「宝塚アカデミア」連載記事です
11 「『マチュア』ゆえの魅力とチャレンジ」
新・専科制度の発表と同時に組替えが発表され、そろそろ組替え後の公演が大劇場でも始まっている。宙組に水夏希、朝宮真由が、花組バウに高翔みず希が出演して、元気な姿を見せている。水はともかく、朝宮や高翔が以前より大きくシーンをもらっているように思ったが、だいたい組替えが栄転(というか序列の整理)のニュアンスをもっていることと、ご祝儀の両方からの厚遇だろう。
組替えは、言うまでもなくこれまでも年中行事のように繰り返されてきたことだし、おそらく今は「ダンスの花組」などと呼ばれた以前ほどには組によってカラーが違うということはないだろうが、やはり新しい仲間が入ってくることで、組のバランスにも変化がもたらされ、各個人の位置にも影響があるはずだ。そもそもが歴史の浅い組で、しかもトップの交替と時を同じくして宙組に水夏希が入ったことは、星組に安蘭けい、夢輝のあが入ったこと以上に大きな影響を与えるかもしれない。
これまでの組替えで、他のことはともかく、他の劇団員への影響が大きかったと思うのは、香寿たつき、紫吹淳と、やはりダンスの名手の場合だ。雪組の男役のダンスが最近非常に充実しているのは、香寿の後ろ姿を見ていられるせいだと思えるし、紫吹が星組に来た時の絵麻緒ゆうと音羽椋の成長ぶりは著しかった。いくら同じ音楽学校を出た仲間だといっても、組替えはやはり少なからず緊張するものだろう。その緊張はたいていの場合好ましいもので、双方のレベルアップにつながり、そうでなければどちらかが淘汰されることになるわけだから、やはり全体には整理されて質が向上するといえよう。つれないいい方だが、このようにしてこれまで宝塚歌劇は歴史を重ねてきたわけだ。
さて、ネザーランド・ダンス・シアターV(以下、NDTV)というカンパニーの公演を観た。40歳以上のクラシックバレエ公演などの経験豊かなベテラン・ダンサーによって構成されたカンパニーである。Vの創設者でNDTの芸術監督を長く務めたイリ・キリアンは、その創設の背景についてこう説明している。「(NDTVは)ひとつのカンパニーではなくひとつの理念なのです。つまり明らかにカンパニーではありますが、ダンサー達に繰り返し影をおとしている根源的テーマ―正規のカンパニーの状況の中では、もはや自分が参加または機能することが出来ないか、あるいはしない事―について各人の個人的な長い年月にわたる経験なくしては決して実現しないからです。多くのダンサー達は四十歳前後に、自分がノーマンズ・ランド(無人地帯)にいることに気がつきます。自分の生き方になってしまったこの職業、多くの人は子供の頃から始まりますが、それをあきらめるという状況に直面するという事は、新たな納得のいく信条か、未来へのヴィジョンがない限り生易しいものではありません」(プログラムから。彩の国さいたま芸術劇場)
そしてこの公演は、実に素晴らしいものだった。動きのスピードは20代、30代のダンサーほどではないかもしれないが、何よりも一つ一つの動きの意味をよく理解できるだけの、経験と知識に裏打ちされた深みがあった。その結果、動きは鋭さよりも大きさをもち、劇場の空間を隙間なくうめていった。NDTでは彼らのことをマチュア・ダンサー(成熟したダンサー)と呼んでいるそうだが、誠に円熟の境地に達した人間でなければ醸し出すことのできない味わいがあった。
ぼくはここで場違いなダンス公演評をしようとしているのではない。NDTVを観終えてしばらくして、宝塚の専科(ここでは従来からある専科をいう)のことを思い出していたのだ。冒頭にもふれた今回の組替えでは、いわゆる組長、副組長の異動も激しく、これまでそのポストにあった何人かは専科に移った。専科に所属している者の扱いが必ずしも均等ではないことは、以前から指摘されていると同時に、たとえば最近になって矢代鴻ががぜん脚光を浴びていることからもわかるように、一度使われると誰もが使いたくなるような魅力をもっている者が、そこにはいるのだ。
少々話は遠回りするが、周知のように、ぼくはベテラン娘役である万里柚美の大ファンなのだが、「黄金のファラオ」のヌビアの舞姫としてのダンスは、本当にうれしかった。地球ゴマのように、身体の軸を斜めにしてクルクルと回転するのを観て、ダンスの技術と経験のバランスからいって、現在の彼女はそのピークなのではないかと思った。彼女の実年齢は知らないが、宝塚の中でも、ダンサーのキャリアの中でも、若手といえる年齢ではないことは確かだ。失礼をも承知でいえば、おそらく彼女はダンサーとして最も脂の乗りきった、充実した円熟の域にある。その万里が今回の大異動で星組の副組長になる。組長やら副組長やらの役割さえぼくはよく知らないが、噂では不入りの始末書を書かされるだの、あまりおいしい役回りではないように聞こえてくる。要するに管理職、いわゆる中間管理職の悲哀を味わうポストになるのではなかろうか。こと中間管理職の苦しさについては、他人事ではないので、誠に気の毒であるが、その人柄と技術や経験、何よりも宝塚歌劇に対する深い思いによってうまく乗りきっていってほしい。
一方では、この副組長就任によって、現場から外され気味になるのかと思うと、これはかなり複雑な思いにとらわれてしまう。これまでの各組の公演で、組長、副組長クラスは、芝居では渋い脇役、ショーでは笑われ役やつなぎ役、時に幕前の美声披露といったところで、少し全体の盛り上がりからは外されることが多い。ここが難しいところで、かといって一連の宙組公演、特に今回の「ミレニアム・チャレンジャー」のように、副組長がエトワールの一人として出てきてしまうと、これはまた何か勘違いしているようで、みっともなくさえ見えてしまう。
万里にとっては、いい時期なのだろう。ブンブン踊ってさえいれば楽しいという、ダンサーとしての青春の時期は過ぎていくのだろう。そうすると、これまでの経験を生かして、振付や後進の指導に回るべきなのだろう。それが彼女の喜びであるのだろうから、特に端でいろいろいうことはない。おそらくダンスと共に生きてきた彼女にとって、これからもダンスと共に生きていくために考えられる選択肢の中で、最良に近いものだったに違いない。ぼくとしても、これからも舞台の上の彼女の姿を見ていることができるということは、大きな喜びである。
総じて現在の宝塚歌劇は、マチュアな役者やダンサーに対する評価や人気が低すぎるのではないか。音楽学校を卒業して入団から十五年程度でトップクラスに立ち、三年程度で退団となると、三十代半ばまでしか在団しないことになる。若くてピチピチしている方がいいというだけでは、目の肥えた観客がついてこなくなるのも当然のことではあった。多くの劇団員が宝塚歌劇で培った経験に基づく魅力が、舞台の上、作品の中で十分に発揮されないまま終わってしまうのは、あまりに惜しい。
先ほど引き合いに出した矢代鴻がスポットを浴びたのは、「夜明けの天使たち」だったのではなかったか。その役柄と人生の年輪を感じさせる歌声がみごとに重なり合い、劇の温度を確実に何度か上げた。このような層、具体的にいえば年齢的には30代後半以上、ポストでいえば組長、副組長や専科の者の魅力をもしみじみと味わうことができる作品が増えてくれば、宝塚歌劇の観客層は多いに広がり、動員力も上がって、興行的にもいろいろと楽になるのではないだろうか。
再びNDTVに戻るが、イリ・キリアンはNDTVを結成させるに当たって、自分自身も含めた多くの振付家に、NDTVのための作品づくりを依頼している。それはつまり、マチュア・ダンサーの体力でも踊れる作品という限定的なことであるよりは、むしろマチュア・ダンサーでなければ表現できない深みのある作品を、ということではなかっただろうか。ぼくが観た作品の中で、特に冒頭に置かれた「SIGHT」(振付=竹内秀策)は、寺山修司の世界を思わせる倒錯した濃厚な美意識を背景に、やや爛熟気味の身体でこそ表現しうる微妙なニュアンスを網の目のように張りめぐらしたもので、作者のバックグラウンドの豊かさにも圧倒されるようなものであった。
ひるがえって、宝塚歌劇の多くの演出家は、スターの若さや華やかさに依存して、ワンパターンの設定、変化のない趣向に安住していないだろうか。特にショーでは、ただの歌謡ショーのような平板な構成、過去の作品の切り貼りのような構成が時折見られる。芝居でもショーでも、マチュアな素材を生かしきるだけのマチュアな演出家、振付家が何人いるだろうか。高いジャンプ、速いターンを見せていれば観客はため息をつく、そんなダンサーの身体能力に依存するのではない、本当の舞踊作品とは何か、本当に人間の身体表現の魅力を見せることのできる作品とはどのようなものかということを、NDTVは問いかけている。だからキリアンはこれを「カンパニーではなく理念だ」とするのである。
ぼくもまた宝塚歌劇において、専科が一つの高邁なる理念であるべきだと思う。最も近い芝居の例でいえば、「心中・恋の大和路」のOG公演のレベルの高さを思い出す。あのような作品を念頭に、専科のメンバーを中心とした実験的な公演を打てないものだろうかとも思う。何も老人ばかりが出てくる劇をやれというのではない。たとえば「ベルサイユのばら」の外伝として、宮廷を舞台にした緻密な心理劇を、荻田浩一か児玉明子の偏執狂的なこだわりによって作ってみてはどうか。そのようなことが実現すれば、何よりも演出家に対するチャレンジとなり、専科のメンバーが活性化し、現役生も未来に明るい展望を持て、宝塚歌劇の芸術的評価も社会的地位も上がろうというものだ。
付け加えれば、マチュア・ダンサーが正確な技術と深い表現力をフルに発揮できるほどの深みのあるダンスナンバーを作れる振付家を、外部からの起用も含めて採用し、宝塚歌劇のダンサーのレベルの高さを内外に明らかにしてほしい。キリアンは「このプロジェクトは年上のダンサーの為に創られたものではありますが、若い世代の振付やダンスに対する一助になるかもしれないと幾分の皮肉も込めて申し上げます」と結んでいるが、ぼくもまた幾分かの皮肉を込めて、宝塚歌劇とそれをめぐる環境が、マチュアな部分にもっと目を向けてほしいと祈るのだ。