岩名雅記

1945年東京生まれ。'75年、師もなく、いわゆる<舞踏の系譜>の外側で単独の舞踊活動を開始。'84年までに全裸、不動、垂立による実験的ソロパフォーマンスを150回以上にわたって展開する。'83年のアビニョン=シャルトレーズフェス他に招待参加したのをきっかけに、以後日本と欧米各地で公演とワークショップを継続的に行っている。'95年南ノルマンディーに活動の拠点を開設。研ぎ澄まされた美意識に裏打ちされた作品を次々に発表し、常に注目を集めている。10年間ワークショップ「世紀を越えて」を実施中。

915日、岩名雅記独舞「ジゼル傳」(伊丹・AIホール)で印象的だったのは、たとえば垂直に崩折れていくことの美しさや、突然の激しい一瞬の動きの緊迫など、岩名の身体が、喩としてではなく運動そのものとして眼に鮮かだったことだ。それは身体を先験的に具わった自明のものとしてではなく、自らの意思を離れて去勢され拘束された異物として客体視することで実現したのではないか。(中略) 怺えていた動きを一瞬のうちに吐き出すような瞬間には、居合にも似た精神の昂揚と集中を見た。客席に外国の人が多かったこともあって、ある時間、外国人観客の眼で見てみようとした。すると、岩名の舞台は紛う方なく日本の伝統に連なるものだったと思う。能や武道の間合いや動きのタメに似た瞬間がずいぶんあった。(中略) ぼくが岩名の舞台を見ながら一瞬でも外国人の眼で見ようとしたことは、我が事ながら象徴的だ。ぼくはいつからかエキゾチックな存在としてJAPANを見ているのかも知れない。ぼくは既に日本のストレンジャーとして徘徊している。


最も弱い者となることから
岩名の身体の痙攣のような細かいひきつりを見ていると、人間が大地に垂直に、重力に抗して立っているということ自体がたいへんな困難であると思ってしまう。ひきつり、落ち続けるように、あるいはくるくると回されるように、アンコントロラブルな舞いに、なんだか昂揚してしまう。教会であるだけに、祭壇と会堂の境界を、必要以上に岩名もぼくたちも考えてしまうのかも知れない。越境することの怖しさを、ぼくたちの思いをも乗せて、岩名は痙攣し直立の困難の度を増していった。人がある一つの状態であり続けることは、このように難しいものなのだ。何であれ、定義される状態/ものであることの困難の、一つの喩として屹立する身体であった。再び松岡正剛『フラジャイル』によると、ぼくたちは体をうごかすことを「ふるまい」という。それはフリとマイからなっていて、「そもそも『ふるまい』はどこかへ自分をやってしまいたい、放埒したいという内なる願望に生ずるパフォーマンスである」。しかし一方でぼくたちは放埒になりきれない。その時フリやマイは、むしろ悶えや軋みとなって、放埒しきれない境界を苦しく提出せざるを得ない。岩名自身、この公演のチラシで、「『即興』を声高らかに、また軽率に宣言してからだの自由を謳うことも控えたい。己れのからだが長い間にどれほど自身を取り囲むものによって飼育され、養生され、形づくられているかを知るべきだ。真の即興が刻々に新たな生命を生むものだとすれば(そんな生き生きとした時間が果たして在るのだろうか)、私の行為は<放蕩>という名前こそがふさわしい苦々しい時間の堆積となるだろう。さて次の課題はこの<放蕩>を全う出来るかどうかだ」と記している。確かに、放埒というより、放蕩という方が教会にはふさわしい。そして常に放蕩息子は帰還しなければならばいように、放蕩の完遂は困難なようだ。そのためにだったのだろうか?

 岩名は白い疱瘡のようなものを左頬につけていた。みたび『フラジャイル』によるが、松岡は聖者や王の身体から、スティグマ(聖痕)、不浄と辿っていき、遂に「身毒丸」へと至る。弱法師としての「よろめく神」というイメージ、そして土方巽の「疱瘡譚」へと、半ば予想されたとおりの通路で遡及していき、そしてその経路にあまりに岩名の密約が符合する。松岡が土方の言葉として「あのね、踊りというものは境い目をまたぐんですよ」を紹介するとき、教会の境界を跨いだ者として岩名の存在が直立し、畏怖をさえ感じてしまう。

 そこにまた向井千恵の胡弓がかぶさる。ディレイマシンで反覆され増幅された擦音は、この島之内教会という強い場所に、いっそうの磁力のようなものを付与する奏でのようだった。その磁力のせいで、この場所はなおのこと直立が困難な場所とされ、岩名は転倒し、最も弱い困難な存在として、我が身を縮めるものとしてのズボン吊りをパチパチさせるのだ。

 最も弱い者とは誰か? 両手を拡げてただ爪先だけで揺れながら直立しようとする岩名を見れば、その身体の形がちょうど十字架に架けられた「ユダヤ人の王」と同じいことに気づくことはやさしい。しかしその一種のステレオタイプを、岩名は無意識のうちにだそうだがエンディング近くに突然「そうはいかねぇぜ、お客さん!」と吠えた。そのことで、ぼくたちの像の固定化は回避/否定され宙ぶらりんにさせられた。ここには予定調和的なエンディングは存在しなかった。岩名自身が打ち壊し、否定したところから、再びぼくたちの中に身体表現の種子が残された。それが芽吹くことがあるのかどうか、所詮「お客さん」であるぼくたちの正念場であるのかもしれないと、密かな覚悟をもって、教会をあとにした。(岩名雅記放蕩ソロ 物質との密約。1030日 大阪・島之内教会)(視聴覚通信16号)


岩名雅記の凄まじさについて語らねばならないのに、ぼくの指からそのような言葉が出るとは思えない//総身の力を抜き去られ、吐き気まで催すほどのあの凄まじさはどこからきたのか/冒頭、横たわる岩名がゆっくりと起き上がる/しかしそれは「起き上がる」という言葉に還元されない動きと時間のつらなりである/身体が言葉をはみ出している/これこそ、ぼくたちが身体表現にかかずらわざるを得ない、ただ一点の宿命だ/一つのものとして名づけられ束ねられようのない様態として存在すること/それを希望として見出すことがぼくたちを舞台に引き付けている/一つの枠の中に収まっていることから遠く永遠に逸れていくために、冒頭から舞台の岩名は病者であり不具であることを自ら宣言する/ずっしりと途方もない重さとして佇立している。/一個の動詞そのものが裸で立っている/言葉として、記されるものとしての激しいベクトルは、このように残虐なのか!/自身を痙攣させ、内面を吐瀉するような叫び/岩名にそしてぼくの中に巻き始めた渦の速度を上げるジャンニ・ジェビアのサックスの、信じられないほど長いフレーズが聴く耳を苦しめる/素材とされた式子内親王の歌から岩名は「日に千度心は谷に投げ果てて有るにあらず過ぐる我身は」を選んでいるが、何者かであることを投げ、果て、切断し、嘆き、そして喜ぶ、一種の惨劇のような凄絶なステージであった  岩名雅記蕩尽ソロ「ものに逢える日−式子内親王傳」。1115日、大阪・東心斎橋/島之内教会(JAMCi '97.2