大人の味わい、翳りの魅力−別格スターの存在価値

 映画界、演劇界で「助演男優賞」「助演女優賞」というのは、役者にとって最高の勲章なのではあるまいか。昨年度の「第1回宝塚アカデミア・アカデミー賞」では、それぞれ樹里咲穂、陵あきの・千紘れいか・久路あかりとなった。もちろん、彼女たちのその演技が舞台を引き締め、味わいを深めたことはいうまでもない。一方、なんとなくトップ路線には乗っていないような翳りが、魅力となって吸引力を増幅していることも見逃せない。

 近年の宝塚の傾向として、準トップは脇役やトップの対抗としてよりも、次期トップとして予行する役どころに収まってしまうことが多く、悪役の美学、渋味を出せる役をふられていることが少ないのではないか。最近では「LUNA」の紫吹淳(ブライアン)、「タンゴ・アルゼンチーノ」の匠ひびき(カール)がトップに対立する役として設定されていたが、共に小池修一郎の作品で、彼の作劇の一つの特徴といってもいいのかもしれない。

 少々さかのぼれば、同じく小池の「カサノヴァ・夢のかたみ」の麻路さき(サンジェルマン伯爵)、舶来ものだが「ハウ・トゥ・サクシード」の海峡ひろき(ギャッチ)などの、策略をめぐらしたり、色濃くトップと対立したりする役が、最近では専科や組長・副組長らのベテラン陣に当てられているのを、少なからず物足りなく思っている。おそらくこういうことが宝塚のアイドル化といわれていることなのではないだろうか。トップ路線と呼ばれる序列が三番手、四番手、あるいは組によっては五人目、六人目と数えられてしまうようになって、どうもそのアイドルたちに憎まれ役や色濃い悪役を振り当てにくくなっているように思われる。そのことで劇も役者も薄っぺらになり、作品の深み、演技の深みが欠けてしまっているのではないか。

 たとえば香寿たつきが最近は愛らしい白い魅力を出しているのは、彼女の人気のためにはよいことであろうが、「JFK」(またしても小池作品だが)のフーバー長官のようにキリキリさせるほどの憎らしさをもった濃い役も、どうしても見たいのだ。確かに一時期香寿は苦み走った中年男性の香気や悪役の美学をふりまく役が続き、脇役路線だとか、トップ就任は難しいのか、などと噂されたが、まず宝塚にそのような色濃いトップをいただく芝居があっていいし、ぼくたちもそういううまみを楽しめる鑑賞眼を持ったほうが、楽しいはずだ。

 さて、「別格スター」などといわれると、真っ先に海峡ひろきを思い浮かべてしまったのだが、つまりトップや準トップに勝るとも劣らぬ実力があり、彼女たちに対抗するほどの存在感がある。娘役においては、洲悠花がそうだったように、若いトップ娘役をフォローするだけでなく、やや蠱惑的な魅力をもった悪女、情婦、運命の女、または母性的ないし姉的な魅力でトップを包みこむといった役どころとなるだろう。

 もちろん、男役なら何番手というように序列が定まっているようだから、別格扱いされるのは、どちらかというと娘役(女役)のほうが多いのかもしれない。具体的に言えば、以下のような者が挙げられる。例外もあり、いろいろとご異論はあるかと思うが、ご容赦いただきたい。

  花組 楓沙樹、渚あき

  月組 夏河ゆら、美原志帆、汐美真帆

  雪組 五峰亜季、汐風幸

  星組 朋舞花、久城彬

  宙組 陵あきの、樹里咲穂

 この中には、現時点で別格扱いしてしまうことに抵抗があって、実際これからトップになるかもしれないスターもいる。個々に見るとダンスのスペシャリストもいるが、多くは芝居巧者として記憶に残っている。演技ならいわゆる名脇役として、あるいは歌でもダンスでも、観客の記憶に残るワンシーンを印象づけてくれる存在だといっていいだろう。

 この中で、悪役として印象に残っているのが、「Love Insurance」でロベルトを好演した久城。 悪役ではないが樹里の「Crossroad」のデュシャンは、しょうがない男の役で、これもまた名脇役の一つの役どころとして樹里の魅力を存分に見せた。この二つの作品は、共に正塚晴彦によるもので、「SAY IT AGAIN」の成瀬こうき朝海ひかるが、やはりしょうがない結婚詐欺師だったように、今後も正塚作品にこの手の脇役が生きる作劇を期待したい。

 名脇役として生きるには、ひとつにコメディアンとして客席を沸かせるという道があるはずだ。専科の未沙のえるをはじめとして、退団する真山葉瑠に連なる路線である。泣かせることより笑わせるほうが難しいというが、このタイプの役者が本当に芝居巧者であることは、未沙の「心中・恋の大和路」における孫右衛門が証明している。現役では、上記の役者にちょっとそのような役が思い浮かばないのが残念だ。真矢みき真琴つばさのように、トップが遊びで笑わせるのとは違って、伸び盛りのトップ候補に笑われ役のイメージがついてしまうことは、おそらく本人にもそのファンにも少なからぬ抵抗があるに違いない。多くの作品で専科の者が笑われ役に当てられているのも、芝居の巧さと共に、そういう部分に対する一種の割り切りができているからだろうか。

 そういう意味で、現役では風早優が貴重な存在である。時にやり過ぎてしまって滑ることもあるだろうが、松竹新喜劇的な(といって関西以外の方にはわかりづらいだろうが、藤山寛美とか)笑いと涙のなかに劇の、そして人間というものの真実を明らかにしてくれる役どころであることが多いはずで、このようなタイプの役者が増えないことには、宝塚歌劇の舞台に膨らみは出るまい。

 ぼくたちの観劇の姿勢として、笑うべき場面では思いっきり笑ってコメディアンたちの努力に報いてやらなくては、彼女たちも笑われがいがないというものだ。繰り返すが、正塚作品の中には、芝居のタイミングで笑わせる上質なライト・コメディがある。甲斐性はないけどカッコよくて、どこかトボケていて憎めない、というような魅力的な男を、もっと大劇場の舞台の上で躍動させてくれないだろうか。

 笑われ役といえば、意外にも翔つかさ、幸美杏奈、夏河ゆら、愛耀子など、娘役にいいコメディエンヌが多いことは、もしかしたら宝塚歌劇の一つの特徴として強調していいかもしれない。本当はゆっくり考えたいのだが、宝塚において男役が完璧な虚構として、危うい地点で成立しているとしたら、たしかに女役のほうが笑わせることには近いのだと思われる。地で好きなように爆発できるのは、本当にはむしろ女役のほうではないかと、ここではそんな予感だけを指摘しておきたい。

 もちろん娘役には、魔性の女、運命の女という魅力的な役どころがある。朋、五峰、美原のように、ベテランの域に達しようという娘役には、そのような情婦の味わいで主役の人生を歪めてしまう魅力をうまく表現できる機会があり、役の上でうまく年を重ねることができるようになっている。<ダンスの五峰>の最近の演技面での充実は、著しい。「聖者の横顔」で朋が演じたイレーネの最期の場面の凄絶さったらなかったし、「プロヴァンスの碧い空」の美原のジェルメーヌについて改めていうまでもなかろう。彼女たちに共通しているのは、いうまでもないことだが、しっとりと美しいということだ。夏河はここのところ魔女的な役が多くて、ちょっと損をしているように思う。キンキン、バタバタさせず、落ち着いた大人の女の夏河も見たい。

 「あさきゆめみし」で朧月夜を演じたについても、やはり光源氏の人生を一度は大きくたわめたことで、役としても、役者としても劇に鋭く屹立した。「タンゴ・アルゼンチーノ」では元高級娼婦。独特な気品と色気をうまく出していた。どちらかというとかわいいタイプなのに、いくぶん人生を諦めたアンニュイな雰囲気が出せているのが、大きな魅力になっている。

 渚、そしては、共にトップ娘役になってもよかったかもしれないが、やや淋しさが漂ってしまって、その期を逸してしまったという点で共通している。しかしそれは必ずしも悪いことではなくて、そのような観る者の思い込みが、彼女たちの存在に味わいを深める香辛料にもなっている。陵については、「エリザベート」で狂女ヴィンデッシュ嬢を、何といえばいいか、好演し過ぎた。ヒロインはトランスしない。しかし名脇役は髪を振り乱しても憑依してでも、人間の一面を確実に見せてくれなければならない。その意味で、陵のヴィンデッシュは宝塚にとって貴重な財産であり続けるだろう。

 ちょっと変わったところでは、「プロヴァンスの碧い空」で本来男役である北嶋麻実が演じたエディットも、また素晴らしい破調であった。彼女たちのような役者には、きっと台本には書かれていない、自分の思惑やら意図やら能力を超えた何ものかが、舞い降りてくる瞬間があるのだろう。そんな予想以上の面白みというものは、トップよりもそのそばにいる脇役たちに多く見られるものだ。

 このように見てくると、かえって楓、汐美のような男役のほうが独自の魅力を押し出すことに苦労をしているような気がしてならない。「あさきゆめみし」で楓は朱雀帝という難役を与えられた。汐美もバウの「心中・恋の大和路」で八右衛門、昨年の「うたかたの恋」でジャン・サルヴァドル大公と難役が続いている。どれもただ立って喋っているだけではどうにも収まりのつかない、腹芸、ニンの必要な役どころだ。

 今の宝塚では、このような役どころには汐風幸が最もふさわしい。おそらく彼女は、動きをこらえること、何もしないことによって見せられる深みを身につけている。汐風にそのような役を書きたいと演出家に思わせるだけの魅力がある。そんな好循環の相乗作用が、舞台の魅力を格段に高めていく。残酷なことかもしれないが、どこかで自分を別格であると位置づけた上は、与えられた一つ一つの機会を、レベルアップのための正念場として乗り切っていかなければならないだろう。                      「宝塚アカデミア11

 ホームへ戻る  
Copyright:Shozo Jonen,1997-2005
 上念省三:jonen-shozo@nifty.com