山海塾

「かがみの隠喩の彼方へ−かげみ」

2001429日 びわ湖ホール中ホール

舞台にしつらえられた蓮のせいだろうか、なんだか一つの長い説話に触れたような気がしている。何人かの僧形の(まぁそうだが)男たちによって語られたゆったりとしたお話。もちろん特にストーリー展開があったわけではないが、何か核になる思いが残っているような気がしている。

初めに印象づけられたのは、舞台下手の円の中で天児牛大が手で作っていた、蓮の花がポッと開く様だ。それは「蓮をあらわしている」のではなく、蓮だった。舞台中央一面に櫛比した蓮の葉のオブジェの足元で横たわる他の舞踏手の姿と共に、存在の形をナマになぞるところからそのものも本然に至ろうとする営みのように見えた。横たわっている者たちは、つまらない言い方をしてしまえば蓮の根のようでもあり、地中に流れるその生命でもあったのかもしれない。ひじょうに象徴的であり、神話的であり、物語の始まりのようであった。

そのような冒頭の提示から、サーッと蓮の葉が引き上げられ(つまり、つるされていたことが明らかになる)、続いて展開された6人の舞踏手たちによるシーンは、物語というよりはもっと土俗的で、なんだか民族バレエのようであった。餓鬼図にも通じるような根源的な形で、人の感情というもののエッセンスをあらわしているのではなかったか。同じ形の音が繰り返され、やがて反復へと収斂していくが、連続性とか反復の強さを思いはしたが、かえってそれらに対するカリカチュアのようにも思えたから不思議なシーンの連続だった。

人のしぐさに意味というものがあったとして、それが反復によって表層化し、さらなる反復によって剥ぎ取られて単なる動きだけになってしまう。これは一般論であるように見えるが、山海塾においては、その勢いが激しいように思う。それは、どこか彼らの動きにうつろうはかなさが強く漂っているからではないだろうか。彼らの動きは一定で、ひじょうに厳しくコントロールされており、定められたトーンを逸れることがない。機会のようなという意味ではなく、むしろ植物のように一定であるように思える。そこから音もなく、生命がほろりほろりと剥がれてゆく。

天児の動きを引き絞った身体の表情というのは、美しい。加古隆の少し情緒的なピアノをバックに、身体を翻して、魚のように跳ねる天児の腕によって造られた直角が、動きによって円弧を引くのを見ていて、超高速で回転するモーターを内部に持った疑似生命体の動きの、その内部のモーターそのものを感じているような感動を覚えた。それは動きにリリースがないということでもある。

4人に舞踏手がポロックによってドリッピングされたような衣裳で出てくる。裾をはだけて笑う姿は舞踏の形であるようだが、何かの説話をなぞっているような印象がしてならない。彼らが説話の中の登場人物のように思える以上、彼らは身体にとって三人称であるようだ。翻って、天児の身体は強度に一人称である。私が蓮であり、私が跳ねる、という姿である。このあたり、人称が使い分けられているとすれば、天児の夢幻としてであるのだろうか。

舞踏にとって群舞とは何だろう。舞踏は、まず第一に個人的な営みではないのか。その過程なり結果なりを共有するということがありえたとして、その時舞踏は、一人称複数(we)ではなく、複数の一人称(Iの複数)としてしか成立しないだろう。

この作品では、山海塾の空間的・様式的な美しさと、ひじょうにシンプルな説話的な物語の断片ないし予感がうまくミックスされ、大きな結晶体のようなきらめきを持つに至ったように思える。冒頭で天上に上がっていった蓮の葉が、ラストで静かに降りてきたのは、作品の起結として当然のこととはいえ、そこで一つの夢が終わって、しかしまたそこから男たちが眠りに就くことを示しているようで、一つの世界を見たという達成感に襲われた。

かげみ=鏡または影見であるという言葉は、ぼくたちの空間から水面(みなも)を見たときのことである以上に、水の中から水面を見上げたときのことであるようで、そう言えば作品の後半で天児がじーっと虚空を凝視していたのは、あれはみなもを見上げていたのだなと納得すると同時に、もしかしたらこれまで山海塾が提示してきた世界というのはどれも、どちらかと問われれば地上の世界の現象であるよりは、みなもの下で営まれてきたものであったように思えた。


山海塾などは、一つの作品を何年にもわたって何ヶ国でも上演できる。199958日にびわこホールで上演された「遥か彼方からの―ひびき」はぼくたちにとって珍しくその日本初演(昨年12月パリで世界初演)を目にする機会となった。印象に残っていることは多いが、天児牛大その人の精神の志向性、身体の超越性が屹立していたように思う。かつて見た山海塾は、額縁に入った風景が静かに動いているのを見るようで、向こう側でしか世界が動いていないような印象があったのだが、今回、天児は風景であることを拒んでいるように見えた。コントラバスとの交響(あるいは、その奏者であること)というコンセプトから、大きな弦楽器を弾くという逃れようのない身体性を抱え込んでしまったことによって、否応なく踏み出てしまう動きとなったのかもしれない。何かから溢れ出てしまうようなのっぴきならない切迫が、こちらまで響いてくるようであった。(PAN Press

卵熱(UNETSU)のためのインタビュー(「JAMCi」から)