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由良部正美インタビュー

 

一部分は「JAMCi19982月号に掲載したものです

 


J ダンスや舞踏の方って、演劇をやってらした方も多いですよね。

Y 特に舞踏関係は。ぼくもそうですしね。大学のとき、演劇研究会っていうのにいてテント芝居をやってたんですけど、エチュードってやるでしょ、設定決めて掛け合いでやるやつ。ああいうのができなくって。言葉が出てこないんですよ。からだがバタバタするだけのような感じで、どうも言葉というよりからだの中のカオスみたいなもののほうが向いてるのかなあと。人にも言われたしね。先輩に、おまえは舞踏のほうが向いてるんじゃないかって言われたり。でも、その頃、舞踏って知らなかったんですよ。どんなんやろうって。

J プロフィールを拝見しますと、78年に東方夜總会。

Y 白虎社です。ぼくが出るちょっと前ぐらいから白虎社って言い出して、でも、ぼくにとっては、なんか東方夜總会のほうが馴染みがあるので、そう使ってるんですけど。ぼくがいるときに、白虎社って、企画集団として新しく作ったものです。ちょっと裏話になりますけど、東南アジアにキャラバンに行ったんですよ。インドネシアとかバリ島とか。すると、向こうでは夜總会っていうのは、キャバレーっていう意味なんですってね。ちょっと、東方のキャバレーって、あんまりよくないみたいで、もう一つの名前である白虎社というのを向こうでは使って、それで新聞に出たりとかいろいろしたんで、そのまま白虎社で行こうっていうことになったんです。

 一種のマインド・コントロールっていうかな、そんな部分があるんですよね。タコ部屋状態みたいな形で3年半もいると。やめてから2年ぐらいは、自分が踊りをやるとは全然思ってなかったし。ある意味では自分の中での整理でもあり、戦いの時間っていうかなぁ、2年ぐらいかかりましたね。

J その2年間というのは、白虎社のメソッドみたいなものを振り切るための時間と言っていいんでしょうか。

Y メソッドということより、人間関係っていうか、共同体論、論まで行かないんだけれども、共同体のあり方ですよね。東方夜總会とか、舞踏全般的に、結構そういうのがあるんです。滅私奉公というような形に、無意識的に自分がどんどん縛られていくのがわかったんですね。それに対して、自分がもっと意識的に、今までやってきたのは何だったのかと、それにたいして自分がどう立ち向かって、どういうあり方をしていけばいいのかみたいな、そういうことですね。いわゆる夜總会的なものが持ってる美学ってものに対して、それをもう一度意識化して、自分が何をしたいのか、みたいな。

 メソッド的なものももちろん絡んできますけどね、身体技法というか。でも、東方夜總会の場合は、今だから言えるのかも知れないけど、ちゃんとしたメソッドと言えるようなものはないですね。いい加減っていうかな(笑)。あんまり公言しちゃいけないかな。

J 私も、舞踏の人たちとか、いや、人たちと言うよりは、グループを見ていると、本当に、おっしゃったようなマインド・コントロール的なっていうか、あるいは、一人宗匠みたいなリーダーがいて、その言うとおりっていう感じがして、じゃあそこで踊っているあなたの、あなた一人の身体、肉体っていうのは一体どこにあるのよ、と不審に思うことがあります。あなた自身が発見してきたからだの動かし方っていうのは、どこにあるのっていうふうに思って。そういうものについて、すごく私のまわりは拒否感を持っていたように思うんですよ。それで、舞踏の人たちに対する一つのわからなさとして、どうしてそこへ行っちゃうの? みたいなところがあるんです。きっとそこにはおそらく、ものすごいリーダーがいたりとか、ものすごい共同体があったんだろう、と。それについてぼくたちは知らないな、という一抹の寂しさも含めてですが。そこにいらして、お辞めになるきっかけって何だったんですか。

Y きっかけっていうよりもね、けっこうずうっと辞めたかったんですよ(笑)。3年半いましたけど、1年半ぐらいしてからは、なんか違うな、という感じがずうっとあって。でも、いつの間にか責任がつく立場になってしまって、やることやってからでないとあかん、って感じで、東南アジアキャラバンとかやったんですよ。それが一つの目標みたいにやってましたから、それから帰って、辞めます、っていうことで。

J 最近、振付をなさいましたでしょ。「アート・パースペクティブ三人展」。これを拝見すると、いわゆる舞踏の何ものかを、こういう若い女の人たちに伝えていこうということなんでしょうか。三人の中には、前から舞踏をやってた人もいらっしゃったんですか。

Y どれだけ舞踏に対して自覚があるのかはわかりませんけど、伴ちゃん(伴戸千香子)なんかは、一応舞踏といって何回かやってるのかな。まあ、まだそんなに意識的ではないと思いますけど、舞踏に対して。まあ、そういうきっかけ、出会いがあったということじゃないかな。

J 「舞踏に対して意識的」っていうのは、どういうことなんでしょうか。

Y たとえば海外へ行くと、舞踏について聞かれて説明せざるを得ないことがありますよね。境界線もなくなってきてるし、あと10年ぐらいすれば、舞踏って言葉はいらないんじゃないかなとも思ってるんですけどね。でも、なんていうか、時代の中で流れてきた意志みたいなものがあると思うんですよ。舞踏家と呼ばれる人たちが背負ってきたものっていうかな。その人たちも、言葉ではよくわからない、どこへ向かってるのかわからないけれども、なんかそこに対する意志があったと思う。それに対してぼくはやっぱり共有してる部分が多いんでね。だから、今はやっぱり「舞踏」と言いたいですよね。 五年ぐらい前は、「舞踏」って言ってなかったんですよ。特にジャンルなんかどうでもいいやって。でも最近やっぱり、今自分がやってるのは「舞踏」と呼んだほうがいいんじゃないかという気がしています。意識的に自分でやってきたことを、いろんな、時代とか、歴史的流れの中で捉えるということじゃないかと思いますね。

J 現在の位置とか。

Y はい。

J それは、80年前後に舞踏の一つの共同体に入られたときに、既にやっていた先輩というか、その人たちの存在というのがあるわけですよね、まず。

Y そうですね。

J それを通じて舞踏という意志とか精神が入っている。そして今また舞踏という言葉をお使いになろうというのは、それをまたもう一度確認するということになりますね。それは自分の中での確認ですか、それとも若い人たちを通じてという側面が大きいんですか。

Y もちろん、ちゃんと若い人に説明していく義務みたいなものはあると思いますね。このへん、なかなか話すの難しくて、じゃあ何が舞踏なんだ、って言われると思いますけどね。定義づけはなかなか難しいんですけどね。一言でいったら、我と我が身の肉体の中に、ある意味の歴史であるとか、社会であるとかを感じると言うのかな、そんな感じがしてるんですよ。

J ちょっと図式的に言うと、この肉体が広がっているのは、空間的なことより時間的なことのほうが大きいんじゃないかということですか。

Y いや、そういうことではなくて、むしろ空間と時間というのはつながってる。舞踏というものは、アンチテーゼとして出てきたと思うんですね。何かよくわかんないけど舞踏だ、そんな感じだったと思うんですよ。ダンスっていうのは、まず法則を習う。たとえばフォークダンスならまずそのステップを覚えないとそこへ入っていけない。それは音楽的な法則であったりするわけですが、まずルールがあって、そこに一旦入った中で踊るというということがあると思う。でも舞踏の場合、なんていうか、直接的にこのからだに向かい合う。そのままゴロンと裸になってうずくまってるとか、わけのわからないものをそのまま出していこうという、そういうあり方。それはたとえば美術のオブジェという発想ともつながっていると思うんです。そういう、からだを何かの道具にしたりとか、ある法則に合わせたりとかじゃなくて、謎であり闇のものとしての肉体に対してアプローチする。いろんな人がいろんなアプローチをしてきたと思うんですけど。あと、その頃60年代、70年代は社会に対する革命的な気分や、社会を変えるという熱があったと思うんですよ。それがいろいろな形で行き詰まっていく中で、やっぱり自分の肉体、身体という中に根拠を見いだしていくというような、そんな空気があったんじゃないかと、そういうことを強く感じますね。そんな時代の中で身体に向かわざるを得なくなっていったっていうか。その中で、わけわからずもがいているうちに、土方さんなりのメソッドらしきものが生まれてきたり、様々な人が様々なあり方でもがいたりしてる中で、外国へ行ったりして、それが「BUTOH」っていう一つのジャンルのように捉えられた、ということだと思うんですよ。

J 本当は、舞踏っていうのは、自分の身体、肉体の内面というものに向かうものだと思います。ある種の内向的な動きが最初にあったんだろうと思うんですけど、しかしそれがひとたび現れとなると、ひじょうに攻撃的というか、外向きな感じがする。そういう力がおそらくその頃はあっただろうし、それが感じられたからこそ衝撃的だったり魅力があったりしたんでしょうね。

 先ほど、謎または闇としての肉体っておっしゃいましたけど、何かわからないけどただ裸でごろんと横たわっている、そういうことにぼくらは「あーっ」と思うわけですね。そんな、「ものとして在る」ということは、舞台の上で不安ではないんでしょうか。何もないのに……きっとあるんだろうけど、何もないのにただ裸でとか、ただ歩いてるとか、そういうことに自分で何か「これなんだ」とはっきりさせて、自分でかきたてるエネルギーみたいなものがあるんですか。

Y そうですねぇ、一つのオブジェとしてあるようなからだの場合、ただダンサーは「寒いなぁ」と思ってるかもしれないですよね。どっちかっていうとそれは、観客への見せ方に近いと思うんですよ。ダンサーがどれだけオブジェとして意識を持ってるかっていうと、たぶんそうじゃないだろうなと(笑)。そういう方向が一つありますよね。もう一つ、何ていうんですかね、大野一雄さんみたいな「無防備な感情」っていうんですかね、自分の中の混沌であり、わけのわからない感情、そういうあり方もあると思います。どちらかと言うと、土方さんは、ゴロンとしたりっていう、オブジェというか、見せ方として出したのかな、と思いますね。ぼくにとっては、この前のパンフレットに「観るという行為が立ち現れてくる」と書きましたけど、観るっていう行為が動かないと、踊った気がしないんですね。

J はっ? どういうことでしょう。

Y 観客がいて、そしてステージにはダンサーがいて動いてるとしますね。すごく速い動きしたり、ダイナミックに動いたりしても、観客の内部の思考のほうが速いですから、ダンサーがいくら動いても、絶対に観客の頭の思考の速さに追いつかないですよね。いくら動いても、ああ、空間の中で動いてるなあ、というようなことでしかないんじゃないか。でも、観るというのは、ただ単にそういうことではなくて、ダンサーの中に入ってくる視線もあるだろうし、跳ね返されるようなときもあるだろうし、あるいは空気の中でぱぁーっと溶けこんじゃうようなこともあるだろうし、いろんな観る行為があるはずで、それが動いていくっていうかな。舞踏なんかでは、観るって、どこか触られてるという感覚があったりすると思うんです。触覚的であったり、においみたいなものだったり。そういう観るっていう行為が、いろんな行為に変容していくっていうかな。

J それはおそらく、ステージの上で踊ってらして、感じるんでしょうね。

Y ええ、ええ。

J 私たちが観に行くことというのは、つまりそういうことで、ステージの上と同じような世界を自分の中で作ることだと思うんですよ。先日の「小町」「ピエタ」なんていうのは、本当にその作業で、観る方が疲れ果てたというか、ものすごい運動量だったとも思うんです。

Y ええ。

J 去年の春の「ピエタ」のときには、「ピエタから私が受けた印象」と書いてらっしゃいますけど、私は、これは変わってきているんじゃないかと思うんですが。

Y そうですね、この文章はダイレクトメールので、あんまりよく考えてないからかもしれないですね(笑)。ちょっと「ピエタ」がどうして生まれてきたかっていう経緯を話すとね、10年ぐらい前に「夢の入射角」という作品を作ったときに、ある女性ダンサーから誘われたんですよ。振付と演出とで、二人のデュエットで作りたい、と言われたんです。多分気づかれてると思うんですが、特に昔のスタイルの舞踏の中で、男と女が踊るというスタイルは、なぜかほとんどないんですよ。男性の群舞、女性の群舞、あるいはソロで。

J そうですね、想像できないですね。

Y デュエットで男と女が踊るということになると、どうしても、どこかラブストーリーであったり、愛憎か、そうではなくても、そう受け取られてしまうというのがある。ひじょうに人間臭くなってしまう。ぼくが何となく感じてる舞踏というものとは違うような気がしたんですよ。で、どういうかかわり方をしたらいいんだろう、どういう男と女でやればいいんだろうと思っていたときに、何となくパラパラとめくっていた美術の雑誌にピエタの図像があったんですよ。死体をマリアが抱いている。これが舞踏的かどうかはわかりませんけど、その時のぼくの感じで言うと、舞踏でデュエットはこれしかないと思った。死んで初めて出会える、触れ合う。生身の私とあなたが出会って、手を繋いだり憎んだりというのではなくて、死んで初めてその二人は出会えるっていうか、それでしか、死体としてしか。そういう、ピエタのような関係性でしか成立しないと思ったわけです。もちろんピエタの場合は、一人生きてるし、キリストとマリアは一応親子だから関係性は生きてるときからあったんだけど、本質的にはこういうことじゃないかと。そこで、「ピエタ」というものが生まれてきたんですね。その頃はそれほど詳しく突っ込んで考えてたわけではないんですが。だんだんキリスト教的なものを学んだりもしているうちに、いろんなものが感じられるようになってきたんですよ。それはね、ピエタっていうテーマを踊るという感じじゃないんです。最初からそれを踊ろうとかいう意志はなくて、いつの間にか自分の踊ってることが、どんどんピエタになっていく。いつの間にかそこにすーっと行ってしまったっていう感じなんですよね。

 それは「小町」もそうで、あれも小町を踊るつもりがあるんじゃなくって、いつの間にかできたら、ああこれが小町のそのままのエッセンスじゃないかと、じゃあ「小町」にしようっていう感じなんですよ。

J でも、作品としてみた場合には、すごく構成があって、ドラマチックで、ある時間は凍りついて、激しい起伏とか、あるじゃないですか。それはあとで作る構成なんですか。

Y いや、構成自体はもちろん、だんだん。「ピエタ」は去年のもご覧になってますよね。

J 三回ぐらい拝見してるから……、観てます。

Y 去年やったときから、だいぶ構成も変わってます。自分の中で、なんていうかな、ピエタというテーマにふさわしいとかいうんじゃなくて、納得できる構成方法を考えるというか、考えるっていう感じじゃないんですけどね。インスピレーションがあって、ああいう形ができてきた。作ったっていうより、なんか生まれちゃったっていう感じ。

J 音楽も、去年は琵琶とか即興性の高いものでしたけど、今回はテープで。

Y そうですね、難しいですね。やっぱり、骨格をある程度しっかりさせようと思うと、なかなか生音(なまおと)っていうのは難しいですね。ミュージシャンに任せないといけない部分がかなりできてしまうから。そういうあり方で何回もやってるし、それはそれでいいんですけど、ただ今回のこの作品は、ちょっと人に任せたくない感じがしてたんです。

J そうだろうと思います。そういう生々しさではない、ちょっと方向がそういうのとは違うような気がしましたね。

 「ピエタ」といわれる以上、聖母マリアとイエス、二人、男と女、母と子、といった一つのテーマがあり、一応観るものもそれをイメージしますね。観る方にそのイメージがあることを、もちろん由良部さんも認識した上で踊ってらっしゃる。それでもやはり、マリアになる、イエスになるというのとは、違うものなんですか。

Y 含んでいいと思うんですよ。常に虚構の部分はあるし、そこに厳然とした謎としてからだがあって、空間がある。その緊張関係ですよね。ある厳然とした謎としてのからだなりエネルギーなりと、なんていうか、イメージなり言葉なり、それが常に二重にある。それがひじょうに強い緊張関係を持っているということが重要で、どちらかっていうことではないと思うんです。たとえば、頭に冠を被せられてるからキリストだ、それはそれでいいんです。ただ別にぼくはピエタを説明しているわけではない。幻想の部分と現実の部分がありうる世界と言えばいいんですかね。

 キリスト教自体、キリストという存在自体、そういうところがあると思うんですよ。たとえば仏教なり他の宗教は、どっちかって言うと、超歴史的なんですよね。常に歴史を超えたもの、歴史的意識を超えたものとしてある。肉体を超えた、ニルヴァーナなり、そういう感覚なんですけど、キリストの場合は、歴史的なんです。キリストがはりつけにされて、血を大地に流した「そのとき」というのが一つの決定的な事件で、その歴史的事件が一つの秘儀としてある。もちろん、キリスト教の中にも超歴史的なものが含まれてはいますけど。キリスト教がある歴史観、歴史的概念をもたらしたとよく言われますけど、そういう感じがするんですね。ある意味では、そういう歴史をみんな肉体の中に背負うっていうか。ピエタの場合ね、十字があるでしょ。ふつう十字架って、常に重心が上じゃないですか。ピエタって、それを逆さにしたフォルムなんですよね。大地のほうに突き刺さっていく、大地のほうが重要であるフォルムなんです。これがわりとキリスト教の真実に近い感じがしてて、殺されて、死んで、受け取る者が必要なんですよね。それがマリアというか、ある女性性、大地というか、としてのシンボルとしてひじょうに強くあるし、ぼくにとって一番強いシンボルの一つなんです。ただ、それを別に説明してるとか、それに全部吸い込まれていくわけではないんですけど。

J そういう一つ一つが散文的な説明というのではなくて、そう言われれば、マリア的な女性的な、受け止めるほうもあれば、神様みたいな聖霊みたいなのもあり、また殺される人もいれば、それを泣きながら引き取りに行く精神もあり、という、一つの総合性としてあるんだと。それがひとつひとつ断片なりフラッシュとして提出されているうちに、自分の中で、つまり観る方が立ち上がって総合している、ということですよね。

 今回の再演に当たって、四人の女性を回りに座らせましたが。

Y そうですね、説明しないほうがいいのかも知れないですけど、ぼくが説明してしまうと、それが答えのように受け取られてしまうから。そうじゃないという前提としていうと、一つには、舞台と客席、観客を仲介している存在として観客の肉体性を意識させる存在としてそこに置いたということがありますね。どうしても、両者が分かれ過ぎてしまうから、そこに二重に観ているという仕掛けを作る、ということがありました。それと、こっちのほうが重要かなあ、観るっていう行為は、ある意味で時間を止めるんです。常に今ここ、ということを際立たせるわけです。観ている、つまり私は目撃者だということで。誰もが今まさにいろんなことを目撃してるわけです。それは、ある意味で時間を止めてる存在のような気がするんです。「今、ここ」と。そういう緊張した場にしたいと思った。たとえば後ろのオブジェありましたね、あれも四方に止められてるんです。ピシッとした、時間が止められてる感覚を強く出したかった。今ここにいる、という。観ている、あるいは目撃者がいる、という。ただ目撃者がいるということは、観客自身はそういうことは意識していないんですよ。観客自身は観てるんだけど、自分が目撃者として凝固した何かを持ってるとは、あまり意識してないんです。それをもっと意識させる空間にしたかった。

J そこまでは意識してなかったかも知れませんけど、自分の視線がどこにあるんだろう、という非常に不安な感じは受けましたねぇ。ステージの中で、由良部さんが踊ってらっしゃるのに、周囲に四つの椅子があって、そこで普通の格好をした女性たちが坐っている。炎を持ってきたりとか、ちょっとした役割はあるんですけど、まぁ坐ってるんですよね。基本的には、観ている。それは決して、イエスの最期を見ていた人たち、というふうに見えるわけではない。そいう作品の中の存在であるよりはむしろ、私たちの延長、私たちと同じ線の上にある人たちのように見える。だから、すごく宙ぶらりんというか、面白い位置だと思いました。

 上演時間は長くなったんですか、今回の「ピエタ」は。

Y 去年やったのと同じくらいで、6月にやったのとはほとんど構成は同じですけど、20分くらい短くしました。ちょっとダラダラ長過ぎたかな、と思ったんで。その時は80分ぐらいあって、「豊かな退屈」というのがテーマだったんですよ(笑)。だから、長くてもいいやって。

J 同じ作品、同じモチーフを繰り返してやるっていうのは、多いんですか。

Y いやぁ、そんなことないんですよ。ただね、今のぼくの感覚でいうと、いろんなことやってきたんですけど、なんか集まってきてる感じがしてね。自分の中のエッセンスとして今残ってるのが「ピエタ」と「小町」になってるんですよね。他は捨てちゃってるっていうか、即興みたいなのはやりますけどね。今はこの二つの作品をもっともっと結晶化したい。、特にソロの踊りの場合、自分のからだから出てくるものってそう変わらないですから。ポンポン変わるほうがおかしい。ぼくの中ではこの二つに、今までやってきたことがすーっと集まってきてるような感じですね。これからのことはわからないですけどね。新しい作品にあんまり触手が動かないですね。むしろもっともっと結晶化させて、それで自分の中でポンとまた違うものが生まれちゃうかなあ。

J 先ほどもちょっと言いましたけど、両方ともドラマチックな作品のように思うんですけど、それと同時にからだから余計なものがどんどん削ぎ落とされていく方向というか、それがエッセンスとか結晶とかいうことなのかなあ、そういうような作品のように思えるんですよね。それは、なんだかいわゆる舞踏の方向性というのと、ちょっと違うような気がしないでもない。先ほどうかがっていた舞踏の系譜とか精神というものの上で、この「小町」「ピエタ」という今の二つの結晶、エッセンスの方向というのは、やはり由良部さんの中では連綿と続いているわけでしょうね。

Y そうですね、自分の中で。

J どうしても「ピエタ」という名前に引きずられてしまうのかも知れないけど、キリスト教というか、ヨーロッパというのとは少し違うかも知れないけど、日本じゃないもののように思う。実際に舞台を観ても、あまりどろどろとした土着的なものとかは感じられない。由良部さん自身、他の場所での活動では、いわゆるダンスの人と一緒にされたりしておられますでしょ。もう一度戻ると、由良部さんの中で、舞踏的なものをどういう風に今つかまえ直そうとしてらっしゃるのかなというのが、この二作品から照らし返す場合に、すごく面白いと思うんですが。舞踏から離れていっているように見えたりもするんですけど、そういうことではないんですよね。

Y ぼくは別に舞踏という言葉にこだわらなくてもいいと思ってるんですけど、離れてるとは、全然実感ないですね。これは表面的な意味かも知れないですけど、土方さんにしても、大野さんにしても、笠井さんにしても、キリスト者っていうイメージがありますね。土方さんはよく東北のことを言いますけど、直接聞いた言葉じゃないんですが、ヨーロッパは東北なんだよ、って言ったんですってね。土方さんがそう言ったっていうのは面白いと思ったんですけど、彼の中では、東北とかいうのは、土着と言うより、「作られた東北」だったんじゃないでしょうか。いわゆる土着的なものを模索していたとは思えないんですよ。さっきの話で言いますと、キリストっていうのは自分のからだの中にさまざまな悲惨を引き受けるわけですよね、一個の肉体の中に。霊の中にっていうよりも、肉体に。これは舞踏の精神にかなり近い。一個の肉体の中に記憶があり、生命の流れがある、というような捉え方をすると、一つの肉体の中に全部の歴史が流れ込んできているという感覚は、どこかキリスト教っぽい感じがするんですよね。だから、あまりいわゆる地縁・血縁、土着とかいう感じはしないんです。ただ、表現として表面的にそういう使われ方はしたかも知れないけど、中核にあるのはそういう感じじゃないかなあ。

J たしかに受難ということを考えてみたら、、それはまさにいろんな精神が集約していく形であるし、受難者というのは、キリスト教にとってはイエス・キリストというのが初めにあったかもしれないけど、それから2000年間、いつも同じように立ち現れていますよね。そういう肉体への集まり方というのは、時間・空間を超えているのかもしれませんね。そういう意味で、すごく普遍的なんですね。

Y そういう感じがしてるんですけどね。そんな感じでぼくの中では、「ピエタ」というものがつながってる、という気がしてます。

J 「小町」も一人の女というからだの中にかなしみやらよろこびやら、あらゆる感情がすべて込められていて、それをああいう20分の中にすべて展開される。そういう意味で、やっぱり近いんですね。

Y 近いと思いますね。どうしても日本的な情念というと、暗くて狭くて、四畳半の世界というイメージがありますけど、、最後に使った「シェルタリング・スカイ」という音楽のような、中央アジアのようなポコーンとしたところに持っていきたいというのがあったんです。

J そういう意味では、普通「日本の女」といわれるような、いつも御簾の向こうにいて顔がよく見えないというのばかりじゃなくて、実は途中でジプシーバイオリンに乗って駆け回るようなところもきっとあるだろうと、それは本当はあんなに走り回らないにしても、自分の内面では走り回ることもあるだろうとか、いろんなことを思います。そして最後に、それこそ「シェルタリング・スカイ」で、ワァーッと広がっていく。

Y そうですね、日本的情念の核の中にも、そういう中央アジアの砂漠的な感じがあるような気がして。

J ちょっと違うけど、「夢は枯れ野をかけめぐる」みたいな。きっとめぐってますよね。

Y 日本ってそういう不思議さがあるんですよ。俳句の世界でもそうですけど。これだけ人間関係に機微があって、気を使ったり、集団という意識が強いのに、禅のような個体意識っていうか、仏に会えば仏を殺せ、みたいな過激さが出る。ひじょうに面白いなと思います。そういう集団的な土壌が強ければ強いほど、屹立するようなものが出てくるという面白さがあるような気がして。

J そういう、一種の矛盾みたいな両面性は、きっとこういう形でないと表せないんでしょうね。

Y そうかもしれないですね。

J 結局は、「小町」「ピエタ」のことって、またやってください、そしてまた観てください、ぐらいのことしか言えないんですけど。

Y またやりたいんですけど、なかなか場所がなくて。

J ヨーロッパではおやりになったんですか。

Y 2カ所ぐらいでしたかね。もっとやりたかったんですけど、やれる機会があまりなくて。もっと反発があるかなと思ったんですけど、あんまり手ごたえもなくて。去年のパターンでやったんですけど、自分で全然納得してなくて、変えたいと思いながらだったんですよ。そのままヨーロッパでやってたから、その中でだんだん見えてきたのかも知れないですね。本当は、どこか教会でやりたいとか言ってたんですけどね。いっぱいやれば、いろいろあるかもしれないですしね。

J 平凡な質問ですけど、日本とヨーロッパで反応が違いますか。

Y 月並みな答えですけど、反応を表に出して返ってきますよね。日本人はお互いに無意識的につながっちゃってるから、積極的にコミュニケーションしなくてもいいようなところがありますよね。表現に対してもそういう感じがあって、別に言わなくても、みたいなところで、積極的にアプローチしていったりしない。でも、向こうの人はそれはすごくはっきりしてて、言ってくれるし、批評なんかでも、初日にプレスが来て、次の日にそれが出るでしょ。そういう批評文化みたいなものがあるけども、日本の場合、糠に釘というか、自分のやってることが評価されてるのかどうかわからないって感じがあるけど。ずーっと続けていかないと、難しいのかも知れない。

J 日本で、ある評価や手ごたえを得るということがですか。

Y ええ。帰ってきてから、なんか落ち込んだっていうか、やる気しなくなっちゃってね。半年ぐらい何もやりたくなくて。アート全般そうなんだろうけど、反応の悪さというか。ある意味では、海外のほうが活動はしやすいんでしょうけど、日本でちゃんとしたい。日本で認められるぐらいになったら、世界にすぐ出られるだろうと。

J 日本が一番厳しいから?

Y そうそう(笑)。向こうのほうが興味持ってる人が多いですし、簡単ではないでしょうけど、場がいっぱいあるみたいですね。

J 舞踏っていうのは、向こうでは、モダンダンスとかヨーロッパの踊りのアンチテーゼとして見られてるんですか、それとも一つの日本の、伝統芸能じゃないにしてもエキゾチックなものとして見られてるほうが多いと思われますか。

Y 両方じゃないでしょうかね。ある人は、よくわからないんですけど、バウシュとかの表現主義的なダンスに対抗しているのが舞踏だ、と言ってましたけど。身体性の違いはあるでしょうね。日本人の表す身体性。どっちかというとですけどね。舞踏のクラスで向こうの人が顔をグーッとやったら、その個人がやってるように見える。パーソナルなあなたがそういう顔をしているように見える。日本人がやると、なんかこう、ワーッと、空気が変わる感じがするんです。そういうからだの柔らかさ、環境と溶け込んでいく柔らかさ。向こうの人は、屹立して硬い、私がここにいるんだ、というからだですから、そうじゃない日本的な動きに対して、羨望はあるんじゃないでしょうか。

J 仮面をつけるとか、白塗りとかにしても、日本人がやる場合には、パーソナルを覆い隠すように思いますけど、ヨーロッパのダンスでペルソナというと、付けるわけですよね、なくすんじゃなくて別の人格になる。そういうからだの現れ方というのは、きっとどうにもしょうがないんでしょうね。そういう意味では、舞踏のからだの隠し方、見せ方というのは、本質的で根源的なものだと思うんですよね。

Y そうですね。これは舞踏のポイントになる考え方だと思うんですけど、オブジェという考え方があるでしょ。もの、死体になっていくと。ヨーロッパで死の演劇とか、死を扱おうとすると、本当に死なんですね。完全に切り離された死体っていう感じがするんですよ。日本人の死っていうのは、なんか違う。オブジェになっても、まだなんかそこにあるんですよ。ものなんだけど、まだ切り離されてない。死なんだけど、死んでない、そういう肉体のおもしろさっていうかな。

J 確かに日本人が死ぬというのは、何か中途半端というか、まだつながってますね。

Y 空間的につながってるという感覚がありますね。オブジェになってしまうことによって、また別に醸し出される、いのちがフワーッと浮き上がってくるような感じがありますね。向こうだと、死体、死、あちらの世界、という感じが、オブジェという概念の中に強くあったと思いますね。命がけで突っ立った死体という概念を持ってきたときに、記憶とかがワーッと浮き上がってくるようなものは、ひじょうに日本人的という感じがするんです。

J 確かにそうですね。由良部さんはそういうものが立ち現れてくるようなからだに向かっていることで、今、他のモダンダンスの人たちと一緒に舞台をされたりとか、若い人たちの振付をしたりするときに、ちょっと違うんじゃないかと思われたりはしませんか。

Y それはしょっちゅう。違うというか、自分が結晶化したい世界とは違うという思いは、ずいぶんしてきました。本当にいろんなジャンルとやったんですけどね、基本的に、どんどんやってどんどん捨てればいいと思ってるんです。自分のやったことないものとか、価値観の違うものには、ある意味では発見があるし、どんどんやることで、拒否感が出てきたり。だからどんどん捨てればいいと。なんか違うなあと思うほうが、逆に自分自身のことを見つめられたりもするし、やってみなわからんやんか、っていうこともありましたね。ただまあ、これからはちょっと違うかも知れない。あんまりいろんな人といろんなことはやらなくなるかもしれない。実験的というか、経験を積むためのものは、あんまり必要ないかもしれない。わかんないですけど。

J 由良部さんのステージからは、舞踏よりはちょっと広がっているような感じがするんですよ。まあ、われわれが持っている舞踏のイメージというのが、先ほどもあったようにずいぶん間違ってたんだとは思うけど。意識して広げようということはあるんですか。

Y 当然勉強すべきだと思うし、舞踏って、どっちかっていうと、メソッドがないですよね。めちゃくちゃなんですよ。バレエでも何でも、歴史の中でいろんなメソッドができて、蓄積してきたものがありますよね。それを学ぶという姿勢じゃなくても、それに出会っていくなりぶつかっていくという作業が当然必要なんですよ。必要じゃない人もいるのかも知れないけど。そういう意味で、最近はそうでもないかもしれないけど、舞踏やってる人は怠惰っていうか、そんな感じがすごくしてたんですよ。

J 私が舞踏を見てあまり面白くないと思うときは、それは一つのパターン、メソッドになってると思うんですよ。

Y メソッドっていうよりはね、表現術みたいなものになってるんですよ。メソッドっていうほど体系、意識化されてない。見せ方です。身体観っていうところまでいってないです。

J そうですね。それもあって、ますますひどい。

Y なんていうんですかね、土方さんが闇に突き刺さっていくような激しさを持っていたとしたらね、人の批判はしたくないんですけど、今やってる人の中で、闇と遊んでるような感じのする人が多いんですよ。安心して闇と遊んでる、っていうかな。そういう遊びを見せられてもね。

J そもそも舞踏というものが見せてくれるものは、のっぴきならない、抜き差しならない、生きるか死ぬかみたいな地点で拾ってきたものだと思うんです。なのに、それこそエキゾチシズムを見せられてしまうようなことがあって、ちょっとがっかりしたことが何度かあるんですけど、そういうのを見てると、土方さんが一回見せたのを、ちょっとなぞって「はい、こんなものだったのよ」ってやってるような気がして、ちょっと不愉快なことがあるんですね。

Y 自分の中で闇で遊んでて気持ちよくなってるっていう感じでね。それってかなりやばいんじゃないの、と思いますけどね。光を恐れちゃう、もっと広い世界を恐れちゃってるんですよ。ちっぽけな世界だけでやっててね、その世界の人だけが集まって、いいや悪いや言ってる。そういうことやってると、もう広い世界に行けないような危惧がありますね。

 よく言うんですけど、身体技法的に、正中線っていう考え方があるじゃないですか。天と地を結ぶ真っすぐな。これはダンスだけでなく、ヨガや武道でもそうだし、あらゆる身体技法でかなり言われるんですよね。正中線を通すって。唯一と言ってもいいぐらい、舞踏だけ正中線を通さない。土方さんなんか、こういうからだ。

J サナギみたいな。

Y そういうからだで満足しちゃってるっていうか、正中線を通すって、ある意味で、御者なんです。馬車を御す御者。だから背が立つんです。立つということが、いかに人間を人間たらしめているか。舞踏の場合、馬になって走ってたりする。けっこうそれが楽しくなったりするんですよ。

J 馬には馬なりの楽しみ。

Y そうそう。闇の楽しみ方はもちろんあるんですけどね。でも、それだけではだめなんですよ。やっぱり立つ、ちゃんと立てる。でも、立つことばっかりだと、それもだめなんですよ。どういうところから立ってきたのか。人間が立つということは、どういう闇から起き上がってきたのか。両方ないと駄目なんですよ。それがぼくにとってはひじょうに重要な考え方で、絶対ちゃんと立てる、立ち姿、あるいは歩き姿がちゃんとできないと、だめなんですよ。両方ないと、馬の気持ちもわからないで鞭ばっかり入れてる変な御者になっちゃうと思うんですよね。その緊張関係っていうか、いい御者になりながら、馬の中に入っていく、それが土方さんなんかはひじょうに強くって、どこかでコンと馬のほうに行っちゃったんじゃないでしょうかね。あまりにも深いところに行き過ぎちゃったのかな。そんな気もしないでもないですけど。本当に深いところに入るには、そういうこともできないと入れないですよ。表面的なところで遊んじゃうようなことでは。

J 私たちがあとから思うのは、土方さんが掘って掘ってここまで行きましたっていうんだったら、あとから来る者は、その深いところからスタートするんじゃなくて、もう一回掘らないといけないんじゃないでしょうか。

Y もちろんそうです。

J それを、自分で掘らずに、いきなり井戸の底から出発しちゃうから、さっきのお話でいうと、明るいところが怖くなってしまう。そうなっちゃってるんじゃないでしょうか。

Y そういう人もいるでしょうね。

J どうしてわれわれがこんな暗いところへ来なきゃいけなかったのかを忘れちゃうと、通用しないんじゃないかと思うし、その掘る作業なしに始めちゃうのは、やっぱりだめなんじゃないかなと。

Y ぼくは基本的に、舞踏はソロダンスだと思ってるんですよ。集団のとかもありますけど、個人からしか生まれてこないですから。こうやればなんか生まれてくるっていうんじゃなくて、作業しながらワーッと生まれてくるもので、それが「小町」や「ピエタ」なんですね。その人はその人で生まなきゃいけないんであって、それに対して一緒にサポートしながらやっていくということはできるけど。この前の三人展でも、そのへん悩んだんですよ。三人三様にしてしまって、振付っていうより動機付けですね。なにか沸き上がってくるような感じでしたいと思ったんですけど、ぼく自身、与え方とか引き出し方とか、まだまだですね。

J 三人展で、ある意味で面白く思ったのが、ダンスのからだでも舞踏のからだでもない、とても中途半端なからだ、それを自分自身ですごく持て余しているっていう感じがしたんですよ。それがね、すごく面白かったですね。つまり、もうわれわれは、って一緒にしちゃいかんのかもしれませんけど、舞踏的なからだでもないし、ましてや西洋的なからだでもないんだろうか、って思ったりしたんです。

Y それはけっこうあると思いますよ。時代でからだはすごく変わってますからね。はっきり言って、昔の舞踏的なものが、光度として古くなっているという感じがしますね。腰曲げて、ガニ股でっていうのは、どうしようもなく古くなっているような気がしますね。よくわからないですけどね。ひじょうに深い問題かも知れないですね。日本人のからだがどういうところへ行くんだろうかという。

 過敏になってますね。いっぱい情報があって、それにいちいち反応するか、遮断しちゃうかなんです。けっこう間(ま)の取り方が悪くなってます。一緒にいても、100m離れてるような人もいるし、微妙な間の取り方が難しくなってる。情報空間っていうか、強くなってるんですかね。

J 初めにお話のあった舞踏の人たちの共同体の作り方って、ぼくらでも想像つかないんですよ。

Y ほとんどなくなりましたね。


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上念省三