PAN PRESS
Performing Arts Network


「とにかく続ける……」

ぼくが10年ほど前に文章を書き始めた時、ある年長の詩人が「とにかく続けることです」と葉書をくれたことを、今でも心の糧にしている。北村成美が十数公演踊り続ける「北村成美のダンスマラソンvol.2」(2002年1月8〜14日、東山青少年活動センター)は、6日間で12公演、途中にワークショップやカラオケダンス大会(すごい盛り上がりだったらしい)まで入れた超ハードなスケジュール。「北村成美のダンス天国」としてスタートした作品を「rep-2」とタイトルを変えて短期間に集中的に踊りまくる。

今回の「rep-2」で気づいたのは、ひたすら削ぎ落とされているな、ということだ。プロットも、動きも。そのために、作品と動きの骨格がひじょうに見えやすくなっている。繰り返し踊り続けることで、作品としての成熟が削ぎ落とすという方向に動くのが面白い。熊川哲也の『メイド・イン・ロンドン』の文庫版を読んでいたら、「ダンサーは舞台に数多く立つことでしか磨かれない」という言葉に行き当たったが、北村はとにかく同じ作品を何度も舞台にかけることで、ダンサーとしての彼女自身も作品も共に磨いてきたと言えるだろう。

ダンスでは他にアンサンブル・ゾネ「闇の中の道」(1月11日、神戸アートビレッジセンター)、サイトウマコト構成「不思議の国のアリス」(1月27日、よしもとrise-1シアター)、トリイホールで見た宮北裕美らHOSTUNKNOWNの「metal brain」、呆然リセットが印象に残っている。

さて、1月には震災から7年という一つの節目を迎えたが、桃園会の深津篤史がワークショップの公募メンバーによって「カラカラ」連作の「吉永の場合」「遠山の場合」を連続再演した(神戸アートビレッジセンター、1月19日)。そもそも「カラカラ」は、震災の年の5月に京都で短いオムニバス作品として上演されたのを始まりとし(未見)、同年8月末、やや長い改訂版としてアイホールで再演された。避難所となった体育館を舞台に、少女がボールを「ドカーン」と落として「地震ごっこ」をする音、瓦礫から発せられる「カラカラ」という乾いた音、そんな対照が印象的なスケッチのような作品だった。それが'97年4〜5月に「カラカラ〜トートの書#2桜の園」と題されて上演された「吉永の場合」「遠山の場合」では、そこで用いられたモチーフを生かしながらも、場所や人間関係の設定がずっと(普通の意味で)劇的になった。

今回の上演では、特に後半で多くの加筆がなされていた。震災から7年という歳月の堆積が、深津自身の内省となり、その後の震災をめぐる現象や言説への苛立ちを率直にあらわした言葉となって、ぼくの心を刺した。

しかし、何よりぼくを貫いたのは、深津が今また「カラカラ」を連続で、神戸の地では初めて、しかもこれまでとは違って関西弁で上演した、ということの重みだった。やはり深津には一つのことをこんなに追い続ける執拗さがあったのだと、感服している。ワークショップ生による上演のためか、関西弁が少々ぎこちなく、その点についてもまたいくつかのことを考えさせられた。今のぼくたちにとっては、地元の言葉を公けの場所で使うことはこんなにも難しいことになっているのだろうか、とか。

そしてそのようにつまり、ぼくたちの身体から本当に出てくる言葉というものが、見つけにくくなっているのだろうか、とか。あるいは、震災をぼくは本当に自分の言葉によって語ることができた/できるだろうか、とか。

とにかく、続けることからしか、何も見えてこない。(P.A.N.PRESS)


笑う時間

BISCOの「読6〜恋する惑星」(11月16日、トリイホール)がよかったのは、もちろん恋の始まりと終わりを切実かつコミカルに仕立てた展開の面白さによるが、それを推し進めるための動きのエクリチュールがその展開する抒情に的確に合致し、ひじょうにさわやかでありながらしっとりとした切実さをもっていたからだ。朗読または暗唱される言葉に合わせて、文節ごとに手話のような動きを当てていくのは、彼女たちのいつもの得意技なのだが、それがある程度の長さをもって、しかも彼女たちが共有または直面していると思いやすい恋というテーマによって展開する時、感情的にもしなやかさが感じられ、意外なほどの美しさをもって現れた。

動きとしては、手話的な指を中心とした小さな動きと、上体を大きく使ったストロークの組み合わせがあざやか。また、たとえば「恋する惑星に迷い込むことに、なるでしょう」と読まれた、最後の「しょう」という音に合わせてリリースする、繊細な言葉(音)と組み合わされた動きが、恋の始まりのときめきのような興奮を味あわせてくれた。彼女たちがベースとしているジャズ・モダンの動きが冴えるのは、あるきっかけで数人の動きがサッと風のように揃えられる時で、観ている者もその時同じ風を感じることになる。

そのようにして会場全体の同調性が増すことによって、観る者の感覚も開いていき、恋が破れた後のリゾートの場面、「真赤な太陽」など、多くの観客が笑いのツボにはめられたように、受けていた。彼女たちの恋の始まりから終わりまでの、長くも短い時間を共有するうちに、ぼくにとってこのBISCOの面々が、とてもいとおしい存在になったのは確かだ。

ダンスを観ながら笑った経験としては、ダンスユニット・セレノグラフィカの「樹下の双魚」(11月14日、トリイホール)の前半のいくつかのパートも挙げられる。男女一人ずつのこのユニットは厳しい雰囲気をもったコンタクトが魅力なのだが、その本来の魅力を打ち出すパートを最後に置いて、前半から中盤までは笑うこともできる軽い小品で構成した。

男女のダンス・バトルの果てに大相撲さながら座布団が投げ入れられたり、男が女のお尻を触ってどつかれたり、といった小咄的な面白さが連続して提出される。その後で阿比留修一、隅地茉歩のソロがあり、このユニットが一番見せたいであろうコンタクトへと続く。

この2人のコンタクトで面白いのは、互いの身体をキックボードのようにして、ぶつかり合うことから自身の跳躍的な動きを創っているようなところだ。だから、「ふれあい」という言葉にしばしば込められる幸福感のようなものは乏しい。2人がお互いの生存のために切羽詰まったところで、すがる藁を求めているようだ。幸福感の代わりに、絶望からスタートしたような切迫が感じられるのが、このユニットの魅力だと思う。

60分強という標準的なソロ公演の時間を、小人数のユニットでどのように創り上げていくか、かなり難しい問題であるのだろう。前半のコミカルな作品は、確かに面白かったのだが、少々じらされたような気分にもなった。また、笑いが発している場所が、言葉に置換可能であることも少し気になった。しかし再び考えれば、最後に置かれたコンタクトの作品に対する一つの解釈方法として有効だったようにも思う。笑いの中に少し残酷なもたれ合いが生きている。そんなヒントを前半で出していたのかもしれない。


空間による身体の大きさ

いささか旧聞に属するが、「DANCE at the gathering 2001」は、国内外で活躍する多くのバレエダンサーを一挙に通覧できる、なかなか面白い公演だった(7月28日、シアター・ドラマシティ)。12もの作品が次々と上演されたので、すべてを紹介するわけにはいかないが、2つだけ。

ドレスデン国立歌劇場の康村和恵は、David Wilde振付「unimportant feeling」でダルそうに舞台中央に歩いてきたかと思うとニヤリとして前屈、すぐにカクカクと動くなど、ユーモラスでクールな作品に仕上げた。ひじょうに長く細い足を上げるだけでも、アクロバティックな迫力がある。トウシューズに履き替えると、赤の下着姿になって驚かされたが、その取り合わせの面白さが、錬磨された動きの素晴らしさ以上に、センスのよさを感じた。ラストは、脱いだズボンをマフラーみたいに首に巻いて、実にカッコよかった。

「Cherry Juice」(振付=Ayman Harper)は、ネザーランドダンスシアター2の井関佐和子とハーパーによる作品。井関の動きはキックが効いていて素晴らしいし、服をぬがそうとしたり、はずみでキスしたりという展開もユーモラスでちょっとエッチでいい。緞帳の上げ下げや客電をうまく使って、作品の始まりも終わりもよくわからないように宙ぶらりんにしているのが、そのこと自体を気楽に面白がっているようで、好感を持てた。

ぼくはこの公演をトリイホールのDance Circusのように楽しんだ。次々と、何が出てくるかわからない。ジャンルも、レベルも。そのワクワク感と緊張感を、ドラマシティのように800人定員の中規模劇場で持続できるとは思っていなかったので、それが新鮮だった。6月の男性ダンサーを中心とした冒険的な「ジャン・コクトー」、10月の田中泯+東儀秀樹の「リア王」など、ダンスの冒険作が続いている。今後の展開が要注目。

中規模劇場での公演となると、舞台の広さ、客席との距離がトリイホールやアイホールとは異なるので、全く違ったアプローチが必要となるだろう。機会があれば、小さな空間でも大きな空間でも十分に魅力的な身体を見せて、驚かせてほしい。

小さな空間といえば、9月にはハイディ・S.ダーニングの家でハイディやRosaゆき、田村博子らの「5 Solos」、芦屋川のギャラリー藤で岡登志子や平川明子(声)らの即興公演「秋をつぶやく2」、拙宅でMonochrome Circusの「収穫祭」を体験した。小さなホールともまた違って、身体の近さが迫力であるよりも親しさであることがこのような公演の大きな魅力であり、特徴だ。また、ダンサーの細かな動きや表情を寸分逃さず満喫できるのも言うまでもない。Monochrome Circusは「大収穫祭」(9月25〜27日、Art Complex 1928)でももちろんだが、踊ること、コンタクトすることにこめた祈りや願いのようなものが、はっきりとした形で感じられるのがいい。(PAN PRESS 2001.10)


世界をつくる辣腕

10分にせよ3時間にせよ、観る者をその作り上げた世界にどっぷりと浸からせてしまうためには、相当強い力が必要だ。この2ヵ月ほどの間に観た多くの作品で、強い力で構築された世界の大きさや、その世界をそう見せるために費やされたであろう多くの労力や工夫、的確な選択に感心させられた。

第一に挙げたいのは、YOKO-HIGASHINOを中心としたBABY-Qの「teletext stereogram」(7/14、アイホール。左写真=撮影・John Harte)。増幅された音、ナマの音・声、光、身体の運動・見せ方……過剰なほどに多くのものを詰め込み、そのことによって不安定で危機的な世界を構築しえた。冒頭、電球とマイクを包んだ袋を天井から吊るして、3人の女性ダンサーがガリガリと音を立てて袋をわしづかみにし、投げて振り子のように揺らし、その間隙をぬって移動する、というシーンから、この作品の階調は決定されたと言ってよい。音と光と身体の動きが織りなす、美しさや優雅さと危機的な残虐さ。この後も、圧迫的な轟音、無秩序なノイズ、センシュアルな姿態や動き等と作品は展開していくのだが、まず作品が多くのノイズを持ちながらも、一つの世界としてきっちりと主調を形成し得ていたこと、その世界を構築するために、このように人間の身体が必要であるということを明確に見せ得ていたことで、ぼくはこのHIGASHINOという若い女性を中心とした異能ぶりに感嘆したのだった。

再演を繰り返せば作品の完成度が高まっていくのは当然だが、その過程で別の世界が覗き見えてしまうのは、観客の理解度の深化もあろうが、やはりダンサーの身体の中での変成によるはずだ。砂連尾理+寺田みさこが「下鴨気象」(7/22、アトリエ劇研)、ダンス・ピクニック(7/29、びわ湖ホール)、パフォーミング・アーツ・メッセ2001(7/31、グランキューブ大阪)と様々な時間、スタイルで踊った「あしたはきっと晴れるでしょ」は、日常的な男女の関係性の中から、個的な壊れや両者のすれ違い、些細な滑稽さが顔を出し、観終えてゾッとするような深淵が開いていたのがよかった。エメスズキ「aquanoise」(6/13、トリイホール)はソロ、デュオ、トリオという3つの小品がしっかりした構成で提出され、その中でエメの魅力が最大限に発揮された。

「ダンス・ピクニック」(7/20も)、「パフォーミング・アーツ・メッセ2001」と、一度にたくさんのダンサーを観ることができる企画が相次いだのも夏休みならではか。普段ホールでダンスを観ない人が上質な作品にふれるいい機会になったのではなかったか。小池修一郎「堕天使の恋」(6/27、ドラマシティ)が切り口と男性ダンサーの冴えで、謝珠栄構成・演出「天翔ける風に」(原作=野田秀樹「贋作・罪と罰」、7/13、新神戸オリエンタル)が演出の妙と主演の香寿たつきの素晴らしさ、佐渡裕指揮・バーンスタインの「Candide」(7/21、フェスティバル)が宮本亜門の演出のクレバーさで、光った。(PAN PRESS)


ゆるみ、崩すために

回るとか倒れるとか、そういう動詞にしてしまえば単純な動きの連鎖に、これまでいかに多くのダンサーが挑戦してきたことか。いわゆるダンスとしてだけではない、旋回舞踊とか五体投地にまで通じて、大げさではなく何か別の世界の何ものかに通じてしまうような恐ろしさ(?)がある。

CRUSTACEAの2人が提示したのは、瞬間ごとに終わってしまうことの痛切と、その後に果たして救済が用意されているかということについての、彼女たちなりのシンプルな回答だったように思う(5月21日「2P(要冷蔵)」トリイホール・ダンスセレクション)。

ふだん彼女たちが多用する観客に対するコケットリィ=翻って自己慰撫のような態度がまったく見られず、見ようによっては別ユニットのようだったことそのものについては、ここではいったん留保しておく。これまでの彼女たちの作品の延長として今回の作品を判断することが有効なのかどうかが、速断したくないからだ。

ぼくはぼくたちの不断の日常というものは本当は美しいものであってよいということ、つまり既に救われた存在であってよいこと、を痛切に感じることができたように思う。

同じ企画で翌日、尹明希は「AKTAMOKTA」という作品で、彼女は一見無秩序で激しいだけの回転を延々と続けた。しかしよく見ているとそのステップは音楽(松本じろ。すばらしい)を 独特の感覚で掌握した上で、爪先まで神経の行き届いたものであることがわかる。足の運びはひじょうに複雑だが、凝視しているとそこから音楽の本質が見えてくるし、不思議な快楽のようなものまで伝わってくる。彼女の表情はと見ると、放り上げられたアルルカンのように、攻撃的で不敵な笑いを浮かべている。

中間部分においても、関節がないような、またバネに引き戻されるような動きを見せるが、決して形容詞で束ねられるような動きではない。そのような動きから、再び冒頭の回転へと導入される間の高まりが、またひじょうにスリリングなものだった。後ろ姿でゆらゆらと左右に揺れ、片脚が微妙なリズムでステップを踏んでいたかと思うと、動きに鋭さ、次いで大きさが出て、もう回り始めていた。「待ってました!」、と声をかけたかったぐらいだ。終わるとこちらも汗びっしょりになっていた。

京都造形芸術大学に新しくできたStudio21では、岩下徹が「羽化の理由」というコンセプトに基づく長いパフォーマンスを演じたが、そこでも地面の縁から落ち続けるような激しさが印象に残っている(4月21日。共演=山田せつ子)。壁伝いに、立とうとする、立てない、ずり落ちる、という単純な反復が大きなドラマであったし、それに続いて舞台の縁を綱渡りのように爪先立ちで進み、すさまじい勢いで倒れ落ち、舞台の下まで転げ落ちる。あぁこの激しさが厳しさがと思っていると、いきなり「365歩のマーチ」が流れる。このあたり、岩下の真骨頂であった。

動きが一つの型を作り、その美しさというものがある。痛烈に感じるのは、そこから型がゆるんでいく時間が途方もなくせつなくいとおしいということだった。ぼくたちにダンスが必要な理由が、このあたりにあるのではないかと思った。(Pan Press 34)


いつも「いま」は葬られていて

年の初めは、どうしても「記憶」とか「思い出」とか、そういうことを考える。117日には、芦屋から神戸の東部新都心にできる予定の阪神大震災のメモリアルセンターまで、約10qを歩くメモリアル・ウォークというのがあって、6年目にして初めてそういうものに参加してみた。「歩く」といえば、フルカワトシマサの「Walking Steps」というパフォーマンスを鮮烈に思い出すが、それが歩くという行為そのものと、それによって副産物的に派生する様々の思いに興味の中心があったのに比べれば、この日のメモリアル・ウォークは、数千人が亡くなった被災の中心地を踏みしめることそのものに意味があった。

2月某日、ふとした気の迷いで、35年前まで住んでいた街を歩いた。といっても、7歳までの記憶をたどってのことである。かよっていた銭湯のあまりの小ささとみすぼらしさに胸塞がる思いをし、大観橋から見た明石海峡や淡路島の美しさに目を見張った。豆腐屋の息子の家は豆腐屋をやめていた。水道屋の息子の家はまだ水道屋だったから、訪ねれば会えたかもしれない。ぼくが生まれ、幼年期を過ごしたその家は、小さなワンルームマンションになっていた。ぼくがその家を離れて今の家に養子に来てから、その家は2人の葬式を出し、みんな離れた。今はなんのよすがもない。

dumb typeの「メモランダム」(1227日、シアター・ドラマシティ)は、とても難しい作品だった。以前の作品で使われていた映像が断片的に流れ、去った。耳を聾する爆音や強い光が、しばしば観る者の感情の流れを寸断した。しかし、それが一人のメンバーを失ったということを一つの大きな核として創られたのだと仮定してみれば、とてもシンプルに見えてくる。存在は明滅する。残った者たちは、何もなかったように、または何も失わなかったかのように、たとえば、踊る。

白井剛らの発条ト(ばねと)の2000年バニョレ国際振付賞受賞作品「Living Room−砂の部屋」(217日、アイホール)は、もっとシンプルで、そのためさらに力強い作品だったように思えた。そこで何が失われているのかは知らないが、みんな喪服のように黒い服を着ていた。映像、ビデオカメラをうまく使っていたのは、近年の多くのコンテンポラリーダンスの作品と同工と思われもしたが、そのすべてが「思い出す」とか「再現する」ということに強くまとわりついていて、映像がただ平面の広がりをもつだけでなく、時間を自由に往還するさまが強烈な印象を残した。

「作品ノート」にもあるように、「いま」をとどめようとする行為である「記録」=映像と、つかんだ先からさらさらとすり抜けていく「いま」=身体を対比させているという、いわばそれだけのことで、これだけ強い世界を提示しえたのだ。

ここで「記録」と呼ばれているのは、それが映像自体でか身体によってか反復され、当然2度目からは既視感として強い幻惑を起こさせるもので、時間の異化・惑乱がかなりきつく体験されるのが特徴的だ。

ラストのハイスピードによるリワインドは、現在をはるかに突き抜け、ついに開演前の時間にまで及んだ。「いま」はいつも現在に葬られながら過去になる。そのことがかくもシンプルにあらわにされたことで、少し身体表現に希望をもてたような気がする。(2001.228 P.A.N.PRESS)


再び見ることができるという喜び

 199Q太陽族「レ・ボリューション#99」(5月末、KAVC)、芝居屋坂道ストア「あくびと風の威力」(6月中旬、OMS)と、最近上演された二つのすばらしい演劇作品が、どちらも再演(前者は再々演)だったのは、偶然だったろう。もちろん、両劇団は、すばらしい新作を続々と生み出し続けている現役の劇団で、岩崎正裕、角ひろ美という優れた作家に恵まれている。銀幕遊学◎レプリカントも再演作業を続けている。宝塚歌劇も二十数年前の名作ショー「ノバ・ボサ・ノバ」をはじめ、今年は再演が目白押しだ。

再演は全く悪いことではなく、再び見ることができて本当に嬉しいと思える作品こそが再演される場合が多いわけだから、喜ぶべきことである場合がほとんどだ。そして多くの場合、再演によって作品は完成度を高め、演技や動きも深みを増す。大阪での公演を東京に持っていったりということが、ちょっとした劇団やユニットでも簡単に実現するなら、作品の完成度のためにも、表現者の成熟のためにも、観客の眼福のためにも、まことに喜ばしいことであって、JCDN(Japan Contemporary Dance Network)はそれを推進しようということを活動目標の一つに据えているのだそうだ。詳しくは、ウェブサイトで。http://www.uniteddigital.com/~jcdn/

山海塾などは、一つの作品を何年にもわたって何ヶ国でも上演できる。5月8日にびわこホールで上演された「遥か彼方からの―ひびき」はぼくたちにとって珍しくその日本初演(昨年12月パリで世界初演)を目にする機会となった。印象に残っていることは多いが、天児牛大その人の精神の志向性、身体の超越性が屹立していたように思う。かつて見た山海塾は、額縁に入った風景が静かに動いているのを見るようで、向こう側でしか世界が動いていないような印象があったのだが、今回、天児は風景であることを拒んでいるように見えた。コントラバスとの交響(あるいは、その奏者であること)というコンセプトから、大きな弦楽器を弾くという逃れようのない身体性を抱え込んでしまったことによって、否応なく踏み出てしまう動きとなったのかもしれない。何かから溢れ出てしまうようなのっぴきならない切迫が、こちらまで響いてくるようであった。

 以前トリイホールで上演した「スペース4.5」を、ヤザキタケシは「芸術祭典・京」で再演することができた(6月13日、京都国際交流会館)。時間の制限もあったのだろうが、自らのエッセンスをみごとに抽出して、初演にも増していい作品となった。再演は、観客をも成長させる。4.5という数字が示す四畳半というコンセプトに表れた日常性に基づく身体の起居の面白さ、楽しさを、初演時よりはるかに深く味わうことができたように思う。初演時に比べて、展開によどみや休みがなく、身体性そのものを堪能できた。

尾沢奈津子を中心としたN-TRANCE FISH「それでもぼくらは生きている」(4月18日、メルパルクホール)のダンスショーとしての見せ方の間然のない楽しさにもふれておこう。上海太郎舞踏公司や宝塚歌劇にも通じる、ちょっとしたストーリーと反復を与えて観客を飽きさせない構成もあって、面白い公演となった。特に室町瞳や尾沢自身のような動きの定まった者が出てくると、格段に締まる。


流れる美しさに楔を打つ−武元賀寿子と梅津和時

年末から、仕事の都合でダンスを見に行けない日々が続いていた。ようやく見ることができた武元賀寿子と梅津和時(サックス)のステージ「Song of Memory:GARDEN-Niwa-」(2月3日、TORII HALL)のことを、数日後の日曜日、山下残の楽しい公演の後、続いて遅れて入った竹ノ内淳と別所誠洋との絶妙のコラボレーションを見終わって、京阪七条までの道すがら、あるダンサーと話していた。何日かおいて、よかったダンスの話をするのは、本当に楽しい。

まず武元の身体の安定感のある美しさが印象に残っている。時折見せたアラベスクのようなポーズに揺れがないのには驚いた。そんな淀みのない美しい動きが、ただそれだけにとどまらない刺激的な舞台になったのは、設定や構成の巧さと梅津和時の存在だった。

この公演の時間の流れに、最も強く楔を打つアクセントとなったのは、実は梅津の存在であった。冒頭、サックスのケースを片手に「永遠の旅行者」のような出立ちで現われ、楽器を組み立てるとまたバラして去っていき、絶妙のエアーポケットのような時空を作った。このように冒頭にエアーポケットを作ってしまうような構成は、希有だといえるだろう。意表を突かれたぼくたちは、初めにちょっとリラックスすると同時に、一種独特な気分に染められてこの作品に入り込むことになったわけだ。その後も梅津は、第一には何種類ものサックスやバスクラリネットの音の重みのある艶によって、第二にはふとした折に見せる軽やかなステップによって、第三には何とはなしに空気を柔らかくする風貌によって、作品の重要な役割を担った。

小道具として有効に作用したのは、透明なアクリル板である。それは水平になると泉になり、梅津が音を奏でるためのテリトリーとなり、また垂直になると鏡になり、武元が抱きかかえてデュエットを踊ると、愛の対象にもなった。透過もし、反射もする。その多義性が武元の確かな身体に多くの表情を与えた。

 武元の現われは、ちょっと掴みにくかった。ただただ後方に進んでいくだけの動きを、延々と続けた。時間が逆回しされているようにも思え、何かにつかれた小動物のようにも思えた。そのように、彼女はちょっと説明しにくい魅力を持った複雑な動きをする。仰向けになって腕と足で話しをしているようだったり、裾をからげて足を奇妙に出し入れするナントカ節のような面白い動きをしたり。

しかし、その種の細かな動きの面白さが、全体的にはあまりの安定した美しさの前に霞んでしまうのだ。ぼくはこの公演を見ながら「きれいすぎて、」とメモしてしまっている。先に述べた複雑な独特な動きは、もしかしたら武元の動きが美しすぎて流れてしまうのを押しとどめようとするものなのかもしれない。美しく流れてしまう時間をささくれ立たせるノイズの役割を、細部から与えようとしているのかもしれない。

 「よく動く身体」に時折ぼくは物足りなさを感じることがある。きっとダンサー自身もそれを自覚し、自らの動きに楔を打ち込むために様々に工夫を凝らすのではないだろうか。そうだとしたら、この公演は、とてもうまい具合に成功していたといえる。

 山下残のあの何ともいえない味のあるパフォーマンスを「ヘタウマ」と言っては失礼になるかもしれないが、ダンス公演「空の音」(2月7日、スペースイサン東福寺)の彼の動きからは、まだよくなめされていない獣の皮のような肌ざわりがして、おもちゃのピアノやピアニカの音楽の色あいとも相乗して、心を開かれるようなぬくもりを感じた。

こういうものを見ればああいうものがいいと感じ、ああいうものを見ればこういうものがいいと文句を言う。観客というものは気まぐれで貪欲だと、改めてわれとわが身を省みる次第。


ドラマティック・タンゴ!

 奇妙なブームは去ったとはいえ、みんなタンゴが好きみたいだ。一流のクラシックの音楽家たち―ヨーヨー・マやクレメルもピアソラにトリビュートした、いいアルバムを出している。

 京都を中心に活動しているアストロリコの面々、特にバンドネオンの門奈紀生を聴き、その演奏する姿を見ていると、まずそのカッコよさに言葉を失う。ダンディということ、流儀(スタイル)を持っていること、その上で男が女を、女が男を蕩し込むための手練手管が交錯している。音楽はその掛け引きを円滑にまたはいっそう悲劇的に進めるための潤滑油の役割を遺憾なく発揮する。

 アストロリコを知ったのは、元宝塚歌劇団花組のトップスター、大浦みずきの「Che Tango '99」(7月11日、宝塚バウホール。構成・演出=酒井澄夫)でだった。大浦は宝塚歌劇団の現役時代、リンダ・ヘーバーマンの振付作品を主としたニューヨーク系のシャープなダンスを特に得意とし、「ダンスの花組」を形成していた。そのダンスは確かに素晴らしいものだったが、どちらかというとキレが先に立って、艶っぽさの面でいくぶん欠けるように思えていた。だから、少し前から彼女が(女性ダンサーとして)タンゴに没頭していると聞いて、やや意外に思っていた。

 大浦のタンゴは、初々しさに満ちていた。タンゴを始めて何年もたっていないというだけに、ステップはあまり複雑にせず、どこかしら注意深い、いい意味での臆病さ―大きく困難なものに向かうのだという敬けんさのようなものが仄見えていたのがよかった。それが、出会ったばかりの男と女の初々しいかけひきのような微笑ましさをたたえていたのが、何よりよかった。ペアを組んだフリオ・アルテスの好リードも見逃せない。

 さて、この公演は何人かの振付家による競作でもあったのだが、「パリのカナロ」や「ラ・クンパルシータ」でシャープな構成を見せたケンジ中尾は、いささか旧聞に属するが、「AtmosphereU」と題するそのカンパニーを中心とした公演で、紫ともという宝塚歌劇団元トップ娘役とタンゴ「ASHITA」を踊った(5月30日)。これは大浦のともまた違った空気で、一種のスリルに満ちた、いいステージだった。退団して数年たつ紫はますます匂い立つように美しく、ここから男と女の新しい人生が始まってしまいそうな予感に満ちたドラマチックなタンゴだった。中尾の動きのスピードとキレ、他の作品で見せたジャンプの力強さも改めて特記しておきたい。

最後まで宝塚でいってしまおう。シアター・ドラマシティ初演で、神戸こくさいホールに所を変えて再演された月組「ブエノスアイレスの風」(7月18日。作・演出=正塚晴彦)は、主演の紫吹淳のタンゴのステップが男と女の明日への夢と不安をシャープに描いて痛切だった。かつて反政府運動のゲリラだった男が特赦を得て店で踊っている。相方と一緒に有名な楽団のオーディションを受けることになったその日に、昔の仲間のアクシデントに巻き込まれる……。タンゴがドラマそのものであり、タンゴが時を盛り上げ、尖鋭化させていく。背を反らした肩越しに地面を見つめる斜めの姿、視線、表情、影……紫吹のすべてが、この大きなドラマのエッセンスとなった。


エメスズキにいざなわれた甘い酩酊

 11月14日、応典院へエメスズキらの「WATER vol.2 糸遊花(かげろう)」を見に行く。実はこの日は、11:00から宝塚バウホールで花組の「Endless Love」(H.アール・カオスの大島早記子の振付で話題になった)、続いてAI HALLで劇団2年6組山田学級等による北村想「私の青空」を見ての3連チャンで、脳みそも心もヘロヘロだったが、ホールに入ると、なんだかいい香りがして、少し頭と心がクリアになっていくような気がした。

 そしてまたぼくは酩酊の旅に誘われることになる。公江ナオコが左腕以外の全身を収縮する白布にくるみ、秒を刻むかのように動く。方向性が外部から定められたような、他律的な動きだが、腕が振られることによって身体の重心が移動するのを、身体の他の部分がどのように受けていくかということも、精緻なバランスの上に危うく成立していた。

 舞台には白い紗幕が何重にも降りている。照明の効果とも相まった、空間の輻輳が美しい。その向こうでやはり紗をまとったエメがゆっくりゆっくりと動いている。人が、歩くという動きをとることでどのように揺れるのかを揺れているようなエメの姿を凝視していると、いつか甘い酩酊に誘われ、ここに構築されている一つの世界に呼び込まれている。

 呼び込まれる/または侵入するぼくは舞台の上では袋坂安雄の形をとって、様子を窺い、入り込み、いつしか共に世界を創っている。しかしそれは世界のための部分的な道具でしかなく、エメの動きが自律的で滑らかであるのに対し、何者かに動かされているようなぎこちない印象が残る。

 一つの王国と時の刻み、侵入者、などと図式的に解読可能であるように見えながら、最後にぼくの中に残るのは、悪あがきのように昂揚した焦燥だけだ。彼女たちの世界が去っていくこと、彼女たちの動きが目の前で過ぎ去っていくのを追いかけて、異界へ身を投げたくなるような、悲しみと言ってもいい。

 銀幕◎遊学レプリカントの栃村ゆき子を中心としたユニット「砂月-13」が、ワイルドの「サロメ」を題材にした「三つのヴェール・ダンス」(11月29日、於・アムリッタ)は、栃村の動きのキレと冷たい表情、言葉の処理、サロメとヨカナーン(冨田大介)の対立の厳しさ、音楽の美しさなど、全てにわたって高い完成度で見る者を圧した。

 宮本亜門プロデュースの「七つの大罪」ほか(12月6日、於・シアタードラマシティ)のダンサー、特に厚木三杏、遠藤康行の素晴らしさ! 高い芸術性とそれを楽しませるための仕掛けや枠組みのスマートさ。ドラマシティがコンテンポラリー・ダンスで何日も満席になることの意味も含めて、改めてダンスを開くことの課題を考えたい。

 金満里「ウリ・オモニ」(11月22日、於・扇町ミュージアムスクエア)は、朝鮮舞踊の名手だった金の母に捧げられた作品。彼女の身体の不自由さという固有性が、たまらなくいとおしく美しいものに思えた。(1998年12月)


ダンスを語る−not critic, but analysis

 9月23日、「アンサンブル・ゾネ Dance Analysis 動きを観ることからvol.1」が東灘区民センター小ホールで行われた。岡登志子を中心とした面々が、鮮やかにダンスの味わい方を開いてくれるのを、落ち着いた会場の雰囲気もあってしっとりした気分で確かめることができた。前後・左右・上下という基本的な動きとそのバリエーションをソロと群舞で見せる。観客を自由に移動させて様々な方向から見せる。無音で見せ、音楽をつけて見せる。そのような一連の共同作業によって、ぼくたちはダンスが、身体という空間と、ホールという空間によってどれだけ豊かに変化しうるものかを知り、そこで「私」と「踊る人(たち)」との関係性がどれほど微妙なバランスによって成立しているのかも知ることになった。

 岡は、自ら自作を分析して見せた。それは言葉による分析であるよりは、対比して見せることで見る者が好悪や優劣を判断し、その理由を考えるということだった。そのような思考の展開は、そのまま見る者が作品の成立過程を自分の中で再現するという作業だったはずで、このとき空間の中ではいくつもの時間と思考過程が流れたことになる。

 中でも、岡がソロ「地の上で」のソロ・ピースを無音で踊り、続いて内橋和久のテープをバックに踊って見せたのは面白かった。ソロの息詰まるような求心力が、音の介在によってずいぶん融和され、否定的な意味ではなくホッとするような気持ちになる。神経を研ぎ澄まして一点に集中させるのではなく、複数の対象に分散させることで、かえって見えてくる世界がある。ポツポツとはじかれるギターの弦の音が、身体の動きの一つ一つを読み解く標べのように思えた。

 「批評ではなく分析(または解析)」と題したのは、'98新進振付家作品公開クリニック(クリティックではなく。10月4日、万博ホール)でバニョレ国際振付賞ディレクターのロリーナ・ニクラス女史がそう言っていたからだ。ぼくは残念ながら午前の2作品だけで退席したのだが、15分程度の作品を上演した後で、ダンサーたちと女史を中心としたフリートークの形で作品を読み解くことを目指したものだった。そこではバニョレの「よいダンサーを世界市場に売り出す」というマーケティング指向や、バニョレにおいてもダンスと非ダンス(パフォーマンス的なものとか)の境界を模索しているという話を新鮮に聞いたりもできた。

「論」という字は「あげつらう」とも読む。ダンスを語ったり論じたりすることは難しく、せっかくの多様で豊かな世界を矮小化したり、自らの狭量な世界観やひとりよがりの好悪を押しつける危険と隣り合っていることは承知している。ダンスを語るこの二つの企画を通じて、ダンスを開く言葉を共有することの大切さを痛感した。ぼくもまたよい解読者、分析者でありたいと願っている。この小さな紙面が、その糸口となればいいのだが。(1998年10月)


 夙川のBARTON HALLという小さなホールでほぼ毎月、角正之のプロデュースによるダンサーとミュジシャンのコラボレーションが開かれてきた。7月21日には北村成美の公演が企画されていたが、その朝、ホールの支配人である森脇氏が急逝され、中止となった。それから約一ケ月、8月18日に角がシンセサイザー+振動装置の泉川ピンタと公演を持った。一連の公演は「BODY MEDIA MIX LAB 環境のホモノイズシリーズ」と題されている。

 ステージには白い布が四囲から床をなめるように張られていた。開演前ぼくは、これは地面を二重化する仕掛けだと思った。ダンサーの足の接地面が布で覆われているということについて、世界の二重性とか、デュシャンの言う薄膜とか、いろいろと難しいことを考えていた。確かにそれもあっただろう。しかし、実際に角が動き始めると、布が滑って踏んばりがきかないことがわかる。空間の二重性やら平面の覆いであるより前に、当り前の動きを妨げるものとして存在している。ぼくたちの理屈っぽさをすくい取るように、何度か角の足もとをすくっていた。地面がさらわれていた。

 もう一つの仕掛けは、泉川がセットした振動装置である。音が波となってホール全体を揺らし、からだが震える。からだが外側から動かされ、いつかそれが感動となって心が動かされている。これは不思議な経験だった。

 それはまるで、角の厳しい視線を持った彫りの深い美しい表情が神々しさをまとって客席に送ったアウラの震えのようだった。名状しがたい一連のダイナミックな動きが、王のような威厳を湛えようとする。しかし最後にはすべて細粒に帰し、「まがいものの神」と歌われジョークとして片付けられるという構成をとる。ここで提示された終結について、一つの二重性として宙ぶらりんにしておけばよいのかも知れないが、この処理については、何とももったいないような気がした。神を持たないぼくたちのかなしみでもある。

 他には、ちょっと遡るが「蒸発願望」(TORII HALL、6月17日)での安川晶子の豊かな硬度を持った身体と映像(赤松正行ら)の出会いの見事さ。イスや吊り革を使った巧妙で意表を突くスピードの提示。作品の終わらせ方の難しさ。トランジション・ダンスカンパニー(よみうり文化ホール、7月6日)の多様な作品に対する若々しい器用さについての若干の不満。「無表情黙々舞踊」(TORII HALL、7月22日)での杏奈、尾沢奈津子の緊張感を保ったスピード。杏奈の柔らかさと硬さが融合した面白さ。伊藤キム(TORII HALL、8月5日)の自在な表情を持った豊穣な動きに支えられた構成力。彼とヤザキタケシが考えさせてくれたダンスの笑い。宝塚歌劇月組「ブエノスアイレスの風」(ドラマシティ、8月6日)の紫吹淳、雪組「ラヴィール」(宝塚大劇場、8月13日)の群舞が見せたタンゴの素晴らしさ。(1998年8月)


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