凛とした空気をつくれた名優〜汐風幸に出会えた幸福

汐風幸がすごかったのは、片岡仁左衛門の娘だからということから、日本物はさすがにうまいよねという先入観をもたれながら、それはきちんと満足させつつ、それ以上の存在感の強さを見せて舞台を作る力をもっていたことだ。

あまり語られることはなかったかもしれないが、彼女の動きは細部まで配慮が行き届いている上に、自由で柔らかな曲線を描くことができていた。一見器用な役者とは見えないところもあったかもしれないが、いったんはまれば、動きは自在で魅力的だった。改めて言うまでもないだろうが、特に日本物では、腰の入り方一つとっても、共演者とはちょっと次元が違っていた。たとえば「花の風土記」で改めて気づいたのだが、一人彼女は身体の芯としての腰の位置が定まっていた。だからそれを軸として足の運びも上体の動きも自在に取ることができ、優雅で美しく、淀みのないバランスを獲得することができていた。一言でいえば「決まる」ということになる。近年ことに日本物ではこのように「決まった」と思わせる動きのできる役者は少なく、ひじょうに貴重な存在だった。

「心中・恋の大和路」(一九九八年)が素晴らしかったのは、そういう彼女が歌舞伎に材をとった日本物で主演するのだから、その血脈からいっても特質からいっても、当然名演となるだろうという期待を上回るだけのドラマの深さを表現しきれていたからだ。特に今でも記憶に残っているのは、封印切の場面。この場面はこの劇の中でも突出して「伝統芸能的」ではないところだとも言える。照明や音楽の扱いからいっても、かなりケレン的な要素の強い場面だったが、ここで彼女は一種の浮遊感とも呼べるような強い酩酊を表現し、何ものかに翻弄されてしまう存在の弱さと、その裏腹の魅力を遺憾なく発揮した。

彼女のすごかったのは、忠兵衛という男のどうしようもなさをきっちりと表現できて、ひじょうに魅力的であったという、近松がもくろんだであろう通りの人間像を表出しえていたところにある。「見た目」ボロボロでも心はちゃんと「二枚目」とは、石田昌也が「銀ちゃんの恋」(一九九六年)のヤスについて語った的確で簡潔な評言だが(「歌劇」七月号)、それは忠兵衛へと直結する像でもあった。近松にしてもつかにしても、屈折しているがゆえの人間の美点を余すところなく描かせたら時代を超越する実力を持った劇作家だが、脚色されているとはいえ、宝塚在団中にこのような異色作に複数恵まれたのは、運と実力の双方を兼ね備えていなければ、ありえなかったはずだ。

いつも「サヨナラ」原稿を書くたびに、このような過去形で語ることにやるせない思いをするのだが、心残りがいくつかある。一つは、彼女の主演作がこの「心中・恋の大和路」で最後になってしまったことで、それが今となっては不思議でもあり、残念でもある。確かに彼女は敵役や渋い脇役をみごとに演じきる名脇役という位置どりで、その魅力を発揮する存在ではあった。しかし、せっかく専科という自由な所属になったのだから、彼女が宝塚にいる間にしかできないような、破天荒な作品を(銀ちゃんの再演でもいいから)企画してほしかった。

ついでに、新・専科にかこつけていうが、新・専科生のバウホール作品出演が極端に少ないように思えるのだが、これは残念なことだ。汐風はそれまでは「たとえばそれは瞳の中の嵐のように」(一九九一年)、「ボンジュール・シャックスパー!」(一九九二年)、「たけくらべ」(一九九四年)、「銀ちゃんの恋」と、一、二年おきにはバウ公演に出ていたのに、「心中…」以後はバウ出演がない。彼女のように丁寧できめの細かい演技のできる人の姿は、バウでならなおのこと観客を引き込むはずで、そこで落ち着いた名演を披露してくれてもよかった。新・専科生が大劇場や東京宝塚公演での「ヘルプ」に忙しくしていたり、外部出演をしている間、バウ公演は新・専科以下の若手トップ候補や超若手(?)のワークショップ(と銘うって、金を取るなよ!)なるものに終始し、実験性にも乏しく、著しくレベルを下げたのは、ひじょうに残念でならない。

閑話休題。外部出演の「私生活」は観ていないのでふれられないが、近年の汐風で特筆に値するのは、星組「花の業平」の藤原基経(東京宝塚劇場のみ)、月組「シニョール・ドン・ファン」のロドルフォ、そして同じく「宝塚花の風土記」の「素踊りの男」だった。あえて共通項を探れば、どの役も厳しく凛とした姿が強烈に印象に残っている。汐風は、宝塚生活最後の二年半で、そういう姿をぼくたちに焼きつけてくれた。

このように振り返ると、やはり汐風という役者は、日本物で大きな魅力を発揮したことには違いない。しかし、「歌劇」七月号で谷正純が披露しているが、彼女自身は「日本物が得意と思われるのが辛い」と言っていたというから、わからないものだ。おそらく彼女にとって日本物を演じることは、他の役者たちとは比べものにならないほど大きなプレッシャーのかかる一大事だったに違いない。彼女の中での日本物に対する及第点、平均的レベルというのは、他の劇団員とも演出家とも違って、異様に高いものだったはずだし、それをクリアするために家族や縁者がどのような厳しい人生を送ってきたかも熟知している以上、生半可に「日本物でございます」といい加減なものを出すわけにはいかなかったはずだ。彼女にとっては、他の劇団員に比べて日本物がうまいとかどうとか、そういうレベルではないフィールドで(自分の中で、ということも含め)戦っていたわけだから、それはまことに辛いことであったろう。

一転「長い春の果てに」で汐風は女役に回った。新・専科生を女役に配することについて、ぼくはリストラ候補の社員の再就職斡旋のための研修などという、あまり上品ではない言い方で苦言を呈したことがあったが、汐風についても率直に言うと、よくやったとは思うものの、彼女の、何と言えばいいのか、生真面目さとか不器用さがあらわになってしまったように思えた。今でも一般的に言ってこのような配役は、せっかく築き上げてきた男役としての存在感やスキルを、一朝にして崩しかねない愚挙だと思っている。

しかしそれでも、やはりぼくたちは彼女が宝塚歌劇団に所属して、同じ時代に彼女の日本物の名演をいくつも観れたことを、奇遇として幸せに思う。そして彼女が日本物に対する姿勢と同じ厳しさで、正面から率直に日本物以外の演技にも立ち向かい、最後のロドルフォのような厳しい役づくりに結実したことを喜びたいと思う。

最後の公演となった「宝塚花の風土記」で何よりもうれしかったのは、「素踊りの男」という姿を観れたことだった。東儀秀樹の音楽ももちろん冷麗と格調の高いものだった。汐風の動きについては、冒頭にも言葉足らずとはいえ少し述べたが、何よりもその動きや姿勢によって劇場の空気を凛冽としたものに変えることができていた。彼女自身の生きてきた何十年か、彼女を生み出した伝統の何百年か、男役としての彼女の十数年か、すべての歳月を結晶させたような美しい姿であった。改めてこのように彼女の来し方を振り返ると、彼女自身もけっこう恵まれた宝塚生活だったと思う以上に、彼女がいてくれたことで、ぼくたちがずいぶん恵まれたことであったと、感謝したい気持ちでいっぱいになる。

 ホームへ戻る  
Copyright:Shozo Jonen,1997-2005
 上念省三:jonen-shozo@nifty.com