「泣き」の魅力〜伊織直加の旅立ちに

刷り込まれたというのか、伊織直加というと「エデンの東」新人公演(一九九五年)でのキャル・トラスクがあまりに強く印象に残ってしまっていて、以後のほとんどの役にその面影を追いかけるような見方しかできなくなってしまっていた。屈折した思いを胸に秘め、どうすることもできなくて自棄に走る繊細な青年。そういう役でなければ伊織に面白みはなく、伊織の「泣き」が見れないと何だか物足りなくて、彼女にふさわしい役ではないようにさえ思われた。

それほどに、「エデンの東」がすごかったということだ。父に疎まれた次男坊の悲哀が全編を通じてあふれるように表現され、ことに父の病床で札束を乱舞させて泣くとも笑うともつかぬ感情の昂ぶりには、ホールを凍らせるような迫力があったと記憶している。

一九九七年の「君に恋してラビリンス」は、初風緑とダブル主役で、事業家の子息オービット。全体にテンポのいいライト・コメディだったと思うが、実はこの時ぼくは、舞風りら、大鳥れいの二人の娘役しか印象に残っていない。コメディ・タッチの伊織はどこか居心地が悪く、無理しているような気さえしてたが、それがキャルを引きずった先入観だったのかどうか。同年、匠ひびき主演の「白い朝」では、さぶ。これはまさに伊織に適役と思われた。やっぱり伊織は「泣き」が入らないとね、と思う一方、逆にそれが彼女の芸域の狭さを意識させられるようでもあり、今後彼女はどうなっていくんだろうと心配にも思えた。

そしていよいよ翌一九九八年、インドを舞台にした「Endless Love」でバウ初の単独主演。伊織、大鳥れいと、取り立ててダンスが得意なトップを配したわけでもなかったのに、振付にコンテンポラリー・ダンスの大島早紀子(H・アール・カオス)が初参加したことで話題になった。このころ、ぼくは伊織に対して、歌やダンスや演技や、何か特に注目すべきスキルがあるわけでもなく、総合的な存在感、そして何よりもはまり役を得た時のすばらしさを見るべき役者であると認識していた。だから、このバウ初主演となるこの公演で、彼女がどのような新しい面を見せるのかどうか、強い興味をもっていた。

彼女はけっこうよかった。これまでそれほど魅力的だとは思っていなかった歌もダンスも、劇の流れに沿って、劇をきっちりと高めることのできるものになっており、彼女の勘のよさ、神経の鋭さがうかがわれた。何より芝居が好きなんだろうなと好感をもつこともできた。

この劇は輪廻転生をテーマに、伊織が第一幕では大鳥演じるイギリス人少女ジューンと運命的な恋に落ちるインド独立運動の闘士バシーム、第二幕では生まれ変わってジューンの息子マークとして登場するというものである。「エデンの東」とは違って、母に子どもとしては愛されず、かつて愛した男の生まれ変わりとして疎まれ拒まれながらも、母を純粋に愛している息子という、母子間の倒錯した愛憎がマークを苦しめ苛むのが見どころなのだが、肩を少し上げて歩く姿、射すくめるような視線、歌のシャウト、腕の振りなど、随所にやり場のない感情の強い噴出や、その感情を抑えた煩悶が見られ、伊織の魅力を見せてもらったと、納得はできた。演出の児玉明子も、バウ初主演の伊織に対して、これまで蓄積してきた魅力をきっちりと見せることに意を注いだのだな、とも思った。

しかし、全体的なスケールアップは見られたが、この後も彼女はなかなかその枠を超えられないようだったし、役柄もその枠の中にとどまったように思う。難しいものだと思う。彼女はとにかく激しい感情に翻弄されるように「泣き」の入る役は本当にうってつけで、他の誰がやるよりもふさわしかったと思うし、その状態へ感情を盛り上げていく演技もすばらしかった。素の顔まで、泣き顔のように見えてきた。「泣き」がすばらしければすばらしいほど、「あさきゆめみし」(二〇〇〇年)の柏木のように、演出家たちも彼女にそのような「はまり役」しか与えなくなったように思えたし、さらには彼女にはそんな芝居しか向いてないようにさえ思えた。

伊織の役柄が変わったように思えたのは、やはり専科に移ってからだ。「ルートヴィヒU世」(二〇〇〇年)のデュルクハイム伯爵もよかったし、何といっても「カステル・ミラージュ」(二〇〇一年)のアントニオで、敵役にまわって黒い魅力を出せたのがよかった。少年が大人の男になったように思えた。その「成長」が、専科配属ということでの心がまえのようなものによるのか、男役十二年での成果なのか、外部出演「キス・ミー、ケイト」で女役(ロイス、ビアンカ)を演じた反映なのかはわからないが、男役の迫力のような強さを感じられるようになって、大いに驚いた。

さて、彼女は宝塚音楽学校を首席で卒業し、早くから将来を嘱望されていたわけだが、「エデンの東」での新公初主役は入団七年目と滑り込みに近い状態だった。もちろん前後のバランスや組内の事情があったにせよ、音楽学校での成績からすると、ややパッとしない入団後である。実際、同期生四人が集まった「Switch」を観ていると、伊織の優等生らしさは伝わるものの、存在感という点では、さすがはトップ公演だけあって他の三人と格段の違いがあるとは思えなかった。この公演はあくまで伊織が主演で、湖月わたるは特別出演、そして嘉月絵里と美穂圭子というラインアップだったが、率直にいって伊織以外の三人のほうに目が行きがちだった。

殺人鬼の伊織がよかったのは、湖月演じるウォルターに「あの世でおまえの息子に、悪い遊びを山ほど教えてやるさ」と言い放つような狂いぶりであった。湖月との乱闘の場面も迫真の力があり、その後の伊織の静から動へと移る歌もドラマティックで迫力があった。しかし、全体には、湖月以下三人の芝居巧者に支えられて実現した、伊織の花道のように思えてしかたなかった。第二幕でも、客席に降りたからといって客をいじるでもなく、むりやりクライマックスに持っていくでもなく、誠実といえばそうかもしれないが、平板なステージになりかねないのを救ったのは、嘉月ら他の三人の力が大きかった。

首席やトップということが、どういうプレッシャーになってしまうものなのか、その経験がないのでわからないが、「トップだから」は容易に「トップなのに」になるだろう。どのジャンルもそこそこできるということで、面白みに欠けがちになることは、本人が一番知っていたのではなかったか。もともと彼女は娘役を志望していたという。「キス・ミー、ケイト」に続き、謝珠恵作品への紅一点での出演が決まっているようだ。芝居好きで勘がよくて、男から見た女の魅力を知っている女で、ちょっと不器用なほど誠実……成功の条件はそろっている。水を得た魚となることを期待している。

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