サイトウマコト(「冒険ダンス団」の項も参照)
58年、福岡県小倉に生まれる。77年よりダンスを始める。84年から自らの作品を発表。00年ローザンヌバレエコンクールのスカラシップ受賞者3人にコンテンポラリー課題部門を指導、内一人はコンテンポラリー賞を受賞。01年中村美律子大阪ドーム公演、洋舞振付。01年 冒険ダンス団東京公演「50YEARS」作・演出・振付(スフィアメックス)。02年バレエスタジオミューズ&吉本興業プロデュース「不思議の国のアリス」(よしもとrise-1シアター)構成演出振付。ジャズダンス、バレエ、モダン、コンテンポラリー、タップなど様々なダンスを修得し、そのミングル性を常に振付に反映している。1970代から80年初頭にかけては、テント、小劇場演劇の作、演出を手掛けその頃の頽廃の空気も合わせ持つ。そして常にプレイヤーの特権性に着目した振付けが好評を得ている。
サイトウマコト構成・振付「不思議の国のアリス」 2002年1月27日 よしもとrise-1シアター
サイトウマコトがバレエスタジオ・ミューズを中心としたバレエの俊秀と「不思議の国のアリス」をダンス作品にするに当たって、吉本興業側からの依頼というか申し出というか指示というか、によってナレーションを吉本の芸人さんにお願いすることになって、結局桂あやめに落ち着いたようで、彼女のテキストリーディングによって舞台は進行することになった。彼女の読みの出来については、「もうちょっと器用な噺家さんだと思ったのに…」という率直な感想以外、何も言う必要はないと思うが、せめて打ち合わせなり練習の機会があればと残念で、それが彼女自身の問題なのか、スケジュール管理する吉本側の問題なのかは知らない。
また、このように誰もが知っている物語を、わりと忠実になぞった構成であったにもかかわらず、語り手が必要だったかどうかについても、疑問に思わずにはおれない。確かに言葉のおかげでものすごくわかりやすかったことは認めるし、そのためにストーリー解読のためのストレスを感じることがなかったことは認める。しかし、逆のことを言っているように聞こえるかもしれないが、言葉があるために踊りを観ることに集中できない、ということもある。時にはストーリーも言葉も前後関係も忘れて、ただ眼前に繰り広げられる身体の動きにだけ目を奪われる、ということがダンスにはある。それを言葉が妨げる、ということがある。
そのようなことはさておき、冒頭で、少女アリス(斉藤綾子)の最初の腕のストロークが実に愛らしく、少女特有の不安定さがよく表われているということを含めて、ひじょうにチャーミングだった。この一瞬の動きが、この物語に秘められた少女の力というものをまざまざと見せつけ、サイトウのアリス解釈が舞台上で十全に形となっていることを予感させた。ここで少女らしさというのは、たとえば兎を追いかけて走る一生懸命な姿とか、何度もあくびする表情の豊かさとか、そういった一つ一つの動きが、無垢で無邪気であるように見えながら、動きとしてのメリハリや型をきちんと踏まえていて、見せる動きになっていたことによって、ある種のコケティッシュな色気まで出ていたように見えたのがすごい。
兎は、2000年のローザンヌでスカラシップ、コンテンポラリー両部門受賞した清水健太。アリスに追いかけられ、驚き、逃げる表情が的確で、動きが実にきっちりとしているのがいい。とにかくウサギは疾走している。そしてアリスも疾走する。これらの疾走がこの舞台に強いスピード感を出していた。後半のソロで見せた素晴らしいジャンプは瞠目に値した。髪の色など、ヴィジュアル面でもう少し工夫できたような気もしたが。
アリスが穴に落下するところで、下降する動きを上昇する照明で表わし、最後にドスンというあたりの処理が洒落ている。随所でこのようなマジカルな仕掛けが、簡単な処理でなるほどと唸らせるような結果を出せていて、見ていて楽しかった。その穴に落下するシーンで、アリスが穴の中を無重力状態で落下しているのを表わすための台になっていた箱が、向きを変えて小部屋になる。少女アリスにはちょうどいいぐらいの広さ(狭さ)であるその部屋だが、アリスがビンの中の薬を飲んで大人のアリス(佐藤玲緒奈)になってしまうと、とても窮屈になってしまう。箱から上体をせり出したり、窓から手や脚を出したりする姿がもちろん美しくもあるのだが、四肢が断裂されているようにも見えるし、その窮屈になって箱の内側で手足を突っ張っている姿が、逆に緊縛とか拘束されているように見え、ひじょうに倒錯的になるのが鮮やかだった。しかも、その箱の中を「早く手袋を持ってきなさい」と言いながら窃視する兎。彼はアリスを召使いのメアリー・アンと間違えている。そしてアリスと兎のデュエットに入っていくのだが、これがバレエのテクニックを生かしつつ、結構スリリングなコンタクトになっていて、やはり危険な香りがする。
アリスがお菓子を食べると、また身体が縮んでしまって、斉藤の少女アリスに戻ってしまう。そうすると外から覗いても小さいから見えなくなる、という無邪気な意地悪さを斉藤が好演。これは何だか男女の仲をシンボリックに表わしているようでもある。
続いて芋虫(塚本晴之)がキノコの傘の上から出てくるのだが、これがヒップホップの動きで適役。キノコを一口かじるたびにアリスが大人になったり少女になったり、もっと小さな人形になったり、そして斉藤の鮮やかな回転とか、大人のアリスのまるでマジック・マッシュルームでラリってしまっているようなバラけた回転とか、アリスが途中で3人になったりしながらチャルダッシュのようなヴァイオリンに乗って実に軽快なテンポで入れ替わり立ち替わり出入りしていくのが目まぐるしく、アリスのそれぞれの壊れ方もなかなかのもの。斉藤のタップもたいしたもので、ちょっとビックリする。
チェシャ猫(高橋愛美)は、タカアシガニみたいな歩き方で、ちょっと淫乱な感じのする危ない存在。サイトウのこういう逸脱のしかたは鮮やかだ。これまでのサイトウの作品の中で突出していた倒錯性が徐々に現われて来ていて、それが一つのピークに達したのが、三月兎(高見王國)と帽子屋(サイトウマコト)が眠りネズミ(小田恭子)をクッションのように扱うティー・パーティーの場面。眠りネズミが二人の男にオモチャにされているシーンなのだが、彼女は少女っぽいのにひじょうにセクシーで、傀儡か上海異人娼館を思わせるような危うい情景になっている。
ここで使われているテーブルが、サイトウの作品「50 years」等で使われている斜めのテーブルであるのも面白い。視覚的に不安定さを醸し出すこと以上に、それに手を突いて浮遊したり肘をついたりする動きが、重力が歪んだようでひじょうに面白いものになる。
三月兎と帽子屋が眠りネズミに夢中になっているので、アリスが怒っていると、テーブルに突っ伏して眠ってしまった眠りネズミを後目に、二人はアリスをものにしようとする。この三人の絡みはひじょうに複雑で、三角関係のような感情のもつれが、そのままダンスのペアリングのバリエーションに表現されたように思え、印象深かった。兎が駆け込んで来てアリスは彼を追いかけようとするが、止められる。何だかここでアリスと兎以外の3人がこの世のものではないように思えたのが不思議だ。そもそもアリスという存在自体が、この世界から別世界を覗き見る案内人のようなもので、ここまでの世界もファンタジーであるのに、そこからさらに異界を見せてしまう。この二重の異界は、キャロルのテキストには秘められていたかもしれない闇を明らかにして見せるもので、やはりサイトウの嗜好が色濃く出て成功していたといえるだろう。
続くシーンの、3人のトランプの庭師が、なかなかいい動き(杉本綾子、徳永由貴、三林かおる)。女王様が来る前に白いバラを赤く塗ってしまわないと……というシーンで、しょっちゅう驚いているユーモラスな動きの3人に、スルリとアリスが入っていき、庭師とアリスが出くわして驚いたりするのも面白い。女王(和気坂美樹)が現われると、兎が高いジャンプを見せ、ペイジたちの持っているトランプを割っていく。ペイジが斜めに一直線に並んだところを、兎とアリスが縫うところのテンポがよく、兎、女王、アリスが連続して回転するのも小気味よい。
そのあとフラミンゴのクロッケー大会があって、ジャックがパイを盗んだ嫌疑での裁判のシーンへと移る。このシーンで女王を中心にしたペイジや猫ら9人のユニゾンが、単調ながら奇妙な哀愁の漂うミニマル・ミュージックをバックに繰り広げられ、ひじょうにいい空気ができあがる。ユニゾンになると、やはり眠りネズミの小田恭子の柔らかい身のこなしのよさが際立った。彼女たちに囲まれて斉藤が中央でかごめかごめの鬼になったようにしゃがむと、その小ささからフラジャイルな危うさが立ちのぼる。大団円は兎の強烈なソロが印象的で、次々とダンサーが消えては現われるので、めくるめくような高揚感が立ちのぼるのがいい。
そんな空気をぶち壊すように、「だってあなたたち、お兄様のトランプじゃない」というなんとも残酷な言葉が発せられ、元の、この舞台の額縁のような設定であった姉のストーリー・テリングへと戻っていく。この額縁の趣向自体には、ぼくは何の興味もわかないし、これを設定したことによって、この作品が有意な完結性を持ちえたとも思わない。
この作品は、もちろんやや間延びした退屈な部分もあったし、少し説明に堕した部分もなかったとは言えない。先にも述べたように、語りに問題もあった。しかし、「不思議の国のアリス」という周知の題材を得たことで、その物語の枠を自由にはみ出たり、秘められた闇をあぶり出せたりしたことは、本当に大きな収穫だった。また、大人のダンサーの中で、斉藤綾子の少女性がいかんなく発揮されていたことは、特に強調しておきたい。
Vorqen Dance Dan(冒険ダンス団)の「夫人の愉快な休日」もまた、東京で公演予定で彼らが再演を繰り返している定番「50 years」という長い作品の一部分であるということだった。正木弘美の肩を、四つん這いになった中西朔が頭に乗せて運んでいて、後ろからサイトウマコトが中西の股間や尻を蹴りながら進ませるという、かなりオブセッショナルな始まり。3人の三角関係的な緊張感の高い動きが続くのだが、一つ一つの動きの多様さ、一人一人の動きの個性がひじょうに豊かで、見ていて飽きなかった。身体の動く方向性の関係が、そのまま人物の相互の感情のベクトルとして現実化しているところが、見ていておもしろみを感じられる大きなポイントだと思う。(ダンス・ショーケース(パフォーマンス・アート・メッセin大阪2001) 7月31日 グランキューブ大阪)
インタビュー(『劇の宇宙』掲載)
サイトウマコトを中心的メンバーとして結成された冒険ダンス団(以下VDD)の二回目の公演「50 years」が昨年十月末に行われ、ぼくはその爛熟した美意識の充満する濃密な世界を絶賛した。
― 若い頃に演劇の経験もあるし、アングラっていうことをけっこう前面に押し出してますよね。VDDのダンスのいいところは、物語を背負える身体が立ち現れていること、動きや一定の時間や空間の中に込められた要素、意味が非常に大きいということだと思うんです。
サ 世代的にいって、若い頃にアングラの残り火に接して大きな影響を受けたわけです。でも、ダンスを本格的に始めたのが遅かったこともあって、ある時期に、ダンスをきちんとやらなければダメだと思って、自分が今まで持ってた演劇的なものは捨てた。で、ある程度ダンスの経験を積んで、そろそろ好きなことをやってもいいかなと思ったのが、もう三五歳ぐらいだったかな。その時思ったのは、別に捨てなくてもいいじゃないか、もう一度戻してみようということだったんですよ。それでたまたまその頃知り合ったデカルコ・マリーさんと「ケレン」という作品をやったんです。もちろん昔のアングラそのままっていうわけではなくて、その時の印象を残しながら自分がそれまでふれた中でいいものを集めてくると、自然とアングラらしいものになったんですね。ネオ・クラシックって言ってもいいかなと思ってるんですが。
― 21世紀は、どんなダンスをめざしますか?
サ 軽快なダンスって思ってるんですけど。
驚いた。アングラと軽快さ、どんな接点があるというのか。
― これまでの作品の世界と対極にあるように思うんですけど、いわゆる「軽い」「軽々しい」ということではないんでしょう?
サ いや、そうかもしれない。精神的なことを大切にして作品を創っていくと、動けなくなっちゃうん。深い海に潜って、この世のものとは思えないようなすごい景色を見ても、たまには息したいじゃないですか(笑)。
しばらく「軽快さ」について話し合った。VDDはある特有のニオイのある世界を提出することには成功していると思う、とサイトウが言う。そう、明確な世界を臆面もなく展開していながら、ダンサーの動きがネバつかず、重苦しくないのがいい、とぼくが言う。もしかしたら「軽快さ」とはそういうところに現れているのではないだろうか、と。「50 years」を絶賛したついでに、四十歳以上の一流のダンサーだけで結成された「ネザーランド・ダンス・シアターVみたいだ」と言ったら、サイトウはずいぶん喜んだ。その流れで、失礼なことを聞いてみた
― 年齢を感じることって、あります?
サ 違う魅力が出てくるよ、と他人には言ってるんですが、バリバリに動けるダンサーがこのまま続けていくとどうなるんだろう、っていう不安や葛藤はあるんですよ。若いダンサーを見ていたほうがうきうきしますしね。
― 若い人の花って見てすぐわかるけど、しばらくたって見えてくるものがあるでしょう。
サ 若い時より、深みみたいなものがすごくかかわってくるね。身体能力のすごさよりもね。それで純粋に楽しめる。
― 一つ一つの動きに、どれだけ人生込められるかみたいな、ちょっとクサイけど。ゆっくり動くのが、何てきれいなんだろうとか。そういう動き方をされると、こっちの思いがどんどん引き出されて、ワァーッて連れて行かれそうになるんですよ。
サ 年齢のことより、そういう世界を考えていないとね。動きに何かを込めていくというよりも、何ものかに動かされる自分という状態であることのほうが大切なんでしょうね。
― それが「軽快さ」っていうことなのかもしれませんね。
サイトウDANCE1「50YEARS」
1997年12月19日 於・ピッコロシアター大ホール。サイトウマコト(斉藤誠)の主宰する斉藤DANCE工房の単独ホール公演。1994年アルティ・ブヨウ・フェスティバル初演の「50 years」、1995年初演の「外連の族」、1990年初演「バンセレモス」(ジャズダンス・エディション)の3作品を上演。
「50 years」は、1時間におよぶ大作。DANCE BOXをはじめ、多くの場で15〜20分以内の作品を見慣れているせいもあるのだろうが、ずいぶんと長く感じた。幾分かは、もう少し整理して短くすればいいのにと思わないでもなかったが、見終わって、多少の疲労と共に、確かにこのように長くしなければならなかったのだと納得した。スナップショットではなく、一つの世界を提示し完結させることの必要性を、サイトウ自身が痛感していたのではないだろうか。ダンスという瞬間性の高い表現にとって、それはなかなか理解されないことなのかも知れない。というのも、ぼくたち観る側が、ダンスという瞬間瞬間に消えていく身体を、一つの連なりとして咀嚼することに慣れていないからだろう。
それをあえて大作としてまとめあげることを、彼が何らかの理由で必要だとし、このように提示されたことについて、ぼくはまず敬意をもって拍手したのだった。
この大作を中心に、印象に残っていることがいくつかある。まず、集団の処理の美しさとでも言おうか。「バンセレモス」でも感じたのだが、十数名のダンサーを空間の中に的確に配置するだけでなく、それが集合体として一瞬に空気を変えるような力。冒頭、加藤和彦の曲だったと思うが、イントロからヴォーカルに入った途端に、何が起きたのかと驚かされるほどに、舞台の空気が変わった、その衝撃は凄まじいものだった。
群舞は女性ダンサーたちによってなされるのだが、それをリードするのが木村陽子と萩尾しおりだ。ぼく自身の印象としては萩尾の方が強く残っている。ただ、ふだん小さな会場で観ているときに比べると、動きや身体に大きさが感じられなかったように思うのが意外。サイトウについては、そのような会場の大きさ=身体の小ささを感じなかったのだが。
この作品で重要だったのが、強い退廃の気配だ。それをみごとに醸し出したのが、デカルコマリーと笹野美紀子(だと思うのだが)の二人のグランギニョールと、中西朔という異人だ。ルンバやタンゴ、斜めになったテーブル(この上でダンサーたちが様々に、ちょっと予想もつかないような一種<非人間的>な動きを繰り広げるのには目をみはった)、サイトウとデュエットを踊る人形(のちに頭の部分を破裂させられることになるのだが)、舞台奥に人形のように動かない赤いドレスの少女(?)……それらすべての要素が、ひとつの空気を作っていた。
それは確かに一つの世界観だったと思う。そして、一つの世界観を作るためには、個々の一つ一つの動きがシャープで洗練された統一でなければならない。それに関して言えば、多少のバラつきがなかったとは言えないが、概ね一定水準をクリアしていたと言える。
もちろん退廃は、洗練の極みにしか成立しない。たとえば速すぎる程の激しいルンバは、その技巧の高度さよりも自暴自棄な退廃を漂わせはしないか。そして、身体を無生物のように扱い、一種のサディズムを思わせるような動きも同様だ。たとえば相手の脚を持ってしまうことで、その動きがどのように不自由になり、不随意になってしまったことからどんな予想もつかない奇妙で面白い動きが生まれるか! ここでは退廃が単に背景や気分にとどまらず、ダンスを支えるバックボーンとして成立しえていたように思う。
さらに、深い意味で、動きが何かの喩としてあることの深さについても思いは至る。たとえば、サイトウがみごとに見せる手首をくるくると非常な速度で回す痙攣的な動きが、ここでは「手をつなぐことができない」というディスコミュニケーションの表象として結実している。他の作品の中でこの動きを見てもそのように見えないし、またこのような文脈の中で使われていたという記憶もない。一つの動きが、一つの世界を構築しようとするときに、一つの重要なパートとして新たな意味を持ち得た/持たせ得たということについて、こういうことの蓄積がユニットの財産になっていくのだろうなと痛感した。
さらに、サイトウの構成力でたいへん興味深く思ったのが、舞台上を一つのトーンに染め上げないということだ。シリアスとコミカルと言えば単純にすぎるが、異なる雰囲気を混在させながら、複雑な世界を作っていく。身体の動きそのものも複層化して、ダンサーの表情も層を作っているように思う。(「Jamci」1998年4月号掲載)
冒険ダンス団
Vorqen Dance Dan 冒険ダンス団は、'98年3月、サイトウマコト、デカルコ・マリーらによって設立されたダンスユニットである。サイトウをディレクターとし、創意に満ちたアマチュアリズムと、舞台人としてのプロフェッショナルな感性を同居させた舞台づくりを目指す。
サイトウは、'70年代のアングラ演劇や'80年代のヌーベルダンスなどに触発されながら、時空を超えたダンスを試みる。サイトウの考えるダンスとは、ある種ムーブメントを否定したところから始まる。ダンサーが「作品を踊る」ということは、つまり、演出が、ダンサーを突き動かすための状況を作るということ。ダンサーひとりひとりが触媒のように互いに働きかけ、反応しあいながら、結果として立ちあらわれてくる空気、作品の醸し出す雰囲気そのものを作り出していく作業なのである。それはときとして、どこか退廃の匂いのする倒錯した世界であったり、タナトス的なものであったりするが、根底にあるのは、演出の持つイメージを「どこにでもあるが、どこにもない」この宇宙間に擬満するものとして表出させたいという思いである。
「50 years」 2000年10月29日 阿倍野ロクソドンタ
'97年12月に斉藤ダンス工房によって尼崎のピッコロシアターで初演された作品を、大幅に構成を変えて再演。初演時は数百人入る大きなホールで1回だけの公演だったが、今回は100人足らずの小空間で5回公演。ぼくが観たのはその最終回。前回公演を観て、「JAMCi」に「豊かな美意識の充満した大作」と書いていた。1時間半近くの長い時間に提出される様々な要素が、すべて濃密に一つの豊饒な頽廃を創り出そうとしていた。その印象は今回も変わらない。
前回で印象に残っていた小道具の一つに、斜めに歪んだテーブルがあった。今回は会場に入ると、人が横になれるほどのものから下駄ぐらいのものまで、舞台の対角線をカーブするように並べられていた。9人のダンサーが上手を向いて座っていたのが、いきなりテーブルを持って左右にはけていく。見えていた世界、世界の秩序がまず取り払われる。そのようにして、この作品は始まったのだった。
萩尾しおりの口から延々と紐が出てくる。これも前回公演で印象に残ったシーンの一つだ。このようなデジャヴュの感覚も、世界の構築のために重要だ。翻って、初めて観る人にとっても、この虚を突くようなケレンは、一種の危ういノスタルジーとして強い印象を与えたのではないか。さらに重要なのは、前回はケレンに見えたこのシーンが、今回は劇場の空間が小さかった分、パフォーマンスの構成を定める基線を引くという役割を与えられたことだ。デカルコ・マリーや中西朔が人形のように蠢き、傍らでは森崎三英子がサーカスの娘のようにブリッジをしている。こんな混沌の情景を、構成された空間としてシャープに見せるための補助線として、強く作用したといえる。
一つの大きな歪んだテーブル。そのせいで空間が歪んで見える。加藤和彦(前回同様、これが実に効果的)の曲で木村陽子、森崎、正木、萩尾が回転を多用した動きを展開するのを、後ろでマリーが正座して見ている。回転することで世界の時間を進めるようなダンスである。セーラー姿の少年の正木から、なぜか死のにおいが立ち昇ってくる。あまりに清浄で無垢で、また時に楽しげに微笑むのがかえって悲しい。人形振りのような動きを見せることもあったように、死というよりは、生命がないもの、たとえばベルナール・フォコンの写真に現れるか四谷シモンの創った人形のような危うさ。たった今まで、または次の瞬間から、は生命があるという感じ。表面がツルリとしていて、よく動く、機械のような身体。
ここに展開するすべての身体が、機械のように見えてくる。一般に濃密であることと低温であることは矛盾しているように思うが、ここではそれらが両立している。速度のある激しい動きを動く時も、彼らはクールで決して陶酔していないからだ。きっとそのせいで、ぼくは寺山修司の天井桟敷を思い出していた。様々な場所で様々な奇態が演じられている。前面のステージで展開される激しい動き、森崎を歪んだテーブルに乗せてそれを囲んで男たちが繰り広げる生贄のような儀式、そしてその奥でじっと座っている女とその椅子の背に手をかけて立っている男、などなど。しかしそれらの奇態が現実から遊離している度合いが同じく、均質であるために、全体のトーンが統一されているから、あまり違和を感じない。「そのような世界なのだ」と思えるのだ。
テーブルが傾いているせいで空間が歪んでいるように思えると述べたが、ダンサーたちの動きもひじょうに危なっかしい。大胆なリフトをはじめ、テーブルの上から倒れ込むのを受け止めるとか、アクロバティックな激しいコンタクトが続く。身体のぶつかり合う激しさ、危うさを間近に痛みのようにして感じとる。身体と身体とがぶつかり合うことのむごさ、残酷さ、倒錯的な美しさに確実に陶酔し興奮させられ、そのことで観る者の中に否応なく醸成されるのは、感情というほどの連なりではなく、もっと断片的な「あっ」とか「うっ」という悲鳴か絶句のようなものだ。そんな断片が降り積もるようにして、観る者に美意識や世界観といったものが定かに伝わっていく。このような伝達が、ダンスのみならず、ライブなパフォーマンスを観ることの最も理想的なありようではないだろうか。
たとえば中西朔の痙攣とスピーディな回転による、自傷的なまでのシャドウボクシングのような昏倒は、観る者にも痛みを分け与えるほどにせつない。自分で自分に繰り出したパンチで昏倒するというのは、滑稽を超えてほとんど哲学的である。なぜこのようなことができるかというと、彼は踊る時に何かを失っているからだ。それは理性とかバランス感覚といわれるようなものではなく、彼が「踊るしかない」とばかりに極限まで自分を追い込んだ涯てでダンスを踊っているからではないか。
そのようなのっぴきならなさが、実はこの作品を支配していたのだと思う。これ以外にはありようのない形、動きだから、息苦しいほどの緊密さを保持している。中ではちょっと息抜きか遊びのように思えるはずの正木とマリーのややユーモラスなシーンも、精妙に距離が測られ「美女と野獣」ならぬ美少年と野獣の交感のようで、強烈に倒錯した美意識を噴出させていたのだ。ただ、どうだろうか、ぼくが馴れてしまったせいかもしれないが、もっとストレートにマリーの異形性を前面に押し出してもよかったような気がしないでもない。ダンサーとしてのマリーと、際物としての(?)マリーを截然と分けて提出することで、マリーにとってもこの作品にとっても、さらに深いコントラストが生まれ、断念の深淵が見えてきたように思う。
最後に、この作品で2度現れた羽根について考えてみよう。宝塚歌劇のフィナーレやリオのカーニバルでダンサーが背負っている、アレである。これはまさしく祝祭性を意味してはいるが、どちらかというと、正木についても述べたことと同様に、これは祭りの前か後、おそらくは祭りの後のようにしか見えない姿である。ラストでは、羽根を背負ったダンサーの間で木村陽子と松本哲弥が、やはり加藤和彦をバックにして暴力的なまでに激しいタンゴを踊り狂う。羽根のあくどい色彩とともに、強く頽廃の気分が漂う。はたしてその羽根は最後には置き去りにされるのだが、山積みの羽根の下からサイトウマコトが現れる。すべては一人の男に夢魔が導いた情景であったような気もして、はかない。それが標題の50年という時間だったのかと思うのはいささか短絡的に過ぎるかもしれないが、ついでに言うならば、人生50年のはかなさのようなものだ。
場所ということでは、以前ピッコロシアターだったのを、今回は阿倍野のロクソドンタでと、1/10ぐらいの会場に所を変えて上演した、サイトウマコトを中心とした冒険ダンス団の「50 years」で、ダンサーの身体の温度の高さが直接的に伝わってきたのは、小さな会場ならではの迫力だったといえるだろう。サイトウの作り出す世界はやはり濃密で豊饒で、長い小説を読んだ後のような心地好い疲労に見舞われた。たくさんの要素があって、何から紹介したらいいのか迷うところだが、祝祭というものの持ついかがわしさと悲哀がじゅうぶんに現れていたことを、ぼくは最も感動して受け取ることができたし、そのような思想性を持ったダンス作品であったことが何より素晴らしかったと思っている。(2000.12.20 P.A.N.Press掲載予定〜不掲載)