片上守インタビュー
J
いま片上さんが、どういう作品を作ろうとしておられるか、というところをうかがいたいと思ってまして、今度5月の「ダンス・サーカス」では、「心と体が今ここにある」とプロフィールに書いておられるますが、それをどうやって実現しようとしておられるかというあたりから、まずうかがいましょう。K
自分自身との対話というか、自分を受け入れることですね。まだまだ受け入れるところまでは行ってないと思いますけど、ぼくが今に至っていることのいろいろを取捨して作り始めたんですけど、かなり時間はかけてるんです。J
10分か15分くらいの作品ですよね。K
そうですね。J
自分を受け入れるっておっしゃいましたけど、もう少し説明していただくと、どういうことなんでしょう。K
あんまり自分が好きではないということがあるんですね、まず。いろんな自分をどうやったら認めてあげるのかとか、それでもがいたり、行き場がなくなったりして、そのいらいらや矛先が他者に向かったりするのを、格闘しながら、何とか心地好い自分自身の居場所を見つけたいみたいな、そういう作業なんです。J
それって、自己修練とか鍛練とか。K
そういうのではないんです(笑)。逆に修練みたいなことをやり過ぎてたところがあったんで、なんかもっと楽に生きるっていうかな。J
ダンスの修練、ということですか。K
ああ、いろいろ含めてですけど、主には、ダンスに関わる時間が多すぎたんで、それでバランスを崩したような部分がちょっとあったんで。J
精神的にも?K
人間としてっていうか。今はもちろんダンスを続けてはいきたいんですけど、もっと違う、ダンスを離れた部分での遊びとか、友だちとのつきあいとか、恋愛とか、そういうのももっと充実させて、そこにダンスがあるっていう、そんな形を目指してるんです。J
しばらく前、3年ぐらい前ですか、までは、もうダンスばっかり。K
そうですね。それも自分のためにやってるのかどうかもわからなくなるぐらいの、やらざるをえないような状況で、余計自分を見失っていったようなことがあったんで。J
で、あるきっかけがあって、もう少し広くと。K
そうですね。J
今、具体的にはダンス以外にどんなことをしておられるんですか。K
ダンス以外、具体的には、……何もしないぼーっとする時間を必ず確保するとか(笑)。映画を見るとか、ブラブラするとか(笑)。J
これまでそういう時間がなかった?K
まあ、ないことはないんですけど、何かそこに余裕がないというか、あってもダンスのことばかり考えてたとか、そういうことですね。J
失礼ですけど、おいくつ?K
38です。J
3、4年ぐらい前っていうと、ダンサーとして身体の動きの面で、少ししんどくなってくる時期じゃなかったんですか。K
えー、まあそうですね。あまりにもがむしゃらにやり過ぎてた、ということはあったと思いますね。30歳ぐらいの時にすごい膝に来て、外科医には手術しなきゃだめだと言われた時期があったんですが、前の「ダンスの時間」の時にも話しましたけど、アレクサンダー・テクニックというものと出会って、からだに対する捉え方が変わってきましたね。J
自分のからだに対して、踊る機械みたいなものだったのから、総合的な人間というものに変化したということでしたね。K
そうですね。J
他人事みたいに言わせてもらうと、そういういくつかのステップや流れがあって、今に至っているということなんでしょうね。K
うーん、まあ振り返れば……でも渦中にいるとねぇ(笑)。なんでやねん、みたいなことが多々ありました。でも、ケガしたのは明らかに転機になりましたね。自分をほったらかしにしていたことに対して、そうやってからだが警告してくれたんかなぁと、今は思えますね。あのまま突っ走ってたら、今は踊れてないと思います。あのまま酷使し続けてたら。J
自分をアクセプトするということについては、それは表現としてはどんな形で出ることなんでしょうか。K
うーん、受け入れられるかどうか、無理やとは思うんですけど、その無理な状態もまぁいいか、と思えることかなぁ、と思ってるんですよ。この公演に関しては、2曲構成で、最後の方でただ単に自分のからだと気持ちが今ここにあるだけの状態になれたらなあと思ってるんですけど。J
あるだけの状態ですか。えーっと、言葉で言うのとはずいぶん違うとは思うんですが、あるだけの状態であることを他人にステージで見せるっていうのは、難しいことではないんでしょうか。K
難しいと思いますね。なんやこれって(笑)。J
それは、無防備みたいな意味で?K
無防備でもない。おそらく、からだに対しての意識と、今自分が何を思ってるのかっていうところをめぐって、それを重ね合わせながらただ単に歩いたりとか寝たりとか、そんなことになると思うんですけど。ちゃんと自分がそこにいながらも、……あぁ、言葉にするのは難しいですね。J
自分のからだに対する意識はきっちりと持っていながら、ですね。K
はい。J
すると、誰が見てるとかどんなふうに見られてるということは第一の意識ではない。K
ああ、そうです、そうですね。まずは自分(笑)。かなりジコチュー。J
自分の意識とからだが沿った形で、ちゃんと一緒に歩いている、そういうことをステージの上できちんとできるようにする。K
そうですね。それでどう見えるかっていうのは、もうあえてお客様に委ねて、そこはあまり気にせずいきたいなと。J
なるほど。その一方でね、「映像美の時空間」とも書いておられて、確かに前に拝見した作品でもよく出ていたと思うんですが、今回の作品はどちらかというと映像美というよりは、ありのままのようですね。K
そうですね。からだ一つでどこまで作れるか。J
勝負できるか、っていうわけですね。K
まあ(笑)。J
そういうことは、これまであんまりやってらっしゃらなかったんですか。K
ああ、やってないかもしれませんね。今回すごいシンプルにシンプルにしようと思ったんで、逆にすごく時間がかかってます。何とか今まとまってきたんですけど。J
面白いですね、シンプルにする方が時間がかかるって。この作品のタイトル「KUSH」ですが、どんな意味というか由来なんでしょう。K
使う曲のタイトルなんです。調べても意味はわからないんですけど、響きがすごい好きなんで。J
曲はどんなところから探してらっしゃるんですか。K
だいたいタワーレコードの試聴コーナーで(笑)。すごいサンプリング系の曲がけっこう好きで、いわゆるマイナー映画のサウンドトラックとか。J
ちなみに今度の曲は?K
これは映画ではないんです。フリージャズのセッションみたいな、たぶん即興的にやってると思います。J
音楽は作品で重要な位置を占めますか?K
かなり重要ですね。J
リズムとかだけじゃなくて。K
なくて。もうこれは感覚的なもので、「これや」「この曲や」ってなるんですけど。J
音楽によって、作ろうとしてる作品の雰囲気とか全部、変わるとか決定するぐらいのことまであります?K
ありますね。J
選曲というか、音楽を決めてから作品が作られるということもあるんですか。K
そういうこともあります。この曲で絶対やりたい、いうこともあります。もちろん先にダンスの方の構造を作って、それに合うのを探すこともあります。たまになかなかしっくり来るのが見つからないことがあるんですよ。近いのは何曲かあったりして、でも何かが違う。でもそのまままあしょうがないか、っていっちゃうと、いい作品にできないですよ。後になって、やっぱりちゃんともっと探しとけばよかったなって。J
生のライブをバックにされることはありますか。K
今まではないですけど、やりたいですね。J
即興の舞台っていうのは、したいと思われます?K
今度の「ダンスの時間」での作品は、動きは即興がメインになると思います。曲と段どりや流れは作ってるんですけど、その場で踊るのは即興というか、あえて決めない。J
即興っていうのがなかなかわからないんですけど、一応の決め事はあると。どう動くかというのは決めてないとしたら、どうしてその場で一つの動きというものが出て来るんでしょう。K
本当に初めてその曲を聞いて踊るっていう設定は難しいと思うんですね。リハーサルとかはやるし、一人の人間の動きのボキャブラリーってそんなに多くはないと思うんですけど、ただ前の「ダンスの時間」の時(2002年11月)も、合間には即興的なその時に任せる動きがありましたから。J
その時に任せるというのは、意識的にその時間をブランクにしておくわけでしょ? そのことで、何かが出て来ることを期待するというわけですか。K
そうですね。その瞬間に生まれるもの……もともと、あんまり細かく全部決めた振りのダンスは、あんまり好きではないんです。どこかに余白というか、そういうものがあるのが好きで、その時に出てくるものを楽しめるというか、そういうことなんですけど。J
別に無理にひっつけようとするんじゃないんですけど、今度の「ダンス・サーカス」のほうの作品では、自分を受け入れる、自分のあるがままの姿を出そうとされてて、「ダンスの時間」の方では即興ということですね。ぼくは即興という考え方とかあり方は、自分の姿を受け入れるとかあるがままということと、表裏一体というか、すごく近いことだと思うんですね。自分の今の姿というものを認めた上でないと、自分からとか外からの刺激によってその場で出て来るものをお客さんに見せるってできないと思うんですよ。即興で何分かという時間を作るということに、こわさみたいなものはないものなんですか。K
たぶん、その曲によって、「ダンスの時間」でやるのは「My Birthday」ってタイトルにしようと思ってるんですけど、ちょっとした自分史みたいなところがあるんです。前からずっと踊りたいと思ってた好きな曲があって、それをけっこう使うんですが、その曲を聞いてその場で任せて踊るっていう練習は、普段からしてるんです。だからそういう意味では純粋な即興というのとは違うかもしれません。J
あらかじめ動きを決めてるわけではないという意味ですね。K
ある程度決まってきちゃいますけどね(笑)。即興っていう言葉がどういうものなのか、ぼくもよくわからないんですけどね。J
まぁ、もしかしたら一歩も動けないかもしれない、そういうのではなさそうですね。K
そうですね。即興性が高い公演だということで、J
ダンスを始めたのは大学からということは、20年弱ぐらいということですね。大学でダンスを始めたきっかけというのは、何だったんでしょう。K
ディスコですね。よく行ってたんで、ちょうどマイケル・ジャクソンとかプロモーションビデオやMTVが出だした時代で、衝撃を受けたんですよ。かっこええ、って。ジャズダンスから入って、それからモダンダンスです。J
大きな賞をおとりになりましたよね(1993年、第1回世界ダンスグランプリ、モダンダンス部門銀賞、振付特別賞)。K
ああ、もう10年前ですね。あの時はもう自分の意志なんかなかった頃ですから、やらされてるとかってばっかりで、もちろんどっかには自分でやりたいという気持ちはあったはずなんですけど、自分のペースでは全然なくって、追いまくられてた感じで、よく賞が取れたなっていう感じですね。J
自分が踊る自分の作品を作るということを始めたのは最近なんですか。K
いえ、そうではないんです。やってたんですけど、自分がやることを全部自分で責任を取って自分のために踊りをやれて、ってかっこよく言うとそういう状況で始めたのは、最近ですね。J
全然違うもんですか。K
やっぱり違いますね。所属してると、何か不都合なことがあると、無意識のうちにかそこのせいにしてしまう自分があって、そういう自分もいやでした。やりたくないのにやらなあかんって思いながらやってたこともありましたし。やっぱり自分でやるんであれば、自分でやりたいからということで、その結果も自分で責任を取れる。うーん、だからまだまだもうちょっと、こういうふうになれるためにあそこにいたんだなというふうに認識できるようになるには、時間がかかる感じです。J
「ソロを中心に」ともありますが、ソロで踊ることの面白さってなんでしょう。K
好きなことができること(笑)。ダンスにかかわらず、他者がいると、けっこう相手のことを気遣い過ぎるところがあったりしてしまうんですよ。自分の欲求を押さえて相手のことをまず立てたりとか、変に気を遣い過ぎてしまうんですね。ダンスでもそういうのがちらっと出たことがあって、今は自分でちょっとわがままになって、やりたいことをやろうと。J
作品を作る時に、音楽というきっかけもありましたけど、映画も見てらっしゃるということですが、ダンスでも何かストーリーとかきっちり作りたいと思うほうですか。K
いえ、全然。感覚というかイメージですね。あまり説明的なのは好きじゃないです。映画もどっちかっていうと感覚に訴えてくるほうが好きです。J
とすると、作品を見てくれたお客さんの中に、どんなものが残ればいいなと思われますか。K
あぁ、何か見て楽しめたとか、面白かったとか、何かこんな感じ自分でも体験したことがあるとか、何かわかるような気がするとか、何かです(笑)。昔からの友達とかに、おまえのやってることはようわからんって言われるんですけど、ようわかれへんなりにも、見て、なんでしょうね、わかれへんかったけど何か面白かったなとか、そういうの好きですね(笑)。J
あぁ、いいですね。よくわかったわ、って言われるのも不思議な話でねぇ。よくわからなかったってだけで終わっちゃうというのは、ほんとは面白くなかったってことかもしれませんからね。K
人間ってそれぞれ全然違う個性があって、違う経験をしてるんですけど、どっかで共通する部分が、感情の底辺みたいなところであると思うんですよ。ぼくが映画や他の人のダンス見て感動するのはそこに触れる時だと思うんです。ぼくも作品の中でそういうことが少しでもできたらなと思います。それをお客さんに与えることができるようになるには、自分を見つめて、自分の中でそういうものがないと、できないだろうなと思うので、そういうこともあって、今こういうテーマみたいなものを持ってるんです。J
自分自身をどうつかまえ直してみようかとか、そういうことについて最近ずーっとやってらっしゃるとしたら、そういう一つの方向性みたいなものが伝わると、いいのかもしれませんね。K
そうですね。J
そういうことって、前におっしゃってたアレクサンダー・テクニックの考え方からつながってくるんでしょうか。K
ああ、そうですね。すごい影響を受けましたね。そこで言われて目から鱗が落ちたことって、一杯あるんですけど、ケガっていうことの認識、捉え方が全然変わりました。ケガってどうしてもマイナスで捉えますが、これはその人の癖であるっていうんです。J
癖?K
癖。たとえばビートたけしさんが首をクックッて曲げるじゃないですか。あれは一般的に見るとチック症でしょうか、そういうものだそうで、マイナスに捉えられることだけど、でも彼のひじょうにいい癖と見ることもできる。J
あぁ、一つの個性ですよね。K
ケガって、なった時に初めて気づくじゃないですか。でもそれはコツコツとずーっと積み上げられてきた、からだの習慣、その人の癖が出てきたものなんですよ。J
いつも右足に負担をかけてるとか。K
だから、その癖をどう捉えるかで、どうしても人間ってマイナスに捉えるじゃないですか。じゃなくて、それは自分であるっていう認識のしかたです。J
そうすると、ケガを取り出してそれをどうこうというんじゃなくて、ケガする私っていう全体像なんですか。K
そうですね。ケガする私も私として捉えてあげようということですね(笑)。J
そういうふうに認識することで、実際どういうふうに変化する、あるいはしたんでしょうか。K
うーん、まだねぇ、リハーサル重ねると膝がちょっと腫れたりとかするんですけど、そういう時にしゅーんとなってしまう、そういうことはあるんですよ。ただ、前よりは、まだ何か使い方が違うところにあるんやなとか、ちょっと客観視できるようになってきましたね。前やったら全部気持ちが膝に行ってしまって、もうあかん、踊られへん(笑)。それが、またちょっと違う使い方してるんやな、と思えるようになって、知らせてくれるんやなって思えるようになったのは、ちょっと変わったところです。J
「ダイアローグ」っていう言葉も出てきてますけど、今のケガの話って、からだとダイアローグをする一つのきっかけとなってるっていう感じですね。K
ああ、なるほど、そうかもしれませんね。J
自分自身のからだと心がというところと、ダイアローグっていう言葉が出て来るというのは、ちょっと面白いですね。ここでダイアローグって言われてるのは、何を二者置いてるんですか。モノローグじゃなくて。K
初め、これを作る時に、鏡とかのイメージがあったんですよ。鏡の前で向き合うというシーンを想定してて、鏡とか反射するような紙質のものとかを使いたいと思ってたんですね。でもそうしなくても、普通にしてるだけでもダイアローグになるんじゃないかなと思って、もう一人の自分というものが、ここの自分でもないし、過去の自分かもしれないし。J
いろんな意味で、自分一人踊るということの中にダイアローグがあるじゃないかと、そういう感じでいるわけでしょうか。K
まぁ、よくわからないんですが、モノローグではないですからね。J
で、ソロでしょ?K
ええ。モノローグという言葉は、最初から全然ありませんでしたね。一人ですけど、あくまでダイアローグなんです。こうやって話をしていると、わかりますけど、そういうことみたいですね(笑)。J
だいたい、いろんなダンサーの方にインタビューさせてもらってますけど、自分が人に向かってしゃべってる、いわばダイアローグしていると、その間に自分のことがわかってくる人が多いようですよ。K
なかなかしゃべること、ないですもんね。J
アレクサンダー・テクニックを知ってから、レッスンとかもガラッと変わったんですか。K
変わりましたよ。1、2年前までは難波にあるスタジオで安川晶子さんのレッスンとか受けに行ってたんですけど、今は週に1回だけクラシック・バレエのレッスン受けてるだけで、後は自分でやるのがほとんどですね。前はそういうレッスンを受けていないと不安な自分がいたんですけど、今はからだに対する認識がわりと明確になってきたので、レッスンに関しては自分で大丈夫という気がしますね。もちろん、アレクサンダーについては、まだ行かないとちょっと。あの方は尊敬してるし信頼してるんで。J
じゃあ今は、アレクサンダーのレッスンがあって、クラシック・バレエのレッスンが定期的なものですね。他人に教えるというのは、やってらっしゃるんですか?K
今年から始めました。面白いですね。個人差はあるんでしょうけど、ダンスに染まってる方ほど、逆に柔軟性がきかなかったり、演劇やってる人のほうが、こういう感じで、って言ったらぱっと動けたりして、面白いですよ。小人数ですし、あんまり広めてもないんですけど。J
人に教えるということを通じての発見ってあります?K
いろいろありますね。自分が認識できてるつもりだったのが、からだの使い方とか他者にアドバイスしてて、でも、後で振り返ったら自分ができてないわって思ったり(笑)。フィードバックできるし、面白いですね。あとは、こういうことを注意してやったら、見え方が全然違うんやなって、他者のからだを見せてもらって、実感できる。それが自信につながるっていう感じですね。J
ああ、これでええんや、って?K
そうですね。J
(教室のチラシを見て)リリース・テクニックって、興味あるんですけど。K
ぼくとしては、要するにリリースをやると気持ちいいんですよ。やっぱり気持ちよく感じることが一番やと思うし、バレエもリリースの感触をそのまま持っていけるといいみたいですね。どうしてもバレエって線として見せるじゃないですか。下手するとカチコチになっちゃう。リリースの状態でやるとホワーンって。力入れないほうが難しいようですけどね。J
だらーっとしてたらあかんし。K
ぐにゃぐにゃ(笑)。J
これから当面、5月末には1週間の内に2つも公演があるわけですが。K
今度「ダンスの時間」でやる作品は、これからもっとふくらませていけるものだと思うので、またバージョンアップして、やりたいなと思っています。ロクソドンタって、空間が好きなのと、スタッフの方がすごい好きです。よくやって下さる。無理きいてくれるし、照明合わせの時も気持ちよくさせてもらえました。J
上念とサイトウがいい加減やから、みんながんばってくれてるんでしょう(苦笑)。大きな劇場での経験もあると思いますが、伝わり方の面でどうでしょう。ぼくは100人からせいぜい300人ぐらいのところでみたいなと思っているんですが。K
大きいところでもやりたいですけどね。J
いつでも大きなところでできるぐらいの、スケールの大きさは、みんな持っていてもらいたいと思いますけどね。K
最近ダンスする人の人口は増えてきてると思いますけど、ちょっと気軽すぎる感もあるじゃないですか。ポッと出られるみたいな。それはよくもあり悪くもあるのかなと思うんですね。ダンスっていうからだに対する意識がちょっと希薄になってないかな、という気がするんです。J
まあ、層が広がって、その上で自然に選ばれていくということでもいいとは思うんですけどね。