「宝塚アカデミア」連載記事です

21風、喪失、歌−宝塚歌劇チャリティーコンサート

 宝塚歌劇チャリティーコンサートに行った。その日は午前中どうしても抜けられない仕事をして、宮本隆司という写真家の展示を観て、東遊園地へ行こうかと思ったが、この日そこへ思いつきで行くものではないと考え直して、よした。

 宮本隆司は、『建築の黙示録』という写真集で土門拳賞をとったひじょうに魅力的な写真家で、彼が震災のあと十日後に神戸に入って写した写真を、ほぼ原寸大に引き伸ばしたものを四面に吊るした衝撃力の大きな展示だった。九六年のベネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受け、東京では展示の機会があったが、神戸では初の展示であったという。薄暗く天井の高い倉庫のような部屋での展示で、立体的なジオラマより平面である写真のほうが、また現実に近いカラー写真より色を捨て去ったモノクロ写真のほうが、人を引き込む力が大きいのではないかとも思われた。神戸芸術工科大学を会場としていたので、入れ替わり立ち替わり学生が観に来たが、写真そのもののことより震災のことを語り始める者もいて、その一室が外とは異なる時空を持っているようだった。

 チャリティーコンサートへは、誘われて行った。宝塚でそのような種類の催しをやっても、どうせ皮相的な歌謡ショーに終わり、幻滅するだけではないかと思っていたので、ちょっと勇気がいった。公演時間も一時間程度と聞いていたし、入口で渡されたプログラムを見ると、はたして一人一曲ずつ歌う題名が並べられていて、えらく淡々としたものだなと思った。

 ミラーボールに当たった青い光が劇場の壁全体に広がり、美しかった。彩輝直、和央ようか、湖月わたるが歌う「見上げてごらん夜の星を」は、けっして三人ともうまくないとはいえ、和央の歌声のささくれ方がいいなと、珍しくそう思った。大階段には「1・17」とライティングされ、そんなことわかっているのに、と少しいらだたしく思った。司会の未沙のえる出雲綾があらわれ、ひとしきり最近相次いでいる災害について一般的なことを言ったあと、「私たちができることは、歌って、踊ることだけですお客様にもいろいろな思いがあることと思います」と、全員で黙祷を捧げることになった。ちょっと驚いたが、起立して黙って目を閉じた。

 考えてみれば、宝塚大劇場に無音の数十秒という時間が流れるのは、たいへん珍しいことではなかったか。地震の瞬間から三月三一日に星組の『国境のない地図』で再開するまでの二ヵ月半、無音の状態が続いたのだと、すぐに気づきはするのだが。

 ところが、そんなセンチメンタルな思いがカラリとひっくり返るのもなかなか面白いものだ。花組「哀しみのコルドバ」公演中であった未沙のえるが、地震直後の大劇場に入ると、火災報知器の「避難してください、避難してください」という機械音声が流れていたという。現実というものの微妙なユーモアと凄絶さをありありと表現する、絶妙なエピソードだったと思う。

 出雲綾の自宅が半壊となり、建て替える間しばらく仮設住宅に身を寄せていたというのも驚きだった。もちろん彼女自身が控え目に言うとおり、まだましなほうだったとかいろいろ言う人もいるかもしれないが、客席から小さくない驚きの声が上がったように、タカラジェンヌというイメージと仮設住宅というものの距離感は、ものすごく大きなものだ。震災のあとの奇妙な連帯感の発生を思い出すこともできた。

 チャリティコンサートの実施自体、宝塚歌劇団の歴史上初めてだという。新聞によると、この日の収益金約1000万円が日本赤十字社を通じて寄付されたという。単純に計算して観客一人当たり四〇〇〇円程度となるから、この種のチャリティイベントとしては破格に高い「寄付率」だったのではないだろうか。舞台上で小林公一新理事長が日赤の関係者に目録を渡すというセレモニーもあった。もちろん悪いことではなかった。きっとこの新理事長の強い意向によって開かれたコンサートだったのだろうと思われた。

 彩乃かなみが中心になって「千の風になって」を歌った。この詩のことは新聞か何かで読んで知ってはいたが、歌として聞いたのは初めてだった。不覚にも泣いた。きっと冒頭の黙祷のせいだ。そのせいで、すべての歌の言葉の一つ一つが、具体的な死者を悼む言葉として、震災によって何らかの形で傷ついた人々(ぼくたち)を癒すための言葉として深く貫いた。ここまでそのように貫かれてきて、とどめを刺すように「千の風になって」が来た。私の墓の前では泣かないでほしい、そこには私はいない、私は千の風になってあなたを見守っている……そんな意味の、死んだ者からの言葉が届いた。この歌詞の「私」は、多くの人にとって具体的な顔を思い浮かべることのできる存在となっていただろう。

 それにしても、彩乃の歌声がどれほどすばらしかったことか。技術ではなく、もともとの声質によるとしか言いようがないのかもしれないが、やわらかい布で聴く者の存在のすべてをおおって包み込んでしまうようだった。いや、布というような物質ではなく、その声自体が「風」だったと言っていい。

何かが風であるとはどのようなことなのか。キリスト教で言う聖霊はプネウマと呼ばれ、絵画などではたいてい息や風で表わされる。人の心や意思や霊魂は、目には見えないが昔から確実に存在するものと信じられていたから、目に見えないが肌には確かに感じられる風と同様のものとして表現されたわけだ。だから、見えないが確かに存在するとしか思えないもの、見えないがそこに確かに存在すると思わずにはおれないものが、風として表現されることが多かったことはうなずける。死んでしまった愛する者とは、遺された者にとってそのようなものだ。今は目には見えないが、もう存在しないものとは思えない、思いたくない存在。そしてそれが彩乃の歌声のようだったと思えるいうことは、彩乃の歌声は現実の存在を超えて、人々の祈りや願いといった目に見えないものと直結する何ものかを帯びていたということだ。

 回りくどい言い方をしているかもしれないが、彩乃の歌声からは、どんな高音においても硬さが感じられないことが、たいへん大きな特徴である。そしてこの歌が優れているのは、テンポのよい長調であることだ。これは作曲には五分もかからなかったという新井満の功績である。やわらかさそのものであるような声が長調の明るさをもちながら、亡くなった者の一人称によって聞こえてくるということは、亡くなった者が遺された者に対して明るく呼びかけているんだよ、というメッセージである。その上、彩乃のこの上なくやわらかい声によって、軽い微笑をたたえて歌われ、単純だがやわらかい動きの振付によって見せられるから、遺された者はこの歌によって限りなく癒されることになる。そしてこの日の大劇場では、少なからぬ割合で観客は震災で亡くなった者のことを、または震災で愛する者を失った者に思いをはせていた。

 本当はここで終わってもよかったぐらいで、ぼくとしてもここで終わりたいのだが、もう一つこの日の舞台で気がついたことを書き留めておかざるをえない。それは『国境のない地図』の挿入歌「風になりたい」の歌われ方についてである。

 またしても風である。念のために確認しておくと、この作品は震災の年に大劇場復旧第一作として行われた星組公演の一本物であった。麻路さきがこれでトップに就任したこともあり、ぼくは初日の三月三一日に観ることができた。ベルリンの壁の向こう側から西側へ逃走しようと計画する恋人を待っている麻路、そこへサイレンの音と銃声が鳴り響く。そこで流れる曲である。この曲の歌い出し「かぜになりたい」という歌詞を、麻路はk音を強調し、ひじょうに強く歌った。しかし以前聞いたときもそうだったような気がするのだが、今は左のような具合に譜割を変えて歌われている(「/」は小節の区切り)。

  麻路   かーーーーぜにーーなりた/いーーー

  今  か/ぜーーーーになーりーたー/いーーー

 麻路は小説の頭に「か」という強い音を持ってきて、三連符(実際は八分の一二拍子なので、八分音符)で「なりた」と畳みかけて歌ったのに対し、今回も和央ようか、湖月わたる、彩輝直は、アウフタクトにして「か」の音を装飾的に使い、「なーりーたー」も二分の三連符(同じく四分音符)に伸ばしたので、思いのこめられた時間が弛緩し、風になりたい気持ちがゆるいような歌い方になった。このようなゆるさは、この曲全体に加わっているように思われた。

 もし再演したとしても、劇の中なら、このような歌い方にはならなかったのではなかったか。特に湖月はこの新人公演の主役も務めたわけだし、この劇とこの曲の空気は深く身にしみてわかっていたはずだ。この方が歌いやすいという判断によるのか、作品としてこのようにしたほうが完成度が高まるという判断があったのかはわからないが、ぼくにはこれは一種の風化ではないかと思われた。

 『国境のない地図』という作品の出来はともかく、あの「風になりたい」には、歌を苦手とした麻路ならではの、棒を突っ込むような歌い方を生かした強い魅力があった。あの状況で歌われるからこそ、そのような歌われ方がふさわしかった。ベルリンの壁という、個人の力ではどうしようもない現実に隔たれて、それでも近づこうとする二人。やっと光明が見えかけたときに事態は急転する。歌は「あの人に会えるなら、どんな犠牲もいといはしない」と続いている。このとき風になりたいと思ったのは、既に絶命したはずの女のほうでもあり、生きて希望を持っていたときの女でもあり、遺された男でもある。震災からわずか一ヶ月半、想像を絶する事態を、まるで口から棒を突っ込むように経験させられた人々にとって、「風になりたい」という願いは強い一人称で歌われるものだった。それが十年後に歌われるときには、棒のような強さは失われていた。風化だと思った。

 風化などと、うっかりまた「風」という字を使った。風化とは岩石などが風によって劣化するさまをいう。さて、もしも風が、ゆっくりと劣化することを助けてくれるのであれば、どうだろう、それはかえって幸せなことだともいえないか。十年かけて、やっとここまで生々しさが消え、少し忘れられるようになりました、と呟く人がいたら、口ごもりながらも「よかったですね」という気持ちになりはしないか。風になることには、そのようにゆっくりと癒し、忘れさせてくれるという効能もあるのかもしれない。それもまた、歌の力だと思う。彩乃の歌からもっとも強く歌の力を感じさせられたチャリティーコンサートだった。(2005.2)


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