1985年金沢美術工芸大学油絵科に入学。在学中に86-88年、山本萌(金沢舞踏館)に師事、全国の公演に参加する。卒業後、大阪にて身体・美術・映像・音楽を有機的に結合させる実験的ユニット「P.S.Mode」設立。各ジャンルのアーティストとのコラボレーション作品の創作、発表を行う。93年、身体の表現に重点を移し、ダンスカンパニー「天游館」設立。ダンサー、振付家として公演活動を重ねる。
以後、年1、2作の新作を発表。これまでに20数作の振付作品を創作している。舞踏によってつちかわれた身体性と都会生まれのリアリティを前提に、現代性を取り入れた独自の舞台活動を展開。身体と日常の関係を詩的に表現する。照明、衣装、舞台美術に独自の感覚を編み込み、緻密な世界観を構築している。
2001年1月ロリーナ・ニコラスの振付家のためのワークショップを受けて、新しい創作への転機となる。
主な振付作品として「天迷宮」「HOUSE」「月面に書かれたがごとき、私の名前」「DiAgRaM」など。
天游館ダンスパフォーマンス「O.C.R.」2001年10月3日トリイホール
吾妻琳を中心に、増井宏美、そして西坂直と若本佳子がゲストダンサーとして参加。今さら言うまでもないが、吾妻は山本萌に師事した経験があり、舞踏からスタートしたダンサーである。O.C.R.は、まず「Optical Character Reader」であるが、「Open your eyes, Close your mouth, Remember me without every word」(目をあけて、口をとじて、言葉よりも、私をおぼえていて)とサブタイトルされている。
まず吾妻が、とても不格好な形で現れる。膝を曲げ、背を曲げ、うつむくよりももっと深く、とてもみじめに。まずこの姿によって、この作品の時間の色調が決定されたといっていい。
吾妻は背を丸め、客席に背を向けて体育座りしてしまう。若本が現れ、彼の背中にスライドを投影する。雑踏や、ショーウィンドウ。若本がスライド映写機で自分の顔を照らしたり、客席にまともに当てたりしていると、シモ手から増田が腰を落としてその映写機に向かっていく。若本は退くが、しばらくすると逆に映写機を構えて増田を押し戻す。ただの二人の女性の押し引きであるのに、間にスライド映写機があることによって、ひじょうに新鮮なもののように見えるのが面白い。これを投影という言葉を鍵に一つの喩として見てももちろん面白いが、若本の押しで増田が後転してしまうようなところ、この関係の中の力という点で、ひじょうに強いものがあると思った。ここに介在するスライド映写機という装置は、もしこの動きが古典的なあるいは舞踏によくあるものだったとしても、激しく変質させる力を持っていたといえよう。
西坂が出てくると、吾妻が少し姿勢を楽にし、ゆっくりとこちらに振り向こうとした。西坂の動きの表情も、他の作品で見た時よりもずっとストレートで力がある。西坂が吾妻の背に座り、ゆっくりと右手を出すと、吾妻の左手がつられるように上がり、その2本の腕が形作った平行には、ひじょうに美しい力があった。
一人になった吾妻は、頭を中に入れて尻を落とし、肘を張って頭を抱え、虫のように動いていく。一歩一歩の足の出に強い力が感じられる。ノイズを出していたラジオから、やがてロックンロールが流れると、カクカクと関節を入れ、徐々に立ち上がろうとするようだ。吾妻のダンスの見ものの一つである、舞踏風のモンキーダンス(思いつきの表現だが)が始まるのを今か今かと待たされる気分になる。しかし彼は2本の足でようやく立ち上がると、関節を抜き外ししながら、頬をプクプクさせ、ピリピリ震えながら歩くだけである。といっても決してがっかりしているのではなく、この歩行に至る長い道程について、生命がようやく孵化したような流れを美しく感じることができる。
そこへ若本が背を後ろに10度ほど倒してゆっくりと入ってくる。時折垂直になり素早く歩くが、また元に戻る。吾妻が屈み込む前を若本が横切り、暗転する。うまく説明できないのだが、強烈な余韻の残るシーンだった。一つには若本のその歩行の不自然さがある。そしてさらに大きいのは、吾妻と若本の位置関係が美しく計算され、その遠近が強く情緒的であるように思われるからに違いない。
続く増井と西坂のデュエットでは、増井の丁寧の動きが目を引いた。上体を回したり、身体を掻いたりする動きの一つ一つに気の抜いたところがなく、たとえば二つの掌が平行に動くところできっちりと平行がキープされているのには、当然かもしれないが美しいと思った。
若本が持ち出した旅行鞄の中には旧式のレコードプレイヤーが仕込まれていた。ドーナツ盤で太田裕美の「木綿のハンカチーフ」がかかる。若本がマイクを持って外れたハミングをするのだが、これは恐ろしい。続いて吾妻が今度は「YMCA」、それから演歌だ。乗ってるかと思うと、急に大音量になって深いリバーブで「ア、ア、ァ、ァ、」と声が増幅される。この増幅と変調には、日常に対するデフォルメされた恐怖心のようなものが感じられた。
ワルツに乗って西坂と増井が吾妻を挟んで闊歩したあと、吾妻がやや自分をもてあましているようなソロを取り、続いてシモ手から蛍光灯ペンダントを出してくる。その真下に正座し、指をメガネのように手に当て前のめりになって、何かを覗いているような姿勢になる。後ろで女たちが踊る。さびしい男が一人住まいの居室で窓から覗きをしているような光景だ。ここの若本のキックの強い動きが面白く、増井のロールが印象的。吾妻が蛍光灯のスイッチを入れると、蛍光灯は明滅し、吾妻の動きが徐々に大きくなる。形の個々の美しさもさるものながら、全体が一人の男の一つのたたずまいになっているのがいい。これがおそらくプログラム等に書かれていた「ヨナグニサン」という世界一大きな「大きすぎて飛ぶのが下手な」蛾のことを意識したシーンだったのだと思われるが、この長いソロの一連の動きの中で強く印象に残ったことがある。それは、吾妻は舞台上で前進する時より後退する時の方がずっといい表情をしていることで、それが造ったものであったにせよ、意識せざるものだったにせよ、決してスマートではない一人の男の立ち姿として、この作品冒頭の不格好さから引かれた緊密な線として、ひじょうに強く鋭いものだった。
さて、この作品は全体を見渡すと、一つに3人の女性ダンサーがいい持ち場を与えられてそれぞれの個性と魅力を遺憾なく発揮できたことが美点であった。そして、吾妻のヨナグニサンに啓発されたかなぞらえたかした一つの自画像としての不器用さが、しっかりと立体的に提出されていたことが、ダンスの作品としてその技術だけでなく、世界観、人間観として感動的だった。そして舞踏の動きや発話法が、そのために自在に折り込まれているように見られたことが、これまた舞踏というものを含み込んだこれからのダンス(=踊ること)の可能性を感じさせてくれたことを強く頼もしく思った。
天游館「月面に書かれたがごとき、私の名前」 2000年9月4日 TORII HALL
トリイホールのプロデューサーである大谷燠をはじめ、多くの舞踏家や舞踏関係者に話を聞くと、舞踏の集団は生活や公演の資金稼ぎにキャバレーめぐりをしたりしていて、そこで身につけた娯楽性、ショーマンシップというものが舞踏の重要な要素になっていたという。それは現れとしては時折一種突き抜けたような明るさとして姿を見せ、ぼくのような暗黒舞踏をリアルタイムで知らないものを驚かせる。だって、いつも写真で見る舞踏はというと、おどろおどろしく、情念や土俗やというような、要するに人間の暗部を暴き奥底からえぐり出すような作業としてしか伝えられていないように受け止めているからだ。
以前から天游館の吾妻琳については、ちょっと軽めで色気のある動きが、自身の動きに対する自由な考え方から来るものだと、舞踏に新しい空気を吹き込める人だと思っている。この日も吾妻は、赤毛のかつらをかぶり、ロックンロールに合わせて舞踏ともツイストともつかぬ奇妙な腰の動きを見せた。マジメにイッてる。すごくコケティッシュで田舎くさい。音が止んでも踊っている。
吾妻の動きそのものには、柔らかさと共にどこかが麻痺しているような、妙に観る者を引きつける色気がある。殊に不思議な小動物のような動きをさせると、とてもチャーミングだ。注文をつけるとすれば、もう少し激しい鋭角性も見せてほしい。手刀を切るような動きの部分でのスピードがやや物足りない気がして、残念に思ったのだが。
アイデンティティやコミュニケーションに関わる電話帳、名札というようなものが、やや劇的な色合いを帯びて提示される。パリパリに乾燥した電話帳、舌なめずりしながらそれをカラカラとめくる女……意味ありげな動きやオブジェが現れるが、それらはすべてそもそも壊れている。その柔らかな壊れぶりが不思議な魅力を醸し出している。
この公演でぼくが最も好ましく思ったのは、いくつものシーンで、俗な音楽や滑稽な動きなどを出しながら、すべてを正面から受け止め、取りくんでいるような不器用な誠実さを感じたことだ。冒頭の男女のお尻のヌードにしても、ラストの多数の名札を身に着けた姿にしても、2階から落ちてくるたくさんの電話帳のページで折られた紙ヒコーキにしても、あるテーマが素材のままにポンと置かれたような率直さによって、とてもストレートに伝わってきたように思う。