手な解釈を施せばいい。そんな自在さをもっているように思う。そしてあえて能書きめいたことを付け加えれば、カワイイのが好きで表面的で高速で奇形な、「そのようなわたくしたちなのだ」ということを思い知らされる、ということだろうか。

はたして数年前の「BT」をめくると、当時の桑原の作品(左は'97年の作品)はもう少しきれいな線で描かれている。今のブタやアザラシがヘタウマ調だとすれば、当時の作品はファインなアニメだ。今の作品のほうが、ドローイングとしてのブラシの跡が見えているだけ、人間くさい。表面が柔らかい感じがして、画面に入り込みやすい印象を与えると同時に、より過激にアートらしさを排除しているという点では、さらに攻撃的になっていると言っていい。もちろんこれは、アートでないようなものをアートであるとするという意味ではデュシャンやウォーホルのように現代美術の正統を継いでいるといっていいが、このようにいつの間にか美術の正統うんぬんと語らせられてしまっているところを見ると、やはりぼくはいつしか桑原の奸計に落とし入れられているということか。

落合多武という、やはり小山登美夫Gがサポートする作家に、一見して魅かれた。鉛筆の描線にごく薄いアクリルで彩色したもので、中には遠目には何も書かれていないと見えかねないものもあるというのは、やはりギャラリースタッフのやや大げさなコメント。ボサボサの髪の女の子の顔が大きく描かれていて、鉛筆で余白に「I want to cut her hair」などと書いてある(左図)。第一印象としては、ひじょうにお洒落で、エスプリが利いていて、ファッション雑誌のイラストに使われていそうな気分がある。

揚げ足取りのように聞こえるかもしれないが、「I want to cut her hair」という一種のコメントから、作家は見る者に対して描かれた対象を紹介しているということがわかる。見る者と一緒に彼女を眺めている。そのような対象との関わり方は、おそらく今のぼくたちの気分にとても近い。

それがキャンバスに描かれた線や色彩の薄さに直結する。白く塗ったキャンバスに、かすかに鉛筆で描線し、アクリルでごく薄く彩色する。落書きのように思いついた言葉を書き付ける。そのようなキャンバスへの働きかけは、世界への対し方とパラレルでないわけがない。再び言うが、「そのようなわたくしたちなのだ」ということではないのか。

あえて世代論めいたことを言うが、ぼくたちは10歳上に団塊の世代をもっていて、彼らからは「新人類の一歩手前」という、いわば何者でもない存在であったわけだが、それでも彼らに比べればずいぶんと中途半端でやさしい世代だとされてきた。さらに今の30歳前後、つまりぼくたちよりも10歳若い世代は、希薄さが極まった酸欠のような世界で、一生懸命自分のありかを定めるためにいろいろなストロークを繰り返しているのではないだろうか。そういう手つきのようなものが見えるこのような作品に、強く共感を覚えることができる。

クールでお洒落に見えるのは、そのような意匠をまとっているからで、それは彼がこの希薄な世界でありかを定めるためにそうあらざるをえないからだ。それが希薄さの再生産のように見えるのは、今ここではそうある以外には存在することができないということを、半ばは本能的に察知しているからだ。

もう一人、名古屋の白土舎が紹介していた設楽知昭の、たとえば「二人ノ片腕ノ私ガ手ヲ洗オウトスル」などの一連の作品も面白かった。妙に表面がつるつると光っていると思って見たら、油彩なのだが、ポリエステル・フィルムという平滑で光沢のある支持体に描かれている。小学校の保健室の消毒液の洗面器のようなものに、二人の「私」が鏡に映っているように手を突っ込んでいるというもので、背景は灰色、タッチはシュナーベルを思わせて、やや垂直に引き伸ばされたように見える人物像だ。

ぼくが興味ぶかげに何度もこの作品を見ていると、画廊のスタッフがこれらの作品の製作過程の記録を見せてくれたが、まるでルネサンス時代に写真の始祖とも言われて遠近法の発達に大きく寄与したとされているような装置を使って、実際にスタジオに人を立たせて写すというプロセスを経て描かれた作品だったのだ。

そんな大時代的なスーパーリアリズムの手法をとりながら、設楽の作品はスーパーリアルではない。解像度なり大きさなりといった問題もあるだろうが、彼がプロセスとして必要としているのは、大げさにそのような装置を作るということそのものであるように思える。そこまでしながらも、(ある程度)リアリスティックである、ということ自体が必要なのではないのか。

ここでは、写実的であることは二義的なことだ。表面として見えることはどうでもいいことのように見えて、実はそのことそのものが表面として立ち現れていて、そこから中へ入り込むことを容易には許そうとしない。それが、ポリエステル・フィルムというこの作者の使う表面の特性と強く結びついているようで、面白く思ったのだ。

このようにぼくはこのアートフェアという一種の祝祭において、絵画の表面が表面であることを強く主張している多くの作品にふれ、ひじょうに面白く思ったのだった。内面を問うこと、内面であることを求めることが古いスタイルの芸術観であるようにも思えたのだったが、しかしそれも一歩踏み込み、一皮めくってみれば、ではなぜそれをそのように表現しようとするのか、というメタな問いは残ってしまう。この問いに対しては、やはり「私は」という一人称でなければ答えられないのではないのか。

近年、ダンスという「自分の身体」を媒体とせざるを得ない表現につきあっていると、どうにも最後までしょうがなく残るのは、やはり「誰か自身の身体」である。

写真においては、シンディ・シャーマンや荒木経惟の出現によって、「写真家とはシャッターを押す者である」というテーゼが崩れたように、絵画は画家が様々な意味のすべてにおいて「描く」という行為者であることを離れることがあるのだろうか。写真は写真家がシャッターを押すという行為を離れても(あるいは、離れたものはいっそう)、写真家の一人称の芸術であることを離れてはいないが、絵画が最終的に記号になっても、記号であるということを容認する一人の行為者が背後にある限り、やはり絵画は一つのタブローであることを離れることはできないのではないだろうか。


福岡道雄新作展 2000815日 伊丹市立美術館

 福岡道雄の新作は、これまで通り黒いFRP(強化プラスチック)を使ってはいるが、その表面は、さざ波の代わりに文字がぎっしりと書かれていて、遠目にはかえって波のように見える。その作品の大きさはおよそ1m四方とか、長辺2mとかだから、その文字の数はおびただしいほどで、はじめぼくは印刷によるものだと思って見ていた。ところがそれは、図録に掲載された文章によると「黒いプラスチックの板に小さな同じ文字を何万と電動彫刻刀で書いている。正確には彫り込む」という作業の結果である。

 福岡は、このような作品を平面で'98年の個展から発表しているらしいが、ぼくは今回が初見だった。このような作業は、かなり偏執狂的というか、常人には勤め上げにくい種類のものであるように思える。しかもその彫られている文字というのが、「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」「何もすることがない」といった、福岡一流の、しかしきわめて意義の取りにくいものなのだ。ある作品は、左上から右下隅まで延々と同じ文章が彫られている。あるものは、そこここに花やミミズが描かれている。作品名はというと、「何もすることがない、ミミズの自殺」とか「何もしたくない草花」とか。

 結果として、作品は黒い面の上に白い文字が(遠目には、何かが)さざ波のようにリズムを持って浮遊集散しているように見える。これまでの福岡の作品では、支持体であるFRP自体の黒い表面が凹凸になってさざ波のような表面を作っていたのに比べると、この文字によるさざ波では、当然のことながら表面の意味が変容している。もちろん、FRPの表面に絵具等で描かれたものではないから、支持体と表面を分離することはできないが、支持体の存在感そのものを受け止めていた従来の作品よりも、表面に描かれた文字を読むということで、FRPの存在感が後退したことは確かだ。しかしこのことによって、表面を語ること、支持体を語ること、という立体作品としての二重性も生まれた。

 福岡のエッセイ(これが実に味わい深いのだが)を読んでいると、他人事ながら心配になるほど、後ろ向きで非生産的で、釣りしかしていないように思える。それも、積極的に釣りをしているというよりは、何もすることがないから釣りでもして人生の時間を刻々と潰している、という気がする。今回発表された作品に対しても、実は釣りと同じで、時間潰しのような作業だったのだろうなと思う。大半が平面の作品であるので、這うようにして電動彫刻刀を使っている姿を想像すると、それはもちろん製作に没頭しているのではあるが、いくぶんかは何かから逃避している姿に思えるのが、魅力的だ。つまり、そのような作家の姿そのものが、大きな存在感を帯びてうずくまっている(普通なら、立ちはだかっている、というべきだろうが)。


館勝生展 その他 200089

 既にギャラリー白の案内はがきの写真(「my first defenseU」)で、彼のキャンバス上の形、動きのゆっくりした変化が、とうとうここまで来たのかと感慨深く受け止めていたのだが、G白へ行くまでに、Oギャラリーeyesで開かれていた「領域の痕跡」という企画展(他に赤塚祐二、中川佳宣らの小品)に出品されていた紙に描かれた小品の前に立って、ぼくはもう、そのある種の神々しさに戦慄を覚えていたといっても過言ではない。何度も書いてきたように、彼の作品は、蝶か蘭のような形をしていたのが、もはや何ら生命の予感を汲み取ることもできない、腕の動きの痕跡としての大きなストロークが直交する。それがなぜ激しく心を動揺させるのか。G白で「carousings」と名付けられた3枚の大作に囲まれて、やはりぼくはそのようにいぶかしく思いながら、至福の長い時を過ごした。

まず細い線がある角度を持って大きなストロークで描かれ、それを覆うように厚い油絵具を置き、ナイフで広げ、はじめの線とほぼ直交するような別のストロークが加えられる……作品の大まかな成り立ちはそのようなものであるように見えた。もちろん以前から見られたような絵具の飛沫、影か膜のような滲みも見られる。そして今回の作品で大きく目に入ってくるのは、キャンバスの余白だ。

 余白というのは恐ろしいもので、そこに何かが生成することを渇望させるような強迫する力を持っている。今回の連作の「T」と「V」では、長方形のキャンバスの偏りをもって描かれた形が、余白に流れ込んでいくようにも思われ、また、余白そのものが未生の強い力を持っているようにも思われ、強い重みをたたえていた。

 「領域の痕跡」の資料として、館は「自己の外界のものを画面に取り込むのではなく、自らの身体性をおびた直接的な表現手段を用いて自己の器官から創出する、イメージが発生する時間を想起させる絵画づくりをしていきたい」と書いているが、彼のキャンバスの上の動きが、彼自身の身体性を直接的に反映させようとして苦闘しているものだとすれば、それはまるで舞踊する身体の一つの瞬間が凍結したようなもので、それはまさしく人を戦慄させるものであると、深く納得するのだ。

 G白の隣室では、大城国夫の大作。暗褐色を中心とした重く量感のある画面は、何かが向こうにあるように見えるのだが、それが何かはわからない。スリガラスの向こうに誰かがいて、と言えなくはないが、もっと掴みようのない画面である。そういう意味では、彼の作品でキャンバスは表面性として見る者と作品の「間に」()垂直に立っていることになる。

 しかし、それはむしろ柔らかい、繊維質のようなものだ。作品の量感の大きさの割には、ドローイングの線が細く、細い布がのたうっているような画面である。

 番画廊の上田慎二もまた数点の大作を中心とした展示で、「つらなる」などと基本的な動詞で題されたリズミカルで色鮮やかな画面が、目を楽しませてくれた。四季の移りを思わせるような、橙、黄、青を基調としたそれぞれの画面は、それぞれに別世界のような美しさをもっている。絵を見るというのは楽しいことなのだなと実感し、きっとぼくはとてもニコニコしていたと思う。


CAPARTY vol.7 観光〜なんでもない一日

1998113日。神戸を中心としたアーティストと美術愛好家によって結成されたCAPが企画した参加型アートプロジェクト。神戸は北野の風見鶏の館の前から出発し、もらった地図と写真入のガイドブックを片手に、山から海まで一気に「観光」してしまおうという試み。写真構成で再現してみよう。

まず、スタート地点からちょっと西へ行くと、ガイドにあったサボテンを発見。さらに進むとクスノキ糸杉。北野の変わった植物を探訪といった趣でスタートしてしまった。そのあたりで、同じオレンジ色の地図を持った女性二人連れと行き会うが、こちらも配偶者連れで、残念。さらにガイドされたとおり「北野荘」(これって、旅館?)やら変な木やら、を見ながら、北野サーカスでお茶。チョコレートのビスケットのクリームサンドみたいなお菓子もついてきて、妙に懐かしい気分になる。さらに南に降りて、細い路地みたいなところを入ると、民家の異人館の庭かな、竹ぼうきが立ててあるのにびっくり。猫除け? これはガイドには載っていなかったものです。細い路地からいきなりトアロードに出て、倒産した北野ホテルがきちんと整備されていることに驚いたり、旧北野小学校(北野・工房のまち)で遊んだり、NHKが帰ってくるのかどうか心配したりしながら、いわゆるトア・ウェストへ。ギターなど楽器の製造販売で有名なロッコーマンの前においてある巨大なギター、昔は元町商店街にあったはず。ONE WAYで絵葉書をお土産にもらって、ちょっと寄り道して、前から好きな中国雑貨の香港王へ。ニラの強烈なにおいがしてくるのが気になりながら、ふと隣を見てみると、家だか何だかわからないんだけれど、チェーンを張ってて、古ぼけたようなそれらしく作った元居酒屋のような妙な建物があるのに気づいた。外に水道があったりするのもわからない。冷房の室外機みたいなのに妙な箱をかぶせたみたいなのもある。結局わからないまま振り向くと、一室で一家4人ぐらい、中国語らしき言葉をしゃべりながら餃子を作っている。何だか何処を歩いているんだか解らなくなって、角を曲がると、何度か行ったことのあるバー室住の前に出て、元の道に戻って、安心。

次のスポットは大丸前の三宮神社ということで、しばらくは休日でごった返す三宮を人を掻き分けて歩くことに。高架下に古着屋さんの素敵な看板を発見。何だか、いつものトアロードやセンター街がちょっと違って見える。大丸のビルも、夕暮れの光線の加減か、いつも以上にきれいに見える。9階だかのイタリア料理屋で働いている知人は元気かな、などと思いながら、三宮神社。おみくじを枝に結びつけたのが、ちょっと人のような形で、夜だと怖そう。維新の頃の神戸事件の舞台になったところだとは知っていたが、境内に大砲があるとは、知らなかった。歴史を感じながら、記念写真撮影場所の、さくら銀行へ。金属のボールのオブジェに写ったところを写すという、変わった記念写真。次に住友海上のビルの中で、これまでのCAPARTYの記録を見る。震災前に、神戸市の美術館構想に対する意見書を出したのがスタートだったと知って、ちょっと隔世の感に浸る。その企画書、ざあーっと読んだ範囲では、すごくいい美術館構想だったのだが、どうなったんだろう。つい、空港と比べてしまう。

そして、水上警察を抜けて、へ。ちょうど夕日が落ちるのが、逆光で美しく、ちょっと芸術に浸っていた。集合場所の公園の中に碑があるので見てみたら、勝海舟や坂本竜馬ゆかりの海軍操練所跡。宝塚歌劇「誠の群像」(「Ryoma!」もか)で話題になっていたあそこじゃないかと、ちょっと感激。ここでも記念撮影。スタッフのカメラマンの方が、タコのおもちゃを出してきたりして、笑いを誘う。「今日、これまで通ったことのない道を歩いた方、いらっしゃいますか?」と聞かれて、ほとんどの人が手を挙げたのを見て、「それだけでもやった甲斐がありました」と。

陸橋を渡って戻ろうとすると、陸橋に網がかかっていて、まるで「フェンスの向こうの神戸」。その後、ローラ・アシュレイのビルでコンサートなどがあったのだが、連れが疲れたというので、パス。南京町で食事をして、元町商店街の不二家の前でペコちゃんを写して、帰ってきました。あー、楽しかった。


館勝生−絵画の芽

 19988月下旬、出張にかこつけて原美術館(東京、北品川)で館勝生を見て、猛然と、美術について書きたくなった。「ハラドキュメンツ5 館勝生−絵画の芽」である。

 館は、ぼくにとっては見慣れた作家である。この何年か、舞台を見るのに忙しいせいもあって画廊に足を向けなくなってからも、館だと聞けば足を運んだ。蝶の羽根のような不思議な形態がゆっくりと崩れていくのを興味深く見続けた。今回の数点の作品も、その延長上にあるといっていい。基本的には画面左が、蝶であれば胴体に当たる部分で、厚く盛られた絵具をナイフでブーメラン状にこねている。画面右は羽根に当たる部分で、円ないし楕円に絵具を薄く伸ばしている。そして「Gold That Has Been Tasted in the Fire」といった意味ありげなタイトルが英文で付されているのも同様だ。

 彼はこのようなスタイルを数年来、頑なにといっていいほどに守っている。少なくともぼくが見始めてから、それ以外の作品を見たことがない。しかしそのパターンの中で、ゆっくりと変容し、新たな表情が見えてくるのを、毎回ぼくは楽しみにしてきた。

 今回の作品の中で目立ったのは、飛沫の散乱である。「The Smoke of the Incense」では、画面上方、特に右側に激しい飛沫が見られる。これが、たとえば絵具の塊を叩くようにして生まれたものなのか、別に(意図的に)ブラシなどで描かれたものなのかはわからないが、先ほど「ブーメラン状」と呼んだストロークの方向と飛沫が無関係のように見えるところから、どうも後者であるようだ。いずれにしても、この飛沫が画面に一層の激しさを与え、スピード感を増していることは間違いない。

 さて、平面絵画の中でスピード感というとき、だいたいは描かれたストロークの速さが感じられることだ。キャンバス上に残ったブラシやナイフの跡から、作者の腕の動きを再現し、一緒になって腕を掃くように動かしている気分になること、これがぼくにとってのドローイングを見る一つの快感だ。もちろん館の作品にもそういう部分がある。しかし、たいていの他の作品でそのスピード感は平面の内部で生起し消滅するのに対し、館の作品ではむしろ、平面そのものが激しいスピードで去っていくような印象が残った。それは主に画面右側の絵具を薄く伸ばした円形のフォルムの中から生まれてくるものだ。そこで伸ばされた薄い色面は、垂直という明確な方向性をもったマチエールが露わで、おそらくはアクリル絵具ならではの、表面を滑るような摩擦の低いスピード感によるものだろうが、そこだけ激しい速度で下降していくような眩暈感さえ発していた。薄さは速さであり、希薄さに息詰まるような切迫感があった。

 今回展示された7点の作品の中では、「A Purple Robe」「Jasper Stone」にそんな下降の速度が顕著だった。後者ではそれが円形に切り取られた内部に見えているのに対し、前者では円の外にまで速度が浸透しているのがダイナミックだ。

 ところが他の作品ではそのような薄い速度は影をひそめ、その部分は淡い滲みのようなトーンに取って代わられている。「Smell」「The Smoke of the Incense」という作品のタイトルの通りだ。それは滲出または余燼のように見える。あえてドラマを求めるわけではないが、画面の中に一つの爆発とその余燼が描かれているように見える。現存とその跡形といってもいい。濃淡、厚さと薄さ、どのような言い方をしても間違いではないが、このように画面を斜めに区切る形で提示される対照は、その生成の力の強大さと、消滅の跡の鮮やかさによって、なんだか悲哀さえ感じさせるほどの緊張感をもっている。

これまでぼくが館の作品に感じてきたのは時間ということだった。薄い垂直に下降するブラシの跡は、何かが飛び去ってしまった跡に見えたり、画面自体が鋭い速度をもっている現れだった(と思った)。今の館の作品からは、そのような速度感よりは瞬間に起きた(たとえば破裂という)事柄の大きさを感じる。事柄の構成としては画面の内部で完結しているようにも見えるが、その飛沫はキャンバスの枠を超え、絵具の盛り上がりは観る者に迫る。画面を構成する要素の統一感は高まり、求心力が上昇している。この鋭く強い求心性によって再びこれらは臨界点に達し、自らの凝集する力によって再びの爆発を迎えるのではないかと、ハラハラと、楽しみに思うのだ。

館勝生のホームページhttp://www.threeweb.ad.jp/~tachi/ 画像多数


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©Shozo Jonen 2003, 上念省三