麿赤児インタビュー

「舞踏を非存在に拮抗させるために/何から無化していこうか」


dairakudakan

1996年11月に吹田メイシアターで行われた大駱駝艦「死者之書'96−大駱駝艦天賦典式」を控えて行われたインタビューの模様です。ほんの一部分は、演劇情報誌「JAMCi」1996年12月号に掲載されました。


−−今回の「死者の書」は、チベットやエジプトの死者の書というテキストに発想された部分がおありなんですか。

麿 ありますね。いつもテキストレディっていっぱいあるんですけど、今回はテキストレディをそのままばぁーっと出しちゃってるようなところがありましてね。だんだんお里が知れてきたっていいますか、全部出しちゃえーっていう感じで。余裕はあったんですけどね。逆に余裕がないような形で、一挙にドーンと。今になって、とんでもないことしちまったなぁって感じはあるんですけどね。

−−それは楽しみです。サブタイトルというんでしょうか、天賦典式、これは「この世に生まれ入ったことをこそ大いなる才能とする」というようなご説明がありますが、死者の書というのは、死のことを描いている一方生のことを言ってますね。

麿 結局、死というものがわからないわけですよ。どれだけ死をからだの中に飼えるかということでしょうね。チベットに生まれてたら、生まれたときから既に死のことを言われるでしょう。多分チベットの少年少女は、これは死ぬために食べている、死ぬために息をしている、というようにインプットされているでしょう。飯を食う、死を食うというふうに、常に同じような形であるんじゃないかと、ぼくの中ではね。特にチベットの生活なんて見てるとね。

−−生きるというのはだいたい目的があることですよね。

麿 生まれた途端から死を目的にする人っていうのは、尊敬しますよね。

−−それって、目的っていうんでしょうか?

麿 (笑)死を超えてるんでしょうね。

−−身体の豊かさと死っていうと、全く逆なように思えますね。

麿 その二元論みたいなのが、悪い癖だと思うんですね。生まれたと同時に死ぬということがついている。生まれたっていうと、生まれたこと、生きていることを強調しすぎちゃって、同時にある死を封印してしまっている。そんな近代というものがあるんじゃないでしょうかね。赤ちゃんが生まれて、「死が生まれた」という喜び方ができなくなった。

−−その瞬間には、永遠に生き続けるような気がしているんでしょうね。

麿 赤ん坊が出てきたときに、また一つ死が出てきたよ、というような喜び方ができれば、はじめて物事の両方を抱きとめることができるわけで。このことをシミュレーション的に表現するのか、哲学として考えていくのかは別だけどね。二つのものを常に置くということでバランスをとっていったり、「死者の書」には秤も出てくるんですけど、測らなければならない、というのも淋しいですね。生と死でも、罪と罰でも、聖と俗でもいいんですけど、結局支点は変わらない。何かを測ろうというより、秤を無化する作業も出てくるのかなぁとかね。最近ぼくにとって一番刺激的だった言葉に、ある現象学の人のなんだけど、「存在は非存在の衰弱した形である」というのがあるんです。ポンと入ってきたんですね。やっと西洋も2000年近くなって、それに気がついた。

麿 舞台だってね、始まる前の何が起きるんだかわからないワクワクドキドキが、人が出てきた存在した途端に、もうつまらなくなる。人の器というものの狭さということでしょうね。

−−しかしあえて、その非存在に拮抗するものをと何か提出していかれるわけですね。

麿 言ってみれば、どれだけ舞踏というものが、存在と見せつつ非存在であるかということを証明していくことができるか、というのがぼくの最近の命題ではありますけどね。

−−今回の公演について「土方巽氏との幽契」と記されていて、舞踏の原点に立ち返るということなんじゃないかなとおもったんですが、

麿 たまたま十年になるものですからね。メモリアルということも含めて。当然土方のやったことを認めつつ、なお土方が辞世の句があるとしたらどういう句だろうとかね、「神の光を臨終している」というのが、土方の辞世の言葉ということに、知る人ぞ知るってことになってるんですけど、死ぬ前によくこんな難しいこと言うなとも思うしね、でたらめだと思ったりもするんですけどね。自分が死ぬと同時に神も死ぬ、という彼の中に入ってきた妄想がかなりあると思うんですよ。ということは、自分が神だと言ってるわけですよね。この妄想が面白くてね。辞世って好きでね。芭蕉の「夢は荒野をかけめぐる」の「夢」って何だったんだろうとか、西郷隆盛の「思い」って何だったんだろうとか。土方が違うのは、私が死ぬと舞踏が死ぬ、いや、舞踏とは言ってないか、そんな大げさなことはないか、でも大げさにしてもいいかな。

−−土方さんを意識するのは、するとすれば、どういう時なんですか。

麿 やっぱり、ありますね・・親鸞が法然を思うように、大げさに言うとね(笑)、宗教界っていうものがあるように、舞踏界っていうものがあるんだということは、みとめざるをえない。

−−やはり何かを継いでいるという意識があるわけですね。

麿 なんか、あるんですよね。一種、密教的な阿吽の伝わり方と言うか、顕教じゃないですよね。みんな勝手に思ってるんですけどね(笑)。弟子たちがそれぞれ勝手に思ってて、ややこしいわけですけどね。

−−踊り、舞踏というものは「身ぶり」であることには違いないと思うんですが、あえて「身ぶり」という言葉をお使いになることについて、伺いたいんですが。

麿 一つには、演劇っていうかな、そういうものに対するアンチテーゼみたいなもの。演劇っていうと、日常行為の延長ですよね。デフォルメするにせよ、日常の再現であって、たとえば言葉でも「アデャデャデャ」なんてわけのわからない台詞は使わないでしょ。何か伝えるとか、もう一つの疑似世界を作るとか、何らかの目的がある。そういうものに対して、踊りっていうものは、非日常ですね。われわれの動きは、物に影響されている。物をつかむとか、コンピュータにしろ、仕事にしろ、目的がある、何かね。そんな目的のない行為−それを行為とは言わないで「身ぶり」って言ってるんですけど。

−−一般に「身ぶり」と呼ばれる動きの中にも、言葉をなぞる、描写するような動きもありますが、そういうものではないのが「身ぶり」ですか?

麿 そうですね。一見何か、赤ん坊の動きでもそうですが、精神に異常をきたしたようなにも見えかねない目的性のない動きというものが、ありうるんだろうか、ということです。日常的、現実的な動きと並行して、全然違ったものが動いている。それがちょっと日常の中に出てくると、社会性を失ってるんじゃないかとかいうことになると思うんです。ぼくの中の概念分けとして、行為っていうのは、何かを為す、ということ。それに対して「身ぶり」っていうのは、何かワワーッと出てしまうもの。驚いた時にワーッと手を広げたり、寒い時に両手を交差してブルブル振るえたり、何でそうなっちゃったのか意味はないし自分でもわからない。大きく見れば何か目的があるのかも知れませんが、自分では意識していない。それも潜在的なものだとすれば、合目的的な行為というものは、氷山の一角にすぎない。もっと未分化なわけのわからない、混沌といってもいいですが、われわれはそういうものを捨ててきたわけですね。仕事に差し支えるとか言って。踊りっていうのはそこで捨てられたものですよ。昔は神様に奉仕してたとかあるでしょうけど、神様も死んだって言われて久しい。そうなると、まさに目的を失ったことになりますね。今まで精神世界っていうものも含めて豊かなものであったのが衰えちゃって、それこそ赤瀬川(原平)のトマソン現象じゃないですけど、扉しか残っていないような、そんな身ぶりというものがある。目的を失ってしまったし、いやもともと目的なんてなかったのかも知れない、そういう未分化な身ぶりというもの。そういう目的のない無意味な動きを目的たらしめるためには、どういう目的を作るかということなんですよね。

−−その無意味は、無意味のまま提出されるわけですか。

麿 いや、それはぼくの一つの構築として、そういうもので一つのドラマが作れないかと思っている。たとえばこちらがワァーッと震えたら相手も同じようにワァーッ。すると何か通じてるんじゃないかと思いますよね。それを「ボディ・ランゲージ」って言われるとちょっと淋しいんですけど(笑)。表層的なコミュニケーションと同時に、もう少し、氷山の水面下の巨大なものでコミュニケーションをとれないかというようなことで、もう一つのドラマというのがないだろうか。

−−そういう身ぶりを獲得することを「身体の豊かさの復権」とおっしゃっているわけですね。

麿 ある意味でパンドラの箱なんですけどね。どの程度コントロールできるだろうか。

−−普通は理性とか目的とかいうもので蓋がされているわけですね。

麿 それを全部開けちゃって、もう一度大げさにいえば社会のあり方とか秩序とは何ぞやとか、そういうことが今許されているのは舞台だけじゃないか。普通のところでやると、ちょっと逮捕されるか病院行きか(笑)。

−−少し戻りますが、その目的のない「身ぶり」というものを生み出すに当たっては、プロセスとして、一つの動きから目的を削ぎ落とすのですか、それともそもそも意味のない動きをするんでしょうか。

麿 われわれが今まで目的としていたことが、正しいかどうかという疑問がありますよね。A地点からB地点に歩くという、それが実際正しかったのか。本当はZ地点に行くのに、B地点に立ち寄ってるだけだとか。どっちかっていうと回り道が好きっていうか、ぐるぐるぐるぐるして、その間に道草の楽しさを知ってしまう、そういうこともあるんじゃないかな。何だか向こうからも道草をしてる奴が来る。そこで出会って、何かができてくるんじゃないかとかね。

−−みんなが真っすぐ同じ方向に歩いてたら、誰とも出会いませんね。

麿 よく例に出すんですけど、からだの不自由な人が動いている、何をしようとしているのかわからない、だけどしばらくたってやっとコップを持った。それを見て、あぁ、コップが持ちたかったのか、とわかるわけです。そこまで10秒やそこらかかりますよ。われわれはフッと持って、それが当たり前だけど、彼にとっては何をしたいかさえ他人にはわからない。意地悪か無神経なのがいてそのコップを持って行っちゃったりすると、そりゃもう大変なことになっちゃう。

−−普通はそういうのは病いとか麻痺とか障害とか異常とか言われるわけですが。

麿 それを、それをも表出だと。

−−豊かな。

麿 そう。そのこと自体、むしろ方法論と言うかな、その方法論自体が目的化してしまったような瞬間をパックする。どこかに行って決まってしまったら、もう「ああそうか」というようなことで、あまり豊かじゃないなぁという感じかな。

−−1のものが1にしかならない感じですね。

麿 そうなんですよ。だから、迂回して、迂回して、その迂回すること自体が、もう既にドラマだと。

−−そういう「身ぶり」を提出されることと並行して、演劇に関わるということが必要だった、あるいは今も必要なのでしょうか。

麿 ええ、もちろん。演劇というものの原則論でいくと、ドラマというのとはだいぶ違うと思うんですよね。中国語で「演劇」と書くと、水の中に虎(寅)を放り込むとか、それから劇というのは家の中に豚を放り込んで刺し殺す。

−−本当なんですか?

麿 本当ですよ。とにかく、虎は水を嫌いですよね(笑)、びっくりしてわぁーっと暴れますよ。家の中に豚なんてありえようのない組み合わせですよね。びゃーっと暴れる。それを刺そうとするんだからもっと暴れますよね。大騒動なんですよね。大騒動ということは、ある意味で革命的なわけですよ。静かな秩序の中に異物を放り込むと、見方は一切変わっちゃうっていうわけですから。そのときに新しい価値でもう一つ違った枠を作らないと、どうも世の中うまく行かない。そういう意味で演劇というのは、ある乱れた秩序というふうなものの中の、一種の居留地みたいな面であるかもしれないわけですよ。演劇というものはもともとそういうものであって、だけどだんだん演劇というものが、これも天の邪鬼で、ある程度文化というものとして捉えられ始めると、またそこに秩序ができますよね。枠がどんどん大きくなっていくわけですよ。舞踏もそういう意味ではちょっと捕まえられかけてきてるなぁっていう意識があるんですけどね。異物の異物たる所以は何かという、ある意味で永久革命的に動きたいなと思うんだけど、やっぱりねぇ、どんどんどんどん捕らわれていく。

−−演劇の中で、麿さんご自身が一つの異物であり続けようということでもあるんでしょうか。

麿 異物でなければ、普通に戻ればいいんだ(笑)。普通って何だかわからないけど。でも、どうしても普通になれない。そういうコンプレックス、疎外された者としてのね。疎外なんてことも今では死語でしょうけどね。疎外ってことが死語になったことが、すごいんですよ。そういう意味では、敵っていうか社会もさるもので、それなりにものすごくシミュレーションをして、このへんは文化に収めようとか、このへんはちょっと違うものに収めようとか。それはある意味で、精神世界も含めて、広さといいますかね。

−−以前のインタビューの中で、「現代社会の地平線の位置を確認して、その中で自分たちの位置を確かめる、そしてその地平線を大きく揺り動かす」とか、舞踏自体が社会の枠組みの中に取り込まれてしまっている、それは地平線の位置が変わってきたからで、舞踏自体が変わったからではない、とおっしゃっています。

麿 そうですね。結局のところ、自分の首を締めてるんですよね。ある秩序というものを、もっとこれぐらいの広がりを持たせようとするということで。で、ある程度認知されると、もっと広げろって。せいぜい10センチ四方だったものを今は30センチ四方になってる。ま、自負として、ある意味ではわれわれの仕事のお陰じゃないか、なんてことはありますけどね。たとえばアングラの仕事ってのはあったとおもうんですよ。「えーっ! 演劇ってそういう見方もあるの?」っていう。それもまぁ'80年代ぐらいで終わって、'90年代は何だかぐーっと淋しくなってきちゃってるんですよね、ほとんど表現一般が。ある意味では細かくなってきた。はやりの言葉で言えば差異性とかね。ちょっとした違いを言う。ぼくは癖でね、もっとドーンと目にわかる違いっていうかな、'60年代ってそういうところがあるんですよね。

−−どれだけ違うか、異物性を強調するみたいな。

麿 そうそう。そんな欲望が。業が深いっていうかね(笑)。ところが今、ちょこんと収まってすーっといくというふうな、逆に枠を小さくするような、今まで広げ過ぎたと、何もかも表現にしてしまった、どうもそれはいけないんじゃないか・・そういう反動であるのか反省であるのかよくわからないけど、演劇なんか「引き」のほうになってきましたね。今まで「ぅうわぁぁぁー」って来たのが、若い人は日常。手法としてはすごくわかるんですよね。うわぁぁーばっかりでわけわからないよ、一度ゆっくりすーっと引いてみようじゃないか、という。われわれはただ吐く息だけで生きてたようなところがありますからね。「ハ、ハ、ハ、ハ、ハー」とかって。ところが今は吸ってる(笑)。そういう時代に確かになってきてるんだなぁと思う。演劇の中では等身大っていうような言い方をするけど、どうもぼくは等身大っていう言葉が好きじゃないんでね。欲望がちょっと深いっていうか。話が違ってきたかな?

−−いえいえ。そうやって社会の地平線を大きく揺り動かすというようなことをおっしゃって、実際にしてこられたわけですが、先ほどから伺っているような、合目的的なことをパンドラの箱を開けちゃうことで、かなり社会が動揺するんじゃないかと思うんですよ。

麿 それなりに動いてきてると思うんですよ。ぼくだけじゃなくて、全体にそうなってきてるなぁと。それも、認められるっていうとおかしいけど、こういうようなことにも一応文化庁がついたりとか、ある現象としてはね。そういうことも出てきてるし。ところが逆に、それだけじゃ収まらないよっていう部分もあってね。基本的には表現の欲っていうんですかね・・いつもそういうバランスのぎりぎりのエッジみたいなところ、ハラハラドキドキっていうかね、そういうところがどうも好きなんですね。

−−そのハラハラドキドキがもっと大きく揺れ動いたら、どんなふうになるんでしょうか。

麿 まぁ、もう一度真っ暗闇、停電になって、結局のところはやはり、こういう言い方をするのも何だけど、近代の末端まで行っちゃうでしょうね。つまり、どんどん先細りっていうか、エネルギーが枯渇してきて、何でも競争になって、それで今空気まで何とかエネルギーにしようとしてたりするわけだ。空気吸うにも金取られたりね、人頭税どころじゃなくなって(笑)。

−−社会が、まぁそのように枯渇しますね。それが、アート、表現の復権につながるわけですか。

麿 そうですね、みんなタダにしろーってわけですね。アートを含めて、タダにするにはどうしたらいいかってことですよね。われわれにとって当たり前だったものに資本が入ってきてるでしょ? まだ行き着くとこまで行ってないから気が付いてないと思うんですよね。そういう意味で、今度の「死者の書」にもつながるんですよ。自殺したら自殺税とか(笑)。ね、自分の死なんだから。決して自分の死とは言えない関係っていうか、それをヒューマンな関係とするか、ものすごく冷厳なものにするか、両面あると思うんですよ。


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