「宝塚アカデミア」連載記事です
19「自らドラマを創る力〜風早優の視点から」
地矢晃の退団公演「バッカスと呼ばれた男」(1999)の千秋楽で、フローベル公爵を演じていた風早優は、ラスト近くのアルザスの妹姫が戻ってきた場面で、盗賊マンドラン(香寿たつき)の手下ガスパールを演じていた地矢に、わざわざ抱きつきに行ったそうだ。千秋楽の楽しみというのは、こういうところにあるのだと知って、なんとしてでも観に行きたかったと思った。なお、この公演を多彩しゅんは、病気で全休したが、その千秋楽の数日後「レビュースペシャル'99」に登場、クリスマスの日にさわやかに退団した。 風早は同期の月影瞳が主演した「Over the Moon」(2001)では、やはり同期の天希かおりと共に、月影の脇を固めた。月影とのデュエットでは、さわやかな笑顔がすばらしかった。皆が必死に涙をこらえているようで、陽性の魅力を持った月影のさよならバウなんだから、涙はご法度だよとでもいった決意が全員に見てとれ、それが逆に深い感動を呼んだ。陽性であることに一番ふさわしいと思われた風早が、一番涙のあふれるのをこらえていたようで、それもせつなかった。 そのように、実にさわやかな笑顔の中に悲しみをたたえて同期生を送り出してきた風早優が、全国ツアーを病気で全日程休演の後、次回公演の集合日付けで退団ということになってしまった。どのような病いが彼女を襲ったのか、などの詳細は明らかでないようだが、ただ、彼女に大劇場で(あるいはどこの劇場でもいいのだが)お別れを言えなかったこと、そして彼女自身もファンにお別れを言えずに去っていくことの心中を思うと、残念でならない。痛恨である。 「ささら笹舟」(2000)で、腰を抜かしそうになりながら全身をふるわせて光秀を討ち取る農民・長兵衛には迫力があった。その迫力というのは、人を殺すことへのおそれ、あるいは逆に殺されるかもしれないというおそれ、大手柄を立てられるかもしれないということへの世俗的な興奮、といった人間の赤裸々な感情を隠したり覆ったりすることなく、人間というものの本質を等身大にきっちりと表現できていたことから押し寄せて来る力だ。このような力を宝塚の舞台で味わうことは、なかなか難しいことだったが、彼女はそれを当たり前のようにやってのける役者であった。 結果的に最後の公演となってしまった「春麗の淡き光に」の虎熊童子でもそうだが、当たり前のタカラジェンヌならそこまで徹底的に表現することのない、地味で風采の上がらない庶民や平民の、みっともなさやどうしようもなさを、臆することなく演技で表現することができていた。そして、ここが重要なところなのだが、そのみっともなさが反転してスパークするようなきらめきを鮮やかに見せることのできる、稀有な存在だった。 風早自身も「宝塚おとめ」で、これまでに演じた役の中では乞食とか酔っ払いとか墓掘り人とかを気に入っていると挙げているが、そういう惨めな設定の役でこそ自由に最大限に発揮できる魅力とは何かということを計算でき、計算どおりに表現できる力を持っていた。 これらは谷正純や植田紳爾の作品だが、やはり谷の「アナジ」(1996。風早は脊振)も、美しく死ぬという「美学」が押し通されていた作品だった。風早もまたそういうドラマが好きだったそうだ。おそらく風早は、風采の上がらない「カッコ悪い」船子が、ある運命的なドラマに見舞われることによって人生に輝きを得、「カッコよく」死んでいけるという逆転を演じることに、演技の理想をおいていたのだろう。それはおそらく演じる側にとっても一種のカタルシスを得ることができたのだろう。ぼく個人の谷の作風への好き嫌いは別にして、谷もよき理解者を得られていたわけで、だからこそ多くの作品を世に出し続けられているのだと思う。感謝すべきだ。 さて、風早について、ついぼくたちはコメディエンヌとしての側面にばかり着目してしまうが、実は黒燕尾が似合う、ダンディな男役でもあったことを忘れてはならない。実はぼくが彼女の二枚目ぶりを初めて認識できたのは、「ICARUS」(一九九八)だった。ただ、その後の公演でも、彼女がダンディに踊っていると、その表情には何か悲しみのような色が漂っているように見えてしかたなかった。居心地が悪いというのではなくて、カッコよさの中には哀愁が漂っていなければならないと、彼女自身固く信じていた、ある種のダンディスムだったのだろうか。 さて、哀愁といえばピエロ、といえば「ノバ・ボサ・ノバ」(1999)である。この舞踊劇のほんの3日間の出来事をすべて見ていたのが、おそらく三人のピエロ(風早、未来優希、蘭香レア)という存在だったと思うのだが、その存在が無言であるというのもまた象徴的だった。ピエロたちはさまざまな悲喜劇(たいていは悲劇だったようだが)を見ても、ただ涙を流すだけの存在だ。ピエロを無力と呼ぶのは、なんだか似つかわしくないような気もするが、特にこの作品におけるピエロの存在を思うと、たしかに国語辞典的な意味合いでいえば「演技の合間に登場して道化を演じる者。滑稽な化粧とだぶだぶの衣装で、おどけたしぐさや無言劇などをする」者であることに違いはないのだが、むしろブリーザが逝ってしまった向こう側からこのカルナバルを見つめる異界の者であるといったほうがふさわしかったのではないか。 ふとこんなことを思ったのも、今宝塚の舞台では会えなくなった風早優という存在から宝塚を見渡してみるとき、ずいぶんこれまでの、いつの間にかぼく自身も陥っていた「スター偏重」の宝塚観とは異なるシルエットが浮かんでくるような気がしたからなのだ。風早という一人の役者の存在は、宝塚の中でもユニークなものだっただけに、彼女を一つの視点として置いて、彼女がどのような演技を、表現を、そして宝塚を大切に思っていたかを探ってみると、宝塚の見え方が違ってくるように思う。 風早はもちろんコメディエンヌとして観客の笑いをとる芝居に長けていた。「虹のナターシャ」の新人公演で箙かおる本役のカメに当たり、本役顔負けのコメディ・センスで観客を沸かせたこともあった。しかし、ここまで振り返ってきたように、彼女の醍醐味は笑われる存在である者が、何かのきっかけで鮮やかな光を放つその瞬間を表現することにあったようだ。このような光は、トップスターからはなかなか放たれることがない。それだけに芝居の筋でいえば脇に回るのだが、このような存在のドラマがきちんと描けていないと、芝居はそれこそお話にならない。近年の宝塚では、新専科制度の導入できっちりとした準トップという存在が見えにくくなっているために、芝居の複線的な流れがやや作りにくくなっていることが懸念される。 つまり、トップスターの輝きの他に、どのような輝きを宝塚は見せられているか、ということだ。谷正純が執拗に死にぎわの美学にこだわるのは、トップスターでなくても、すべての登場人物にドラマがあることをどうしても提示したいからに違いない。その志は買いたい。しかし、「野風の笛」では、主水正(春野寿美礼)のドラマは描けていたのに、肝心の忠輝(轟悠)や五郎八姫(ふづき美世)にドラマは乏しかった。他の作家では、「シニョール・ドン・ファン」(植田景子)は、ロドルフォ(汐風幸)のドラマは深く、レオ(紫吹淳)も陰影のある光彩を放っていた。ジル(映美くらら)のドラマは薄かったが、その分亡き姉のドラマが印象的に語られたのがユニークだった。「傭兵ピエール」(石田昌也)は、ドラマを描くというよりも主要人物の筋をたどる作品だったが、かえって脇役の娼婦ルイーズ(彩乃かなみ)や少女ヴィベット(花影アリス)の切ないドラマが立ち上がっていたのが面白い。「春麗の淡き光に」(植田紳爾)もいろいろと無理はあるものの、保輔(朝海ひかる)の変転を描こうとしていたし、好悪は別として野依知親(未来優希)とその妻・忍(愛耀子)の酷薄なドラマを描いていたと言ってもいい。 主観的な振返りだが、各組の準トップであると思われる瀬奈じゅん、霧矢大夢、水夏希、貴城けいに輝くドラマが与えられていたとは思えない。風早が演じたかったドラマは、もちろんトップや準トップに与えられるようなヒロイックなものであるのではなく、地べたを這いずる者のきらめきであるから、今振り返った中ではルイーズやヴィベット、また野依夫妻のドラマの側に位置しているものだろう。 そうだとしたら、いっそう事態は深刻なのかもしれない。ぼくは再三、同じことばかり訴えているが、準トップのあり方がどんどんやせ細っているのではないだろうか。結局、湖月わたる、彩輝直のトップ就任で若干状況が変わるかもしれないが、これまで専科の位置づけがあいまいなまま、まだ数名「残っている」という状態が続いたため、専科生を各組の公演に配分、そのせいで本来なら組の準トップが務めるべき役を専科生に当てることになる。たとえば、「シニョール・ドン・ファン」に汐風が出ていなければ、ロドルフォは瀬奈が演じていたわけだし(役どころはずいぶん変わっていただろうが)、「春麗の淡き光に」に専科生が出ていたら、頼光は貴城ではなく、専科生が演じていたかもしれない。あるいは、新たに登場人物を増やして、重要な役どころを専科生に当てていたかもしれない。 ぼくが懐かしく思い出すのは、紫苑ゆうが星組でトップだったころのこと、麻路さきが二番手(当時、「準トップ」って言い方は聞いたことがなかったように思うのだが)で、その持ち味、カラーの違いからファン同士なんとなく敵対意識を持っていたりした。芝居では紫苑が白い役なら麻路は黒い役、ショーでは紫苑が歌えば麻路は踊る(歌えなかったせいでもあるが)、とあくまで対抗的に使われもした。おそらくそれによって麻路は多くのことを身につけ、成長した。新専科制度が始まるまでは、そのようにトップが養われ、生まれてきたのではなかったか。トップと二番手が、舞台の上でしのぎを削り、ドラマがどんどん深められ、どんどん輝きが増していった。今、準トップに当たる者たちは、やや置き去りにされ、途方にくれていたりはしないだろうか。 舞台に立つ以上、どんな隅っこの新人にもドラマはある。それは役者自らその想像力によって創り出すものでもあるべきだが、そして風早はよくそれをなし得、演出家たちもそれを知って彼女にそのような役を与えたのだったろう。そういう意味で、風早は幸せなタカラジェンヌだったといえる。自らドラマを創り、演じることのできる、深い魅力をもったタカラジェンヌが、けっして華やかな存在ではなかったが、また一人去ってしまった。その去りぎわもまた、彼女らしくドラマティックであると言えなくもない。願わくは、彼女のような演劇観をもった後輩たちが、次々と続いてくれることを。(2003年8月) |