Rosaゆき

2歳の終わりよりクラシックバレエを学ぶ。以後、モダンダンス、ブレイクダンス、ショウダンス等を学ぶ。23歳の時、ジェーン・フォンダのワークアウトと出会い、1年後の83年岡崎聡子率いるジャパンワークアウトのインストラクターを勤めながら、多くのインストラクターを養成する。88年舞踏と出会い、89年から93年まで桂勘&サルタンバンクの全作品に出演する。84年より解剖学、運動生理学、運動処方、栄養学を勉強し操体法ヨーガ、気功、呼吸法、野口体操、整体などを取り入れた、身体を知りつき合う為のワークショップ を始める。89年女性のみの舞踏集団「SUB ROSA」を旗揚げ、以後、ソロ活動を中心に妊娠9カ月での公演も行うなど、エネルギッシュな活動を続けている。数年前の作品は女性をテーマにした作品が多かったが、最近の作品は舞踏独特の混沌とした宇宙観にとどまらず、普遍的な渇きや社会現象をテーマに作品づくりを行っている。(左写真は、1999年トリイホール。撮影=稲田卓史) 


身体と時間の軌跡

 1時間あまりの公演の中で、強く印象に残る動き――身体の軌跡というものがある。それは決して物語を紡いでいるわけではないが、なんとも名状しがたい強い感情を引き起こす。たとえばRosaゆきが「懐く、そして懐かれて…。」の中で、能楽の大鼓方の河村大を真似るように繰り返していた、鼓を打つような大きな腕の動き(SUB ROSAChocolat200093日、アトリエ劇研)。大きく弧を描いた腕には、河村と違って打つべき鼓がないから、柔らかく畳まれ、いとおしむようにわが身をかき抱く。

 同じRosaが、今度は白いキャミソールの裾を握り締め、左右に振りながら大声でわめいたのは、1018日、「ジョカスタディーヴァ」でのことだ(企画・演出=ジョヴァンニ・フェッリ、トリイホール)。ホールいっぱいに響き渡るそのわめきが、いたたまれず凍りつくような、緊迫というよりも恐怖をもたらしたこの時間を、忘れることができない。

 Rosaの美しい顔や身体の表情は、実に大きく変化する。それは「へんか」であると同時に「へんげ」であって、人間のいくつもの状態を(自在にだか不随意にだか)次々と現わしていく。それはテーベの王妃、ジョカスタというギリシア神話の運命的な悲劇に翻弄された女性から触発されたこの作品にとって、まことにふさわしい身体であったということだ。(P.A.N.Press

SUB ROSAChocolat」 200093日 アトリエ劇研

 Rosaゆき率いるSUB ROSA、久々の単独公演。一番面白かったのは、能楽の囃方で大鼓の河村大をフィーチュアした「懐く、そして懐かれて…。」という作品。魚の頭のようなオブジェが数個、舞台のそこここに置かれている。後ろ向きに座った河村が大鼓を打つ姿をRosaがなぞる。河村の右手がすっと直線として地面と平行に上げられ、鋭く大鼓の面に向かって振られると、乾いた高い音が頭頂から背骨にしみるように思う。一方Rosaは上げた右手を、おのが身を畳んで抱き込むように振り、そこからは柔らかさが生まれている。

 存在が叩かれて少し壊れ、はかなく柔らかく溶けていくようだ。河村の動きからは音が生まれているのだが、Rosaの動きからは柔らかくつやのある流れが始まっている。音が時間を区切るきっかけである以上に、Rosaの、そしてぼくたちの骨や身にしみ入っていく物質として存在していることがわかるのは、音がどのようにして生まれているかが、男の背中でドラマチックな様式美として提示されているからに違いない。

 やがて狐のように憑かれた顔になったRosaが、虚空をパクッとくわえる。そのような意表をつく展開が面白い。あぁ、魚の頭が置かれていたな、ということと、義経千本桜を思い出すのとが同時で、大鼓によってこの狐のようなものが出てきたのだなと、ちょっとユーモラスな展開にほくそ笑むことになる。Rosaが魚の頭を抱えて歩くのが、妙に美しい。時に緩やかな動きに鋭さを入れて、Rosaが大鼓のような動きをとるのもまた一つのシンクロニシティとして深く楽しむことができた。

 さて、姿の美しさのことも言っておこうか。まず、河村の背と肩から腕の美しさに見とれていたら、最後の作品(というか、フィナーレ)の「Sunflowers」でこちらを向くと、あまりの美丈夫ぶりに驚いた。気配と時間に楔を打つ間合いを測り続けて緊迫した瞬間を重ねていると、このような表情になるのかと、そんな顔つきだった。

 冒頭の作品「Chocolat」で赤いワンピースのRosaが、やはり背を向けていたのだが、その肩胛骨の上下左右への動きがどれほどいとおしく美しかったか。そしてこちらを向いて身体を十字の形にして、リリースすると、なぜかやるせないような思いがわき上がり、センチメンタルな気分になったのは、おそらくただRosaの美しさのせいだ。ぼくは恋の気分になっていた。

 それはつまり、失うことを予感していたということだ。美しいものを見ると、ほしいと思う。せつなくなる。時間が経つのがたまらなく惜しい。つまりそれがエロスな気分とか、セクシーとかいうものだと思うのだが、そのような気分に掻き立てられることによって、見る者はそれをもっとよく見ようとすることになる。本当に見えるようになるかどうかは別として。時折、Rosaの表情の中に強い意志を感じることがあって、背筋がゾクッとする。そのように、Rosaからは様々な強い感情を掻き立てられる。


 (震災から)少々日が空く。311日(土。1995年)に、難波のTORII HALLRosaゆき演踏「月あかり、いま子象のそばで」を見に行く。「JAMCi」に、あまりに美しすぎてそれを不安に思ってしまう私というものを不審に思うことと、それら美しい動きが何かの喩としての意味に還元されてしまい、「身体の絶対性に向き合う完璧な美しさから徐々に遠ざかったのが残念だ」と書いていた。

 しかしその後、京都室町蛸薬師の元明倫小学校で、「こいのぼり」と題された彼女の舞台に再び接すること(57日、芸術祭典・京プレイベント<明倫遊演地>)もでき、彼女の身体が織りなすのは、物語そのものではなく、物語の微分のようなものではないかと思っている。彼女が難波で<演踏>と名乗ったからには、演劇と舞踏の要素の組み合わせを意図していることは確かだろう。舞踏によくある、顔をクシャッと(何て言えばいいんだろう?)させたりという動きを取り入れながら、ぼくに幼時の記憶の物語が生成する一瞬前の感情を呼び起こす。頭の上に上げた手をコマ送りのようなスピードで下ろしたり、後ろ手で羽ばたきを見せたり、そういう動き一つ一つの美しさからぼくの中には甘い感傷が生じる。最後に、頭の上で水瓶を持つようなしぐさで、足を直線に運び、ステージの隅に置かれていた花束に頭上の水瓶の水を空ける格好をするのだが、そこからまるでぼくに水を与えられたような深い救済を感じた。

 3月のぼくにとって、美は不安であり焦燥だった。5月のぼくにとって、美は救済だった。Rosaの舞台を2ヶ月おいて見ることで、そんな言葉遊びのような対比に思い至り、これが一種の治癒というものなのかと、わがことながら驚いた。(視聴覚通信1995年、7)


 312日、千日前のトリイホールでRosaゆき演踏「月あかり、いま子象のそばで・・・」を見る。六部から成る舞台の中で、何か語りたいと思うのは最初の「目覚めと題された部分だ。ここでRosaは自らを愛撫するような官能的とでも言おうか、感情の表現のようであって、しかしそれを名づけることはできない美しい動きを見せる。それは人体の動きそのものが持つ力と呼んでもいい。その動きが表わす物語の存在を感じさせない完璧な絶対的な美しさがあるとしたら、このRosaのつくる時間の中にこそあるのではないかとさえ思えるような、至福の数瞬だった。

 しかし、そのような至福は長続きするものではなかった。それ以外のところでは何か日常のしぐさを美しい表現に変換すること、日常のしぐさをずらして微妙な異和を生じさせること、といった意味に還元される動きに終始してしまい、身体の絶対性に向き合う完璧な美しさから少し遠ざかるのが残念でならない。

 ラストの「旅の途中2」で見せた、曲げた足首を伸ばすときにかすかにふるえる、そのふるえの美しさに見入らせるほどの表情豊かな身体を持つ人だけに、かえってその美しさが表現の自立を妨げてしまうのかもしれない。この美しさは危うい、と思ってしまう。(JAMCi '956月号)