山下 残
'70、大阪生まれ。'89、モダンダンス、クラシックバレエを学ぶ。'94からダンサー、演出家として活動。主な作品に「詩の朗読」「ファミリー」「マラカスをふりまわしたら歌ができた」「空の音」「満州の思い出」。
ダンスを揺らすための言葉〜山下残を読み込むためのメモ
山下残は、何をしようとしているのか? 彼の作品にとって、言葉が不可欠のものであるように見える。一般にダンスにとって言葉は剰余のものである。ダンスは言語を使わずに「表現」することを自明としてきたし、パントマイムのような非言語である身体言語に対しても一線を画してきた。ダンスで言葉を使うことは、いわば禁じ手、それだけに一発逆転の効果を期待することはできる。
ところが彼は、初期から作品の中に、歌ったりつぶやいたりすることを当然のことのように取り入れてきた。だから彼はダンサーであるよりもパフォーマーであるように思われ、実は初めの頃ぼくもそう誤認していた。彼の表現にとってダンスは目的ではなく、手段であるか、さらに手段としても中心的な位置を占めているわけではないと思われた。
そんな彼の、おそらく最初に大きく評価の分かれた作品が、「満州の思い出」(2000年6月)だっただろう。この作品で彼は、第二次大戦当時祖父が書いた、兵隊さんの働きをたたえた少国民向けの作品を朗読させ、ガスマスクをかぶった姿などで、戦争というものを、それが現実であれ虚構であれ、はっきりと提示した。そのことに対してまずぼくたちは、立場を明確にすることがひじょうに難しかった。戦争に対して、戦争を扱うことに対して、言葉を使うことに対して、ダンスの比重が小さく見えることに対して、そんなふうに判断なり批評なりを迫られるポイントがあまりにたくさんあって、どれに対しても迂闊に意見を表明することがはばかられ、結局首をひねりながら沈黙してしまわざるを得ない、そんな作品だった。当時ぼくは、やはり手探りで中途半端な解釈ながらも、このような見せ方について「手っ取り早い」とし、もしこれを「遠まわしに比喩的に表現したら、かえって馬鹿げていると思ったかもしれない」とした上で、その手っ取り早さの向こう側に、山下自身の祖父へのアンビバレントな思いがそのまま提出され、それが空間を柔らかくしたのではないかと評価した。要するに簡単に判断なり批評なり説明ができるようなことなら、山下は言葉だけで語ればよかったのだが、山下自身にとってもノドにつっかえて飲み込みようのない事柄であるものを提示したのであって、その飲み込みようのなさを共有させてくれたということが魅力的だったと言いたかったのだ。
ぼくたちは無意識に、ダンスを観るということについて、ダンスという限定されたものを観るような気になっているのではないか。しかし山下の作品はそうではなくて、ダンスというものが「全体である」ということについて、無頓着で不器用なふりをしながら、周到に回答する姿勢を用意しているようだ。それは、ダンスとダンス以外のものによって一つの全体性を獲得するというよりも、ダンス以外のものを使ってダンスが全体であることを示すという、やや回りくどい方法であるように思える。
それは「そこに書いてある」(2002年3月)ではっきりと見ることができた。ここでは言葉と身体の動きが追いつ追われつし、観客は、書かれた言葉の通りにダンサーたちが動くのを見て笑う。一見すると幼稚なお遊戯のように見えているが、ここでも言葉と動きは、一見表面的には意味するものと意味されるものという対応関係を築きながら、一対一関係にはとどまらずにあふれてしまうものを見せられていることが、最後にはわかる。
彼は言葉を使うことで、ダンスを豊かにしようというよりも、まずは目に見える状態から引き離し、宙ぶらりんにすることに成功してきた。ダンスを豊かにすることと、宙ぶらりんにすることは、表現の方向性として逆行するのではなく、ちょうど「耳うち」の一つのシーンで指示されていたように、遠くで直交する働きのように思える。ダンス作品の中で言葉を使うことは、一見するとその表現される意味を固定化してしまうように思えるが、実は逆に言葉の存在によって、身体の動きと空間の広がりと時間の流れと言葉によって語られる意味との三者が、どんどん分裂して相対化されてしまう。それをぼくはここで宙ぶらりんと呼んでみる。
さて、宙ぶらりんになることでダンスがどうなるかをもう少し丁寧に考えてみよう。ダンスは、基本的に言語と一対一対応をしない。音楽だって絵画だってそうだし、実は言語だって、自明のことだが、指示されている内容からどんどんあふれ出ていくものだ。そして、言語と対応しない部分にこそダンスがダンスであることの意味がある。だから、ダンスに言語を提示することによって、実はダンスが言語と対応しない部分を鮮やかにくっきり浮かび上がらせることになる。「トンネル」という言葉を示されて、一人のダンサーが向こうを向いて足を広げて前屈、両膝に手を当てる。足がトンネル状になるのを観て、ひとしきりぼくたちは笑うが、その格好から、あるいは幼い頃の遊びを思い出すかもしれないし、天の橋立の股のぞきを思い出すかもしれない。そのような想起の装置としてではなく、ダンサーがそのような格好をすること自体を奇妙なことだなと思うかもしれない。いずれにせよぼくたちは、そこで「トンネルというものが示されている」とは思わない仕掛けになっているのだ。
山下は決してダンスを奉ってはいない。むしろ、ダンスを叩いて削ぎ落として、ダンスがダンスでなければならない絶対的な地点をあぶり出すために、ダンスそのものを揺らして邪魔なものを剥がしてしまう様々な仕掛けを用意しているのだ。その一つが、言葉であることに思いいたる。ダンスにとって言葉は剰余であると思えるが、剰余によって逆に剰余を削ぎ落とす装置になるのだから、面白い。
そして彼は、言葉以外にももう一つ剰余を獲得したようだ。それが「耳うち」(2003年9月)で活躍した、ワークショップに参加したメンバーである。彼らを仮に素人であるとすると、素人の身体とはどのようなものであるか? もちろんこの素人というのもなかなか侮りがたくて、中にはそこそこ名の知れた役者がいたり、またそこそこのダンサーが他流試合さながら顔を出したりしているから一概には語れないのだが、まあ一般に、ダンスする身体としては過剰なものを抱えているものである。役者の身体は、舞台に立つと何かしら物語ろうとする。素人の身体は、物理的にも贅肉を抱えていたりするが、照れやいたたまれなさ、居心地の悪さを抱えていたりすることが多く、それをまた振りきろうとする分、奇妙な高揚が生まれたりする。それら過剰なものをそのまま受け入れて表現していこうとするのか、何とか過剰さの量を減らして削ぎ落としていこうとするのかで、ダンスのタイプはかなり変わってくると言えるだろう。
山下はワークショップのメンバーを抱え込むことでその仕掛けを思いついたのではなく、そもそもそんな素人らしさを意識的にか、やむをえずか見せることで、オリジナリティを発揮してきた。今回「耳うち」でそのことが大変わかりやすい形で明らかになったわけだが、他人の身体を経由して作品をプロデュースすることで彼自身の作品の成り立ちをわかりやすく示すことになったのは面白い。「そこに書いてある」の公演の後だったが、彼は「次は踊りまくりますよ」というようなことを言っていた覚えがあるが、次の彼にとって、自分自身が「踊る」ということはどのような意味に変質しているのだろうか。何らかの仕掛けを設けることで踊りそのものの本質へ鋭く切り込もうという試みを繰り返してきた彼にとって、踊りは剰余を削ぎ落とす方向の中にある「何ものかではない」のではなく、削ぎ落とした後に残った「何ものかである」ことが獲得されているのだとしたら、何だかものすごいものを見せてもらえそうな気がする。(2003年12月3日)
存在から言葉を剥がす〜山下残「そこに書いてある」
ぼくはダンスでも演劇でも、観ながらメモをとっている。覚えていられないからというのが正直なところとはいえ、観ている最中の、同じ場所、同じ時間にぼくの中に湧き起こる感情や言葉を重んじたいという気持ちがある。小さな動きや言葉によって生じる小さな変化を忘れないでおきたい、そのような微細な反応の積み重ねによって作品全体の評価が定まってくるのだ、と思ってもいる。ただし、このことに自分でも一抹の不安はある。観るという体験をほとんど逐次的に言葉に変換することで、その体験の言葉にできない部分についての咀嚼が、著しく阻害されてしまうのではないかという不安である。
さて、ダンスは一般的に、言語化がひじょうに困難であるとされている。ダンサーの側からすれば、言葉にできないから踊るんだ、ということだろうし、それを受け取る観る側にとっても、事情はたいして変わらない。
山下残は「そこに書いてある」(3月10日、アイホール)で、分厚い冊子を来場者全員に配布し、それを1枚1枚めくらせ<そこに書いてある>言葉をなぞる形で作品を進行させた。身体は確かに言葉をなぞっていた。「トンネル」と書いてあれば、宮北裕美が足を広げて立ってみせる、なるほど股くぐりで、トンネルね! というような素直な喩法によって、ぼくたちは失笑ともつかぬ笑いを洩らすことになる。舞台の袖に出場者の内の誰かが立って、冊子のページ番号を読んで観客に指示していくのだが、そのタイミングが少しずれていて、動きのほうが少し早いために、ぼくたちは動きから言葉を類推したりして、その後で言葉によって動きを定着することになるのが、面白い。
この作品の一つのピークは、西嶋直子がたまたま9月11日にニューヨークで例の同時テロに居合せたエピソード(というと軽々しいが)を語るシーンである。山下のくだらない駄洒落から始まる、ぼけとツッコミの漫才みたいな展開である。たとえば西嶋が事態を把握した後に「何か、せな」と言うと、山下が「お前も何かせえ」と言う、というように。ここで観客は笑ったりもするのだが、この観客の反応は、そこで語られている内容に対する反応ではなくて、その語り口、口調に対する反応であることに注意しなければならない。つまり、山下のばかばかしいツッコミは、内容から表層を剥離させるための仕掛けである。
そして実はこれと同じ仕掛けは、この公演に一貫して流れていたのではなかったか。身体が動き、言葉が提示され、ぼくたちはその言葉の中に動きを封じ込めようとするが、そこにはどうしたって、ずれやあふれや抜けがあって、言葉ではとどめられない感情のようなものが徐々に薄く堆積し、やがてそれは強い感情の奔流となって、終末を思わせる9、8、7、というページ数のカウントダウンに続き、山下はアーッと、意味不明の絶叫を続けるのだった。
やはり、言葉には、おさまらなかったのだ。(PAN Press、2002年5月)
そこから、言葉ではない場所になって
ダンスを見ていて退屈だなと思った時、無理して集中しようとか強引にでも美点を探そうとか、そういった「努力」はしないことにしている。もちろん体調が悪かったり仕事で気になることがあったりして、どうにも集中力が続かないことはあるが、作品に力があれば、きちんとぼくを引き寄せてくれるものだと信じて、退屈さやつまらなさに身を任せておくことにしている。
山下残の「満州の思い出」(2000年6月5日、トリイホール)は、何とも評価の難しい、居心地の悪い作品だった。彼の祖父が戦時中に書いたとされる「兵隊さん」の働きをたたえた少国民向けの講話(?)のナレーションが、冒頭をはじめ随所に挿入される。そして彼らはガスマスクを着けて出てくる。まず、身体表現作品としては、言葉の占める割合が大きすぎたように思える。その上、言葉や視覚で訴えられる内容が、ただの物語とは言えない剣呑さをもっている。身体表現としての見せ場がなかなか始まらないことと併せて、ぼくはかなり苛立った。
しかし考えてみれば、戦争のこと、戦時中に自分の祖父がそれに関わっていたことを提示するには、このような見せ方が手っ取り早かったことは確かだ。それを遠まわしに比喩的に表現したら、かえって馬鹿げていると思ったかもしれない。だから、ここでぼくが見なければいけなかったのは、この手っ取り早さの向こうに開けてくるものだったはずだ。
果たして、何瞬かの苛立ちの後に、男が女を包み込むようにして被さるという動作が繰り返され、突然空気が柔らかくなった。ここで注意しておきたいのは、ぼくはこの時、決して言葉として「人が人を包んでいる」ことを認識した結果として空気が柔らかくなったと思ったのではなかったことだ。すべての流れがごく自然に、そのようにして和らげられることになっていたかのようだった。それを癒しとか赦しとか償いと括って呼ぶことはできない。そのような呼び方のできる種類の行為であるなら、最後まで言葉を使えばよかった。
おそらく山下は、祖父の戦時中のあり方へのアンビバレントな思いを、自分でもよく把握・咀嚼できないまま、彼の文章を読み、聞くことを繰り返し、そこから生じた動きをそのまま提出してくれたのではなかったか。それが結果的に空気を柔らかくし、ぼくを強く引き寄せた。
京都の暑い夏インターナショナル・コンテンポラリー・ダンス・セッションの「Edge」(5月9日、Art Complex 1928)では、フレイ・ファウストというダンサーを初めて見た。「Loose Leaf」はゴールドベルク変奏曲を用いた作品で、動きは速くまた大胆なのだが、身体の基線はゆるやかに重しのように流れている。その大河の流れのような動きに魅了された。しなり、バネ、硬さ、などの配置も、楽曲の解釈として、おそらくは素晴らしい屹立だと言えるのだろう。
同じく「Edge」でヴィンセント・セクワティ・マントソーは、「BARENA」で自らの中に脈々と流れる民族としてのリズム、動きを実に印象的に、史実に基づいた物語のようにヴィヴィッドに理解させてくれた。
ファウストもマントソーも、きちんと言語化された部分があり、そのうえにダンスとしての身体の魅力が構築されていた。翻って、山下の作品は、グジュグジュだ。マントソーによってクリアに理解し認識させられたことと、冒頭にふれた山下から提示された不明な柔らかさとを改めて思い返すと、しかしぼくは不明さに寄り添っていきたいなと思うのだった。(「PAN Press」)
山下残という奇妙なダンサーがいる。人によっては彼の動きをダンスと認めないかもしれない。以前、マラカスを両手に、歌とも呼べない言葉を吹き出しながらピョンピョンと体操したり走ったりしていたのを見たことがあったが、そんな彼のダンス公演「空の音」が、2月7日に京都のスペースイサン東福寺で行なわれた。決して「よく動いている」わけではない。シャープというのとはほど遠い生真面目な身体が創り上げる世界からは、一見ホンワカとしていながら、のっぴきならない覚悟のようなものが見えてくる。
彼は、かっこよく動かないことを、自分に課しているのではないか。シャープにかっこよく動くことで、自分の中から何かが失われることになる。だからせっかくの長い腕もシャキッと伸ばさず、ダイナミックな回転でしならせたりせず、華麗なステップを踏まず、ためらいがちなお遊戯か体操めいたしぐさで時間を埋めていく。
そのことでどのような空気が醸し出されるかを、彼はよく知っていて、譲らない。仮構された甘いやさしさに身を委ね、ぼくたちを包み込むことで、はかなくかすかな共同体(座とでも呼んでおこうか)を組み立てる。休憩時間には茶菓子まで出してくれる。観客を圧倒しないこと、疎らな空間を作ることで生じる、ちょっとした浮遊感(ちょっとモジモジするような居心地の悪さ〜でもすぐなじんじゃう)を楽しむことができる。ぼくはこんな甘やかな世界が本当にはないことも痛感する。山下残という一人の表現者が、実は底に深い諦念をたたえているのではないかと思う所以である。(季刊ダンサート No.14 1999.5)
見えないものを見るためのプロセス
山下残が、スペースイサン東福寺で上演した「空の音」をTORII HALLで再演する。あのほっこりしたやわらかな世界が、どのように再現されるのか。
Y 踊りっていうものは、音に合わすもんやと思ってるんですよ。無音ということも含めて、音楽に合わせる形でからだがあるというのが、ぼくの踊りじゃないかなぁと思っていて。
J 音楽というと、ピアニカとかトイピアノとか、太鼓……。いろんなおもちゃを使われますね。電気楽器を使うとか、グランドピアノ入れてこようとか、そういうことは考えないんでしょうか?
Y あまりないですね。それはもう全体的にそうで、なるべく、照明を始めたての人とか、音響も、いわゆるプロと一緒にやりたくないとか、ぼくにとっては、でき上がったものというより、プロセスが大事なんです。
さて、プロセスであることを重視したあのような成立ちの作品を、再演するということは一体どういうことなんだろう。「場」の形成を重要な要素とする作品を再演するということで、何がマチュアになり、高められていくのかが、よく見えてこない。
J プロセスの、そういう雰囲気を大事にされてる部分が、作品にどう現われると思われますか。
Y 舞台っていうものは視覚的な技術ではなくて、時間とかそういうものをじわっと感じるものやと思うんです。ここに立つまでにどういう時間が流れてたのかとか。そうしてでき上がったものがきれいでピカピカなもんやと、なんかぼくはその、なんていうか、ちょっと失われるんやないかと思ってるんです。
やはりプロセスが強調される。作品は、プロセスにとって、何なのだろうか。
Y 作品って、本番を終えるとみんなでバラシてああ終わったなぁって、何も残らない。でもプロセスっていうのはずーっと残るんですよね。プロセスは常に継続してるつもりです。プロセス自体は、作品を作り始めた時からずっと続いてる。今度はそれに加えて、でき上がったものをもう一回やるっていうことはどういうことなのか、っていうことなんですね。
J 再演っていうと、パフォーマンスとしての完成度を高めていくことじゃないかと思いますけど、残さんの場合、初演より完成度が高まると言えるんでしょうか。完成度ということが一つの目標としてあるのかどうか、ということも含めて。
Y ぼくの完成度というのと、観る人の思う完成度というのとが合ってるのかどうかは、ちょっとわからないですけど。でも確かに完成度っていう言葉だけをとれば、絶対に前よりは高いものを目指してますね。動きにもっと気持ちが入ってるとか、そのへんのことかなぁ。
J 気持ちねえ。
Y 初演では動きを一生懸命追うだけで、気持ちがついていってない部分があったんですよ。ぼくはあれ以上に動きを速めるとか動きの要素を増やすということに興味はないんですけど、動き一つ一つに気持ちが込めれるように、と。
プロセス、気持ち……。目に見えないものをこそ見るために、再び足を運ぼうと思っている。
(1999年6月。京都、四条河原町「築地」でのインタビューを元に構成、「劇の宇宙」に掲載) インタビュー詳細は、こちら
四条高瀬川を下った5th
spaceで山下残。DANCE
CIRCUSで何度かそのユニークなマラカス踊りに度肝を抜かれた山下の本格的なステージを一度見てみたいと思っていた。見たことがない多くの人に一応説明するが、痩躯長身の彼が両手のマラカスを適当に振りながら、ちょっと投げやりな様子でごくありふれた日常的なことをいい加減に歌い、時折飛んだり跳ねたり、でんぐりがえりをしたりする。DANCE
CIRCUSでは、15分程度でそれが終わる。背骨の関節をずらしたような、色物とでも呼ぶしかないような「パフォーマンス」だが、その外し方に妙な魅力があって、簡単に片づけることができない。
今回のステージは、彼と女と子供たちがマラカスを持って海辺や原っぱや草原や家の中やで戯れている様子を写したスライドと、彼のちょっとタガをはずしたようなパフォーマンスで進行。昔の鈴木志郎康(詩人)だったら「極私的」というだろうそれらのスライドと、それをベースにした「ヘタウマ」(死語?)なパフォーマンスの提示が、一種の覚悟を思わせて、印象的ではあった。(1997年5月18日)