その他


突出した身体の饗宴だからこそ

 そもそも教育としてのスポーツは、近代の産業革命以後の工場労働や軍隊での隊列行進を行うために、野生のままの身体を標準化するために成立したという。右手と右足が一緒に出る、いわゆるナンバ歩きをしていた人々の身体を、整列行進できるように「改造」するための壮大な教育プロジェクトだったというわけだ(三浦雅士『身体の零度』による。1994、講談社)。われわれの時代は今まさに、近代(モダン)を超え、近代以後(ポストモダン)を見失い、そのまま21世紀に突入する。近代によって標準化された身体を開放し、新たな時代を築いていくのは、突出した身体だ。それはスポーツとダンスによって創られる。

 では、ダンスはスポーツだろうか? 確かに、ダンスに関する多くの重要な学術論文は、「体育の科学」や「体育科教育」のような雑誌に掲載されているし、実際のところ新体操やシンクロナイズドスイミングなどは、特にダンスと近接しているように思える。共通しているのは、身体の錬磨をベースとしていることだ。スポーツの中でも競技種目なら、より速く、より高く、より長く、と数字に表われる成果を追求することができるが、このような審査種目では、優劣の客観的な基準を明示しにくく、目標を自ら設定し、達成し、また設定して技量を磨いていくのだろう。

 そのような錬磨が、ある地点で袂を分かつことになる。その岐路とは、身体がいつまでも個人の身体であるかどうかということにかかっている。おそらくスポーツは身体を離れることはないが、ダンスはしばしば身体を離れようとする。あるいは、身体の存立基盤である健全さを離れて成立しようとする。新田博衛という美学者は「日常的身体をそのまま延長していっても舞踊的身体にはならない。前者はいったん否定されることによって初めて後者になりうるのである。したがって、日常的身体の具えている諸々の性質、生理学的な健康さとか、形態の美しさとか、道具としての機能の良さとかは、舞踊と何の関係もない」と言い切っている(「身体と舞踊作品」、1974)。

 スポーツと同じ地点から出発したはずのダンスが、いつしかずいぶん遠い地点まで来てしまった。日本が世界のダンス界に誇る舞踏(Butoh)の第一人者である土方巽(故人)も「五体が満足でありながら、しかも、不具者でありたい、いっそのこと俺は不具者に埋まれついていた方が良かったのだ、という願いを持つようになりますと、ようやく舞踏の第一歩が始まります」と語っていた。ダンスの身体は、標準性から突出しようとして、そのような境地を獲得した。

 スポーツは記録と美と感動を追い求めて、数々の超人のドラマを生み出していく。ダンスは美と感動と非日常を求めている。突出する身体が集まると、スポーツではまず競い合うことになる。その後に信頼と友情が生まれるだろう。ダンスでも、コンタクト・インプロヴィゼーションなどといって、異なる出自を持つ身体が互いの動きや反応を探りつつ感じつつ、一連の時間を創っていく接触即興(という訳語を当てたのは舞踊評論家の市川雅)という場を持つことができる。

言葉を使わないから言葉を超えたコミュニケーションができるんだ、などと安易に楽観しようとは思わない。とことん鍛えられ、考えぬかれた身体だからこそ、競い合った後に理解することができ、相手の動きを呑み込んで自分の動きに転じていくことができるのだろう。そんなふうに成立する理解や友情こそ、本当に深く強いものとなるだろう。そのようにして、異なる文化から集う人々の間に大切なものが生まれる現場に、ぜひ立ち会いたいと、切望する。('00.5


東山ダンスミニシアター 2001325日(日) 京都市東山青少年活動センター

@ Soft Cream」辻野恵子+つき山いくよ+納谷衣美+荻野晴生

荻野とつき山が椅子に座って、荻野が村上春樹の『回転木馬のデッドヒート』から断片的に朗読をする。その周りで辻野や納谷がなんだかダルそうな感じで飛び跳ねたり頬をペタペタ叩いたりする。印象的だったのは後半、「オン・ブラ・マイフ」をバックに荻野とつき山が何かを伝えようとする信号のような動きをユニゾンで始めた時で、これまでに読まれた言葉、見せられた動きの蒸気のようなものが漂ってきたようで、ちょっと自分でも驚いたほど感動した。「手助け」というかたちで砂連尾と寺田の手が入っているそうだが、身体のもつ手ざわりのようなものがうまく感じられた、いい小品だった。

ロビープロジェクト

終演後、この日の出演者をはじめ、竹ノ内淳、ENTENのメンバーらがロビーで延々と即興で踊っていた。何人もが、自由に踊りの輪に加わったり離れたりして、とても楽しそうだった。誰かが長ーい間逆立ちをしているのを見て笑ったり、北村が小道具で使ったリンゴを配り歩いてくれたのでかぶりついたり、何だかとても楽しかった。踊りというゆるやかなつながりが、ここにできているような気がした。それがこの日だけのことではなく、いつでも生まれ出るものであればいい。ここがそのような場所になればいいなと思った。 


ダンスを売る

 パフォーミングアーツ・メッセ2000in大阪という催しがあったことは、どれほど知られているのだろうか。ぼく自身、どのような内容の催しであるのかあまりよくわからないままにチラシを頼りに(でも有給休暇までとって)にわか雨におびえながら大阪国際会議場という立派な施設を訪ねたのだ(82日)。

 メッセというからには見本市で、各ブースに様々なパフォーマンスアート関連団体が「お店」を出している。吉本新喜劇や松竹芸能、大フィルなどの音楽団体、いくつかの劇場、桃園会や199Q太陽族などのいわゆる小劇場劇団等に混じって、ダンスのグループが一角を占めていた。この催しに多くのダンスグループが参加したことの意味は、言うまでもないが、ダンスを流通させる(売る)ためにはどのようにすればいいかを、改めてダンサー自らが意識したことにあるだろう。

ぼく自身、大学事務局で学生部などの仕事に携わっている人間として、アジア・アフリカ系の民族芸能や音楽のグループを大学祭や創立記念日の行事に招いてはどうだろうか、それにはどれぐらいの予算が必要だろうかと、けっこう仕事意識で各ブースを回っていた。ぼくの発言力がもう少し大きかったら、大学祭でダンスフェスでも企画しよう、などと夢想もした。来場者にもっと大学関係者や自治会の学生がいればよかったのに、とも思った。

 そのようなことが実現し、実際に各地の地方自治体や学校がこれらの団体を招き、市民や生徒がナマで様々なパフォーマンスに接することができるのは、まず、いいことだ。見本市という、ビジネスに直結するスタイルのイベントの中に小劇場演劇やダンスが置かれたのは、画期的だと言えるだろう。ダンスのグループは、かなりがんばって充実したプレゼンテーション用の資料を作っていた。中にぼく達がこれまで書いてきた公演評の文章等を転載してくれているものもあり、光栄に思うと同時に、ぼく達の役割というものを考えることもできて嬉しかった。

 しかしあえて注文をつけると、それらプレゼン資料の多くは、自分たちのプロフィールや活動を説明することに懸命で、自分たちが招聘された場合に何ができ、どんな効果をもたらしうるかということまでは十分に説くことができていなかったように思う。当然のことだが、地方自治体や文化団体、学校は慈善団体ではないのだから、いくばくかのお金を払うためには何がしかの効果が期待できることを上司や上部機関に説得できないと動けない。

 いま一般市民(って変ないい方だけど)や生徒にダンスを見てもらうことに、どんな意味があるのだろう。あなたが踊り、ぼくが見るという関係性が広がりを持っていくことには、どのような意味があるのだろう。この問いに対する確とした答えを用意できなければ、あなたが踊り続け、ぼくが見続けることに意味はないんじゃないか、とそんなことを思った。

 メッセでの濱谷由実子、北村成美のステージをはじめ、7月以降、藤田佳代舞踊研究所、ヤザキタケシ率いるアローダンス・コミュニケーション、ヨシ・ユングマン、クレア・パーソンズ、などと多様なダンス作品を見た。見逃した公演も多い。ぼくはそれに並行して若手を中心としたいわゆる小劇場演劇を見、宝塚歌劇を見ている。比較してどうこうとか、ジャンルで一括りにしてどうこうとは決して言わないが、それぞれ固有に見る者と見られる者との間には問題を抱えている。普段はそんなことを忘れて、ただ目の前で生起することに夢中になっているだけなのだが、ちょっとしたきっかけで意味とか考えてしまうと、どうもあまり明るい気分にはなれない。(2000年、PAN PRESS


ダンス、来たるべきもの(またはオマージュとして)

 これからもダンスは、そこにあるただ一つだけの個有の身体によって踊られなければならないだろう。交換可能な身体や舞踊機械あるいは複製または模倣したものであるような身体は、多くの他のものと同様に消費され過ぎ去られ、記録されるものとしてしか未来という時間の中には残らないだろう。

 ダンスは記憶の中に残るだろう。多くのノーテーションが試みられ、様々なメディアがダンスを記録するが、わずか数センチの人差し指が立てられ、どこか何かを指し示す時、指し示された彼方に虚空があるか、無さえないのか、はたまた球面幾何学の定理によってそれ自身の内奥が激しいスパークによって焼き切られてしまうのか、それらすべてはぼくの中に、深い矢痕として残るだろう。

 ダンスすることと、それを見ることの関係が一方的なものであるとしたら、それはフィルムやビデオと同義である。それがインタラクティブであることを覚悟して、両者はひとところに集まるわけだが、そこで展開された時間が濃密であればあるほど両者の満身は瘡痍となり、内部の変成は深奥に至る。だから、同時代を生きることの喜びを最も深く味わうことができるのも、ダンスにおいてである。

 ダンスは、記録されることによってではなく、語り継がれることで、永遠に近い生を獲得するだろう。語り継ぐことは、いうところの情報を伝えるためではなく、本当は言葉にならないことをこそ伝えるための手段である。たとえばそれは、表情や嗚咽によって最もよく伝わるのだろう。ぼくは「ウリ・オモニ」を見ながら、隣りでただただ嗚咽していた女性の、しかし最後まで両眼を見開いて舞台をしっかり見続けるような、強い文章を書きたい。

 かつて消滅すると予言されたアウラなるものが最後まで残るのは、ダンスする身体においてだろう。それを消し去ろうとして躍起になるダンサーがいたとしても、そのことによってかえって聖性は保証されるというジレンマから、彼または彼女は逃れることができない。それは劇場という装置の中で、スポットを浴びて行為されるからではなく、踊るということを自らに課した時から、その体内で聖性が生成されているからに他ならない。

 聖なるものが衰えない、滅びないと思うのは、祈りに過ぎない。少なくとも人の身においては、聖なる時間は瞬間である。衰えゆく身体の、自らが衰えつつあることを知っていることの、なんと豊饒なことか! かつてはよく踊ることを自らの誇りとしたクラシックバレエのダンサーたちが四十歳を越えた成熟というよりは爛熟した身体を抱えて踊る時間には、衰えること、終わること、限りがあること、滅びること、つまり一般に負であると語られているすべてがあった。しかし、残念なことにそれら人間にとって逃れることのできない重要な段階は、どうもそれらが我が身に生じてみて初めて実感し表現できる種類の傾きであるようで、どうしたって若いダンサーには表現することはできなかった。だから人生の半ばを過ぎようかという成熟した身体をもつ彼らの時間は、まことにおそろしいほどの、最終的には死につながる豊饒の美に、満ち満ちていた。

ダンスは一人称であり続けるだろう。もしそこで踊っている者が、他人の生を生きているようなふりをしていても、それゆえにこそあふれ出てくるその者個有のにおいを、見る者は嗅ぎつけ、よろこび、陶酔するだろう。

 人間の身体が一つ一つ異なっていることを、その動きが個体によってずいぶん特異なものであることを、どれだけじっと見つめたことがあるか。かなしみが人の数だけあるように、よろこびが人の数だけあることを、どれだけ仔細に見つめたことがあるか。動くことと動かないことの間には大きいのか小さいのか幅があるとして、人はその幅の中で自分の動きを動くのだが、人はその末期にどこか南の国の祝祭のようなよろこびを踊るのではないか。その踊りをこそぼくは来るべきものとして、待っている。

* なお、この文章は金満里、劇団態変、そしてネザーランドダンスシアターVの公演による印象をふまえている。                    (「イマージュ」20号)


BODY SCAPE

 小学校を訪ねるという、そのこと自体ですっぱいような感情がわいてくる。そして一歩足を踏み入れると、木の床に塗られたニスの匂い。難波の戎橋筋の真ん中、まさにミナミの雑踏の中に、精華小学校が跡地として残っている。そこで由良部正美エメスズキBODY SCAPEと題して行った公演は、意外にも生と死、夢と現実を往還する蜃気楼のような時間となった(2000416日所見)。

 まず、ダンサーやミュジシャンはもちろん、音、光、映像、といったすべてのスタッフワークが素晴らしかったことを強調しておかなければならない(音響=秘魔神、照明=三浦あさ子)。音の近さ・遠さはとてもダイナミックだったし、校庭から扉のガラス越しに目に入る光の色(街の灯りも含めて)や舞台上の杳さの遠近も、校庭で人形のように静止している黒服の男女の存在も、作品としてのトーンを深め定めるものだった。

 この作品でぼくがこれから大切にしておきたいと思ったことは、言葉にすると平凡になってしまうが、身体の向こう側に見えるものは、死だけではなくて、生誕以前の形を成さないすべての根源であってもいいのだな、ということなのだ。由良部やエメは遠い眼ざしでこの世に存在していない者のように虚空を見つめ、特に由良部は天上の者のように重力を感じさせない上半身の動きを見せたが、それを必ずしも死者の舞いであるとばかり受け止める必要はないのだな、と慰められたような気がした。

 それがなぜだったかとあえて言葉にすれば、サイトウマコト濱谷由美子、松本芽紅見、若本佳子らの美しく大胆な昏倒、激しい旋回などによると言ってもいいのだが、つまるところそれら存在のすべてが、存在していること自体をいとおしまれなければならないほどに美しく哀しかったからだと言っておきたい。

(「PAN Press」)


Guys娘版

 TORII HALLへ「Guys娘版」。先日の男だけ+室町瞳による「GuysU」に対するもの。

 冒頭のハイディ・ダーニング振付「UkiyoeT」。A・I、ハイディ、濱谷由美子、池田一栄、北村成美、室町瞳、進千穂、田村博子による顔見世的作品で、全員着物を着てしゃなりしゃなりとしなを作ったり華道の所作をしたりするのだが、着物で日舞に近いようなことをさせられると、その基礎のあるなしの差が大きく出てしまい、ちょっと気の毒なぐらいだった。さすがに日舞の名取でもあるというハイディが決まっていたのがある意味ではアイロニカルなのだが、最後に「No! No!」と口々に叫ぶシーンがあったにせよ、それをアイロニーとして提出していたとまでは思えない。室町が見返り美人のように背を反らせるところなど、美しさが際立った。

 濱谷の振付による「Naive Devils」は、濱谷、進、北村、そして最後にハイディがルースソックスはいて女子高生になって踊るピースだが、それはともかく、客席のはたき方とか、ハイディの芸達者ぶりが楽しかった。しかし、前に置かれた作品とのギャップがあまりに大きく、ちょっと心から入り切れないようで残念。前の世界を振り切ってこの世界に浸ってしまうためには、やや時間が短かったようにも思う。そのような時間の短さは、他の、特に川西宏子のような特異な世界を作ってしまおうとするダンサーの作品に、最もつらい形で影響が出たように思う。全体に、このようなごちゃまぜの違和感にはたびたび苦しめられた。前の作品の余韻が切れないうちに次の作品が始まるだけならまだしも、当の作品の雰囲気に浸る前にその作品が終わってしまっては、台無しというほかはない。このようなスクランブルによって面白くすることもできたかも知れないが、今回に関しては、たとえばバラード編、R&B編というようにでも分けたほうがよかったように思う。

 池田の振付による「Chasm」は、そんな弱みをもろにさらけ出す形になってしまったように思う。池田、北村、田村の3人によるもので、美しくよく動いてはいたのだが、ある像をぼくの中に結ぶには至らなかった。身体の動きが、一つの感情としてぼくの中で収斂するに至らなかった。それが受け手のせいなのかどうか、ちょっとわからない。

 北村による「Baby Blue」は、まず面白かったと言える。M谷、池田、北村、室町、進、田村が、それぞれイスに座って、ちょっとしたバレエのポワントなどをする。ここでもバレエの基礎のある者とそうでない者との間にちょっと差が出てしまうのはお気の毒。ちょっとおちゃらけたユーモアだったりちょっと突っ張ったようなしぐさが、一つのストーリーに連なっていかずに、女の子たちの内輪のカラオケ大会みたいなその場だけの可笑しさを醸し出していて好感が持てたのだが、ちょっと思い切りに欠けたのか、痛々しさが仄見えてしまったのが残念。公演後ある男性ダンサーが、女性ダンサーが笑いを取ろうという姿は見ていられないと言っていた。しばらく話していたのだが、男の身体というのは滑稽でいいのだが、女の身体はどうしてもシリアスに(男にとっては?)思える。「美しくあってほしい」<理想的身体>として女の身体はある、ということなのかも知れない。女性にはそこまでさらけ出してほしくないと言うような、これって女性保護の名を借りた差別観かもしれないな。

 さらに一般論として言えば、男のダンスに比べて、女のダンスは自身のさらけ出し方が不徹底で、今一つ視線が定まっていないような気がしてしまう。アホになると言うのだろうか、自分自身のほうり出し方が弱いような気がする。そのへんの不徹底を先ほどの彼は見ていられないと言ったのだろうが、理解できるように思ってしまう。一生懸命さが先に立ってしまっては、笑えない。

 それでもね、楽しかったんだよ。ブリーフ一枚の斉藤マコ(斉藤誠)が現れて彼女たちの間をしずしずと歩いていくと、彼女たちが息をのんで自分の両足の間をのぞき込むところとか、絶品だった。

 それからもう一つ楽しかったのは、ハイディによる「Ofuro」(お風呂)。室町や進の浴衣姿(「ゆかた」というのと、「よくい」というか、よくわからないけど、和風のランジェリーみたいなの)が色っぽかったのが目に快かったのと、由良部正美が男であるにもかかわらず、そして普段の彼の踊りを踊っているように思えたにもかかわらず、ひじょうに色っぽく、みごとに入浴姿の模写のようになっていた可笑しさ。昔11PMという番組で茶道や華道というようなレベルで「入浴道」というような色物をまことしやかにやっていたような記憶があるが、そんな感じだった。本当にあるんだろうか? お湯を浴びたり、背中を洗ったりというしぐさが所作のように形式化されていたのが可笑しくて、でもちょっとシブがき隊の「スシ食いねえ!」みたいな陳腐さに流れかねない危うさはあったんだけど。個人的には、室町瞳の背中を流したいなぁと、切実に思ったんですが。

 全体に、「GuysU」に比べると、全体を流れる一貫性において物足りず、女の美しさを見せる点でももう一つで、構成的にはまだまだ工夫の余地があったと思える。


423日 「GuysUTORII HALLで。今日が初日。明日まで(昼・夜)。コーディネーター=冬樹、演出=サイトウマコト、舞台美術=デカルコ・マリー。他にヤザキタケシ、由良部正美、上海太郎、中西朔太郎、蘇枋蓮志郎、門田剛ら。そして唯一の女性として室町瞳。まず、舞台装置「ジュリーの塔」(プログラムによる。工事現場の足場を組んで、ゴムを垂らしている)に驚く。

 ほとんどの作品がジュリー(沢田研二)の歌をバックに踊られる。「危険な関係」「TOKIO」「アマポーラ」「時の過ぎゆくままに」……。それらの曲からどうしても呼び起こされる感情が、殊に同世代を生きてきたぼくにはある。それを彼らもじゅうぶんに意識していたはずだ。身体が動き始める前に、既に何らかの感情が舞台を覆っていること。もちろんそれは舞台美術によって醸し出されるものでもあるのだが。

 長短取り混ぜて、20のピースから成る。ベースとなるのは、「ジュリーを待つ一人の女」(もちろん、ペダンティックに言えば、ジュリーを女が待っているのか、ジュリーが待たされているのかなど、わからない)。それを軸に、あまり関係のない、強いて言えば男の日常的な出来事を綴ったピースがあったり、独立した作品があったりもする。その女を演じたのが、もちろん室町瞳だが、彼女のエロチシズムはケーキやジュースを持って彼女に迫る中西朔太郎の怪演によって、素晴らしく増幅された。

 たとえば「ダーリン」は、ホールのバルコニー状の張り出しで門田が蘇枋(人形?)を愛している。沢田研二の「ダーリン」の歌詞の通りに、門田が蘇枋の腕を動かしたりする。門田の狂気性が露わになり、やがて蘇枋はチェーンにつながれ、まさに人形のようにぶらぶらと宙に浮かぶ。曲が「時の過ぎゆくままに」に変わると蘇枋がバルコニーから離れていく。すると、門田もまたつながれていることが知られ、蘇枋を追えないことがわかる。……それをぼくらは下から見上げている。

 このように説明すると、ある部分演劇性に偏した公演だったように思われるかも知れないが、際どいところでそれを回避したのは、やはり彼らの身体の強さによるものだった。「ダーリン」では蘇枋の美しい長身が意思のないもののように揺れるスリルが門田の狂気に増幅されて、見る者自身の緊張にまで伝染しえたこと。そのような伝染は、主に舞台装置で増幅され、終始みごとな効果を果たした。

そのスリルが最も高まったのは、後半冒頭の「蜘蛛男」だ。足場のパイプに結び付けられたゴムに身を委ねたり、パイプに足を絡めて上半身を宙づりにしたり。そこでのマリーやサイトウらの筋肉のダイナミズムというものには、やはりダンスの醍醐味を感じる。

ダンスにおける笑い、滑稽さ、エンターテインメント性ということを、ぼくはずーっと彼らと共に考え続けている。その中で浮かび上がってくるのが、たとえば由良部の身体の美しさであったり、冬樹の覚悟の美しさであったり、ヤザキやサイトウのムーヴメントの華麗さであったりしてきたわけだ。彼らは自由に、ダンスであっても言葉を取り入れたり、歌謡曲を使ったりする。そのような野放図さが、見事に成功していた。


41421 TORII HALLダンスのビデオを見る。大野一雄、伊藤キム、丹野賢一、冬樹ダンスヴィジョン、イデビアン・クルー、TORII_HALLで行われたOSAKA DANCE_EXPERIENCEなど。

 ダンスというジャンルは、最も再現性が低いものだと思っている。時間と空間を同じくしなければわかりえない部分が最も大きいジャンルであると。そのダンスをビデオで見る。暴挙だ。と思って行った。

 大野一雄を途中から見た。このTORII HALLで行われ、別の日にだがぼくも見た公演だった。彼の目の先に桜が、彼の指の先にその花があるような、よみがえってくるものがあった。ここで行われ、ぼく自身もそこにいたという感覚が通底していたためかもしれないが、ライブな感覚をすぐに<取り戻す>ことができたのは、やや意外なほどだった。

 ビデオという形態は、ダンスや演劇というナマなものに対しては、再認という点において最高の力を発揮するのではないか。あぁこう動いていたのか、そうかこんなふうだったな…と。

 あるステージを見ながら沸き起こってくる感情がある。その感情を再び呼び起こす装置として、ビデオは実にうまく機能する。ただし、初めてビデオで見る作品でそのような感情が沸き起こることは、ひじょうに稀なことのように思う。それが、演劇でもダンスでも、ビデオでは<見れない>理由だろう。

中で、ビデオで初めて見たにもかかわらずじゅうぶん楽しめたのは、冬樹ダンスヴィジョンの「ガラスの時間(とき)」の一本だった。小説の言葉を朗読(吉本真由美)するスタイルでダンスと巧みに構成したものだったが、身体の動きと言葉の組合せ方が、ビデオではひじょうにわかりやすいかたちで強調された。また、冬樹が得意とするダンサーの空間の中での造形的構成が、レンズを通してやや引いた形で見ることによって見えやすくなったことも、ビデオ作品としての完成度を高めていたといえるだろう。

 ナマで見た公演をビデオで見て印象的だったことは、全然覚えていないなぁということだ。ぼくは一体何を見ていたんだろう……と思うぐらい、動きも構成もフォーメーションも、初めて見るもののように楽しんだ。番外で(受付そばの小さなテレビで)Dance Circusダイジェストや、西陣北座でのla_cifraの公演のビデオを見ても改めて思ったのだが、実に覚えていない。ぼくはあとで原稿を書かなくてはいけないこともあって、必ずメモを取りながら見ているのだが、それでもだ(または、それゆえに?)。ダンスを見るという時の<見る>こととは、記憶のために見ているのではないのだな、というのが半ば言いわけめいた理由づけだ。

 ダンスするという行為がかなり特殊だとすれば、ダンスを見るという行為もかなりなものだ。ぼくのメモは、動きやフォーメーションに関する覚えでもあるのだが、それ以上に見ることによってどのような思いが沸き起こってきたか、どんな感情が呼び起こされたかの記録であることが多い。ダンスを見るということは、そのような感情の生起を味わうということであって、それは自分の身体の外に起こっているできごとであるというよりも、内部のできごとであるのかも知れない。それが演劇との最大の隔たりであるのだろう。


  ホームへ戻る  
Copyright:Shozo Jonen,1997-2000
 =上念省三:jonen-shozo@nifty.com