ヤザキタケシ・インタビュー


――この雑誌(「劇の宇宙」)、締切早いんですよね。で、正直言って、この6月末(1998年)の段階で、10月末のVorquen Dance Danの公演の作品がどれだけ固まってるか、不安なんですけど。先日サイトウマコトさんと3人の席で、サイトウさんの作品のコンセプトはだいたいうかがえたと思うんです。今日は、ヤザキさんの半生を辿り(笑)、次の作品に向けての展望まで、ということで、長大なインタビューにしたいと思いますので、よろしくお願いします。

 さて、まず、ヤザキさん、お生まれはどちら?

Y (笑)香川県。でも、親の仕事の関係上、ぼくは高知が本籍っていうことになってます。

――いつごろから関西へ。

Y 関西は大学で。大学入ったときは、まったく舞台関係のことをやるっていう意識はなくて、2回生のときにたまたまバイト先でポスターを見てある俳優養成所に入ったんですよ。たまたまという感覚のまま、ここまで来てるんですよ。ほんと、ええ加減なんです(笑)。

――小さい頃からダンスとか?

Y いえいえ、全然。そういう要素はあったのかも知れませんけど、直接的にこういう舞台につながってくるのは、2回生からです。

――大学は、普通の学部ですか。

Y 普通の、法学部(笑)。

――笑たらいけませんよね。どうなんですかね、男のダンサーって、わりと少ないですしね。

Y もてはやされて、調子に乗って、入っていく、というケースの男性が多いと思いますけどね。

――それからミュージカル・アカデミー。ここでミュージカル、バレエ、声楽。

Y この頃はね、ミュージカル・スターに憧れてたんですよ。歌100%、踊り100%、演劇100%できるミュージカル・スターになるんや、っていう意気込みだけでやってました。

――将来この道でやっていこうと、もう思ってらしたんですか。

Y その時は、思ってました。

――普通の会社に就職しながら、なんて思ってらっしゃらなかった。

Y 全く思ってなかった。

――すごい心意気ですよね。

Y そういう決断をさせたのはですね、大学卒業してから、インドへ行った時ですね。

――これは、どのぐらい行ってらしたんですか。

Y 期間にすればすごく短くて、2週間なんですけどね、ぼくにとっては2年以上っていう感じですね。その時、人生は何ぞやとか、いろいろ、自分さがしの旅というか。日本も含めて、初めての一人旅だったんです。なんか、覚悟してましたね。このまま死んでしまったとしても、ぼくはそこまでの命やったんや、って。すごく大げさに聞こえるかも知れませんけど。それで、普通の仕事なんかで人生を無駄にしたくないという感覚になりましたね。

――それからアルビン・エイリーってことなんですけど。

Y それはね、もう踊りに突っ込んで。

――インドからお帰りになってからは?

Y しばらくずーっと劇団にいて、その劇団の方向性がですね、まあ劇団員がどんどん辞めていきまして、ダンス一本、ダンス・カンパニーに近くなってきた時期なんですよ。で、ぼくもけっこう優柔不断なんで、じゃあダンスにのめり込もうか、ということになりまして、それで突っ込んでいったわけなんですけど。将来のこととか生活のことは、全く考えてなかったですね。そこのカンパニーで教えながらダンスを続けられたっていう、環境的にはすごく恵まれてましたね。そのかわり社会との接触というのはなくて、隔離されてましたね。

――このミュージカル・アカデミーというのは、京都ですか。

Y ええ。渡辺タカシさんのカンパニーです。

――それが後にディニオスになるわけですね。この渡辺氏のところで踊ってらして、ニューヨークに行かれたわけですね。

Y けっこう渡辺氏の影響は深いと思いますね。芸風とかというより、生き方として。

――へえー。

Y のめり込むっていうタイプなんですよ。プロ意識を植え付けるっていうか、無駄を許さないっていうか、ミスを許さない。悪くいえばがんじがらめに近いんですけど、厳しく集中的に育てられたっていう感じですね。

――渡辺氏の作品って、すごく文学的というか、表現的じゃないですか。そういうものにどっぷり浸かっておられたんですか?

Y その時はそうですね。技術的なことでも、ジャズバレエなんですけど、テクニックはしっかりできないとダメなんです。足は高く上がらなければダメっていうような感覚の踊りプラス、そういう劇的なことをやってましたね。

――最初は演劇とかも視野に入れておられて、渡辺氏のカンパニーでもそういう文学的とか演劇的な方向性が、自分の中でやっぱり続いていたと言うことですか。

Y その時に多分植え付けられてたんじゃないかな、と思いますね。でもその頃のぼくは、いろんなカンパニーで、ダンサーとして経験を積みたいと思ってました。踊るマシンになりたいな、と。クリエイターとして何かしたいという気持ちはなかったですね。 ニューヨークでは、バレエを基本にしてモダンのテクニックですね。考え方とかではなくて。

――民族とか人種とか、いろんな人がいて、どうでしたか。

Y 最終的には、同じ人間なんだな、ということでしたね。そう思ってもやっぱり違うな、っていうのもありましたけど。肉体的に、歴史的なものというか、からだにしみついてるものなんでしょうね。からだの質というか、筋肉の質も全然違いますしね。骨格が全然違いますよね。

――日本人の中でも、そんなに大きなほうじゃないですよね。

Y はい。もう、肉体的にいえば、コンプレックスの塊でしたね。そういうところで張り合ってもしかたないということは、ハナからわかっていたから、いってみればパッション、パッションって(笑)。なんか、そういうエネルギーしかないんかな、と覚悟してました。負けてませんでしたよ。

――パワーとかはそうでしょうけど、スピードも違うんですか。

Y スピードはね、短い分、速く動きますからね(笑)。それがダイナミックかどうかというのは、また別にして。

――胸板の厚さとか、全然違うと思うんですよね。

Y でもぼくもね、向こう行って太りましたしね、骨も太くなった。あそこで生まれて育ったら、絶対ああいうからだになると思いましたね。食べ物が違うし。だからそれで悪くすると、ワンパターンの踊りになるんですよ。すごく力強い、一方的な踊りになってしまう。アジア人のからだはそうでなくて、もっとしなやかで滑らかで、竹のような感じ。違ったいい味があるんじゃないかなと思いましたね。

――強さをどうやって見せるかという見せ方は、わりとワンパターンに陥るという感じはあるでしょうね。ニューヨークには、どれぐらい?

Y 1年いました。半年ぐらい学校にべったり行きまして、あとの半年はオフオフ・ブロードウェイというか、小さなカンパニーがたくさんあるんですよ。そういうところのオーディションを受けて、大学の講堂とか、そういう舞台に立ってたんです。

――その間、演劇の方は?

Y ニューヨークに行く前に、渡辺氏から、歌と芝居は30歳過ぎてからでも、そういう心、感性があればできる。だから今は踊れ、技術を身につけろ、と言われてまして、そういうもんか、ってすぐ。

――理屈通ってますよね。

Y のちのち芝居をやりたいという気持ちはどこかに置いてましたから、当時は、今は踊りに専念しようということで、ずーっとやってきたんです。戻ってからパノラマアワーに出たりとかはしましたけど。

――そういう、お芝居の経験が、今の作品づくりに、何か関係あると思われますか。

Y 直接的じゃないんですけど、すごく感覚的に演劇のアイデアを利用してると思いますね。具体的に言えないんですけど。

――私の印象で言いますとね、基本的にはモダンダンスというのは、自分を見せるもの、一人称のものだと思うんですけど、ヤザキさんのダンスは、少年になってみるとか、そういう役になるような部分がありますよね。

Y ぼくね、自分にまだ自信がないんやと思うんですよ。さらけ出すほどの自分じゃないっていうか。でも舞台に立ってるということは、どこかに変身願望というか、自分じゃないものになりたいということが強くあると思うんです。そういう意味で、ダンスやってるときも、素面(しらふ)やったらすごく恥ずかしいんですよ。素(す)でいることが恥ずかしいから、自分が作品を作るときは何かキャラクターを演じたいなと思って、そういうふうに持っていきますね。MA TO MAでは、全く自分でないとダメでしょ? だからバランスとってる、という感じがありますね。

――そこが、ぼくはヤザキさんのダンスの一つの面白さであると思う。何かになることによって、すごく激しい、徹底したものが生まれますよね。動きにしても、極度にシャイな少年であるとか、ちょっとおかしなストーカーであるとか、それになることによって、一つの痙攣的な動きの見せ方にしても、全然違ってくるような気がするんですよね。そこが、他のダンサーとかなり違っていて、面白いところじゃないかなと思います。

Y 演じてないと、ぼくもそう徹底してああいうふうにからだは動かないです。

――面白いなあ。

Y それはもう、感覚的なもので。

――たとえば、よく女性のダンサーで、憑依っていうか、何か憑いてしまう感じの人がいますよね。そういうのとは違うんでしょ。

Y いや、そういうふうなのに憧れてますね。

――へえー。男って、あんまり憑きませんよね。

Y そうですね。

――女の人はすぐどっか行っちゃうって思うけど。いつのまにか神様と交感してるじゃないですか。男はなかなか神様出てきませんね。

編 大野一雄さんの場合はどうなんですか。

Y そのもの自体が神様みたいな方ですからね。

――生き仏? それにあの人は、まず女になってますから、女になった上で憑く、飛んでいくんですよ。男のままじゃないでしょう。

Y 女装しょうかな(笑)。次の次とか。

――この間、いろいろ言ってたんですよね。Vorquenで、次は純愛もの、その次は映像の実験、その次ですね。サイトウマコとか、ヤザキタケコとか。

Y マリーはそのままでいいし、杏奈は男できるし。究極的にぼくはそれを夢見てますね。トランス状態に陥ったまま、自分を見てるっていう感覚。

――由良部正美さんを見てると、やっぱりどこか行ってると思うんですけど、でもその行き方が女性のダンサーとはちょっと違うような気がする。まずしつらえてるじゃないですか。マリアとか小町という枠を作って、行くでしょ。そういう意味では大野さんと共通してるのかな。男にはそういう装置が必要なのかな。

Y ぼくも思いますけど、由良部さんって、すごいエンターテインメントの部分がありますよね。きちんと流れを作ってはるし、けっこう近いのかな。

――きっと、そう思いますよ。起承転結みたいな構成をちゃんと作ってはりますよね。

Y 女性とは全く、感覚的に作り方が違うんじゃないですかね。

――女性の場合は何だか、からだが動いてる、そのことだけで近づいていくように思えるんですよね。からだを動かす、たとえば回ってるだけで行っちゃう。川西宏子さんみたいにね。

Y で、見ててもあきないんですよね。

――8月には伊藤キムさんと競演ということなんですが、伊藤さんとはわりと長いお付き合いでしょ。

Y 付き合いというほどのことじゃないんですけど、数年前から知ってます。最初にアビニョンで彼の舞台を見たんですけど、面白いというか、動きの中で、けっこう自分に近いものを感じたんですよ。それでちょっと話をしに行って。タイプ的にも細身で似てるんですよ、ちょっと今ぼく太ってますけど(笑)。すごくシャープで、爬虫類的で、すごく個性的なんですよ。今回は、彼の個性にいい影響を受けたいな、というのがあるんです。

――TORII HALLDANCE BATTLEという企画ですね。その第1回の森さんと山崎さんの場合は、動き方でもかなり異質な部分があったと思うんですよ。ヤザキさんと伊藤さんだったら、わりと近い部分があるとぼくらも思うし、かえってそれで作りにくいということはないんですか。

Y 似てる分、作りにくいということはあるとは思うんですけど、基本的にソロ1本ずつやって、2人でしょ。とにかく1回絡みたいですね。個人的な欲求として、そういうのがあって、それをお客さんにどう楽しめるような作品ができるかということですね。それ以上のことはまだ今のところは読めないですけど。彼もすごいもの持ってますからね、ただでは終わらないやろ、と思いますよ。

――今回は伊藤キムの動きを堪能できるだろう、という楽しみもありますよね。ぼくなんかが楽しみに思うのは、一見たしかに似てるような動きを持っている2人だけれども、一緒にやってみたらなんかすごい違うな、っていうところが見えてくるんじゃないか、っていうのがすごく楽しみなんですよ。そこが見どころになるんじゃないかと思うんですが。

Y そのアイデア、いただきます(笑)。

――ソロで踊られたり、カンパニー、たとえば彗星舞遊群っていうのを持っておられるけど、彗星は自分で作っていくところですけど、それから今度の冒険ダンス団とか、あるいは即興的なユニット、そのあたりのことを最後にお尋ねしたいと思います。
 先ほど、ソロで踊られるとき、何かの役になっていくというお話がありましたけど、そしたら2人やら数人で踊るときは、同じですか。

Y ソロに関して、たしかに演じるという意識はあるんですが、アイデアとか、構成は、ソロって「自分さがしの旅」って面が強くて、自分はこういうとき何を考えるんだろうかとか、この曲を聞いてどう思ってるだろうかとか、自分を探しているという意味でやっぱり素(す)に近い状態なんですね、作るときは。で、出すときにそれを演じるんですけど。ぼくの表現としては、自分を演じるんです。そうでないと、やりきれない。

――今度は何を演じようかっていうのを探す、という意味で「自分さがし」なんですか。

Y 何を演じようか、じゃなくて、自分は何を考えているのか、何に興味があるのか。で、見せる手段として、演じるんですよ。何を演じたいとかいう目的があるんじゃなくて、自分を掘っていくところから構成していって、この仮面を借りようということで演じる、というパフォーマンスになるんですけど、基本的には群舞でも同じです。

――群舞の場合、たとえば彗星舞遊群や、冒険ダンス団のヤザキさんの作品では、自分で作っていく世界ですよね。

Y あのね、ぼくは師匠が「自分の世界を、コマを使って作りあげていく」っていうタイプだったのを、どこかで否定しているんですよ。おそらく潜在的に。だからぼくは、ダンサーをコマとして扱うんじゃなくて、「この時君ならどう思う、どう動く?」って聞きながら。あらかじめ台本があって、というんじゃなくって、現場で台本を書いていく。そういう感覚なんですよ。

――即興的というのとはまた違うかも知れないけど、一応枠はあるけれども、そこで自分のソロと同じように彼女に「君はどうなのか」を問うていく。

Y 何か与えるから、何か引き出してほしい。でないと、ぼくが考えてぼくが作りあげてしまうだけの作品なんか、多寡が知れてると思うんですよ。本当に。人間との付き合いだと思うんです。だから「師匠と弟子」とか「振付師とダンサー」なんていうのは、同等であるべきだと思う。

――たまたまヤザキさんはその中で全体構成を考える立場ではあると、そういう感じ。

Y そう。いいダンサーというか、いい感性、動けなくてもいいからすごい感性持ってたりとか、逆にバリバリ動けるけど感性なしとか、両極端な、とにかくスペシャリストと一緒にやりたいな、というので冒険ダンス団を、となってきたんですよ。そういう欲求があったから、バニョレ終わってから、サイトウさんに声かけたんです。

――すると冒険ダンス団では、ムーヴメントに力を入れるんですか。

Y この次回の作品については。

――とにかく踊りまくる、動きまくる、踊らせるっておっしゃってましたけど。

Y 杏奈に。でもね、キャラクター付けは、すごくします。「眠り姫」っていうんですよ。イメージ的な題名なんですけど、姫のイメージは、「エイリアン4」のリプリー。それをよみがえらせるのが、なんていうのかな、狂言回しみたいな二人で、ぼくとサイトウさん。けっこう今ふうに黒のスーツでビシッと決めて、ヒョットコの面かぶって、何者なんだ、っていう存在。マリーさんは、最初に一輪車で杏奈=眠ってる姫をズズズーッと引きずり回してる、召使みたいな感覚のもののけなんですけど。シチュエーションはそこから始まるんですけどね。とりあえずぼくら二人が杏奈を眠りから覚ますっていうのを、アイデアは34年前に室町瞳とやった「曽根崎心中」からもらってるんですけど、文楽的な動きで踊らす。

――人形みたいな。

Y 人形になって、二人が持って動かす。

――右、左、っていう感じで。

Y それでどんどん魂を吹き込んでいくっていう。前の時は、横山君のアイデアで、ぼくが振り付けていったもので、一回踊りだけの作品にしたいと、前の時から思ってましたね。もう4年前になるんですねぇ。一度それを3分の作品で発表会で、杏奈とぼくと、また違う女の子とやったことあるんですよ。それもまた面白かった。それをもっと本格的にしたいなっていうのが、根底にあったんです。で、どんどん生き返らせて、ちょうど生きてるか生きてないかの中間みたいなところで、ソロでぼくら二人が音を出しながら動かすんです。どんどん息を吹き返してきて、生き返って、そこでぼくらが関係を持とうとするんですけど、逆にやられてしまう、最終的には殺されてしまう、という構成で、それを踊りで、アクティブな動きで見せていきたい、というものなんです。それで何を表現したいんや、って言われるとね。

――この間の質問みたい。(注=AIホールで行われたボリス・シャルマッツのダンス公演のあとのフリートークで、ある女性が発した質問のこと。ヤザキも上念も同席し、こけた)

Y (笑)。一応ね、いろいろな見方があると思うんですよ。サブタイトルというかテーマ的なことで言えば、現在の価値観を疑え、っていうことが頭にあるんですよね。自分が持っている価値観を疑え。そこへ結び付けたい。それはまあ、見てる人の側のことですけど。

――それは結び付かないと思いますね。

Y (笑)、ぼくはあえて言われると、そう答えようと思ってるんです。根底にはそういうことがあって、別にプログラムとかには書かないですけど。

――それは見てのお楽しみにしたほうがいい。そういうものっていうのは、ストーリーみたいなところからじゃなくて、動きから出てくるものだと思うから。

Y 「セキバク」(注=TORII HALL、アルティ・ブヨウ・フェスティバルで上演した、ストーカーみたいな危うさを扱った作品)をやったでしょ。あれのもっと濃い、キャラクターの濃いやつ。化け物バージョンみたいな。そこを狙ってるんです。

――ストーリーは、ストーリーっていうとおかしいかな、構成は単純ですよっていうことになると思うんですよ。その中で、4人の動きなり存在感をどうすごく見せていけるかっていうところが勘どころなんじゃないですか。

Y とにかくぼくは踊りでね、芝居でやってるぐらいの感覚でキャラクターを際立たせたいんです。バレエみたいに衣装とかで際立たせるんじゃなくて、動きで。それはやっぱり演劇的な発想なんかもわかりませんけど。

――そういう身体的な表現力のあるダンサーでやりたかったという、それがこの冒険ダンス団の目的だっていうことですね。

Y ぼくの、目的。でも表現っていっても、よくあるような、感情を表に出しながら、っていう、そういうのは絶対にしたくない。そういう意味で演劇的とか表現的っていうことを捉えてほしくはないですね。つまり、それがぼくの言う「リアル」ってことなんですよ。

――リアルっていうのも難しいですよね。誤解されやすいんじゃない?

Y うーん、演じるんじゃないんですよ。存在したいんですよ、その感情が。

――動きによってキャラクターが起き上がってくる、ということ、そこですよね。台詞とかいわゆる演技じゃなくて、動きによってわきあがってくる、なんて言うのかな。

Y 感情とか。

――感情とか、キャラクターっていうか……たとえば動き方の小さな癖みたいなものでその人の性格みたいなものが見えてくるの、それともドラマっていうか……また言葉が演劇に近づいていくなあ。

Y でも、いい演劇はお芝居じゃないんですよ。演じてるって思わせない、存在してるんでしょう。

――ああ、「そこ」にね。

Y バレエみたいなところでいう演劇って、ポーズでしょ。だから、本質的な存在がそこにあれば、それでいいんですよ。

――そこに「現在する」っていう感じがありますよね。300年前のお芝居やってても、そこにいる、と、それこそお初徳兵衛がいるように思えるとかね、そういうリアルね。そういうリアルさをダンスで実現したいって言うと、かえって逆にまたお芝居みたいな再現的なものなの、って言われるかも知れない。

Y 現象的なもの。現象って、そこに行われているもの。それを覗き見ている。

――じゃあそれを踏まえてね、踊る、ダンスを見るっていうのは、いったいどういうことなの。

Y 見る側にとって?

――そう。

Y それはぼくの中ですごく希望があってね、戦後の日本人はね(笑)、アメリカナイズされて、エンターテインメントを見るのに慣れて、与えられるものばかり見せられている。映画でも、スターを使って楽しませる、起承転結がはっきりしていて、勧善懲悪とか、そういうのに慣れてしまっていて、情報依存、論理依存というか、人がコメントしたものについてしか納得しない。それから、ここで笑っていいのか泣いていいのかも、回りを見ながら判断したりとか、そういう意味でダンスっていうのは考えさせるっていうか、イメージをお客さん一人一人に豊富にしてもらうためのものだと思うんですけどね。

――ぼくがダンス批評を演劇批評と並行してやってて、一番難しいと思うのは、演劇批評っていうのは、ストーリーを再現して追っていけば、ある程度説明できて、成立するんですよ。ところがダンス批評は、自分で、どう言ったらいいのか、創るんです。そこが決定的に違う。演劇だと、ストーリーを説明することができるじゃないですか。ところがダンスを説明するのは、無理なんですよ。だから、ダンスを見るっていう行為は、ダンサーと同じものを作り上げるのに等しいんです。そういう主体性が必要とされるっていうのが、ダンスをムーヴメントのテクニックだけで見るのでなければ、ものすごく難しい作業だとしているところだと思います。

Y ぼくはその中間っていうか、程よいあたりでやりたい。

――「つかみ」としては、ストーリーや構成を一応あげる、っていうのは必要でしょう。

Y そう。で、あとは自分で世界を作ってください。自分のイメージを楽しんでください。そういうことを、お客さんに対して期待したいんですよ。そこらへんで、演劇見るのと踊り見るのとでは違いますし、踊りはわからないっていうひとがけっこういる原因だと思います。

――それはしょうがないと思いますよ。全然違うもの。やっぱりわからないですよ、そういう意味では。それこそ「何を表現してるんですか?」って、聞きたくなって当然かも知れませんよ。

Y そうですよね。踊りを知ってる人だけ相手にしてるんじゃ、踊りの世界は広まっていかないから、いくらかその中間を目指そうかと思ってるんです。

――そうですね。ぼくが今回の冒険ダンス団にさかんにハッパをかけてるのは、こういう「憂国」とかハラキリとかのキャッチーなものを、どんどん外へ出して、一般客を呼び込んでいって、広げていきましょう、ということです。いくぶんかそこで犠牲にせないかん部分があるかも知れませんよ。でも、それは絶対回収できるって。

Y そうですね。やっぱり、抽象やりたいですよね、最終的には。ぼくはでもね、俗悪というか、俗っぽい人間だと自分で思ってるから、ていうか、一般的な感覚しかないと思ってるから、ぼくはそういう感覚でやったほうがいいんじゃないかなというところもあるんですけどね。そこの窓口になれればいいんかな、って。

――サイトウさんの作品でも、一種の濃いい世界を作ったりとか、動きで見せるときでも男一人と女二人がいて、なんか男女の三角関係を思わせるようなドラマが上がってきてたりするでしょ。そういうスリルとかを見せることで、面白いからだの緊張が送れるじゃないですか。そういう意味では今回の4人というのは面白い組み合わせなんだろうなと思います。サイトウさんとヤザキさんが一緒にやるというのは、ぼくはとても理解できる。

Y ぼくもそう。去年のピッコロの作品を見て、一緒にしたいな、と思った。

――すごくスキャンダラスな作品になりそうですね。もののはずみで、サイトウさん、ほんまに腹切るかもしれへん、って言うてはるし。

Y なんか、目付き違いますもんね。

――初日に見たほうがいいかも知れません。

Y 二日目はお葬式。ダンスヒストリーに残りますね。

――「するかもしれない」って言うこと自体のケレンね。ある意味では人騒がせなケレンみたいなものも持っていいと思うんですよ。確かにモダンダンス、コンテンポラリーダンスっていうと、ファインアートっていうか、高等芸術かも知れませんけど、芸能的な側面もね、ちょっと持っていい。人にからだ見せてなんぼ、ってやってるのに、芸術でございますばっかりじゃあ、あかんでしょう。

Y 芸術ってね、お客さんが判断するもんやと思いますわ。そこらへんも、感覚的にちょっと違うんちゃうかなと思うところですね。だって、絵本でも、読む人によってはすごい哲学書でしょ。芸術もそういうもんやと思う。だから、変にしゃちこばって、厳かにやるのって、わざとらしいな、って思えてしまう。

――ある時点では、冒険ダンス団もホールでやらずに、別のところでやってみるのも面白いかも知れませんね。

Y もう一つの目的というか夢は、これでツアーをしたいな、っていうことなんです。


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©Shozo Jonen 1998, 上念省三:jonen-shozo@nifty.com