「宝塚アカデミア」連載記事です

1「星組の脇役たちが織りなす『エリザベート』」、2「にんの人の名場面――海峡ひろきの勝海舟」、3「優雅さはどこからくるのだろうか?」、4「娘役の誕生と再生」、5「『華』はどこへいった?」、6「花總まりの涙」、7「祭りのさなかに起きること――ノバ・ボサ・ノバとCrossroad」、8「舞台という夢魔」、9「レビューする心」、10「もう『生徒』とは呼ばない」、11「『マチュア』ゆえの魅力とチャレンジ」、12「「この思い、届いていますか?」」、13「唇を合わせないキス――倒錯のないベルばら」、14「あえかな美意識」

唇を合わせないキス――倒錯のないベルばら(スポットが消えたあとで13

 宙組の「ベルサイユのばら」を、彩輝直のアンドレ、水夏希のオスカルの最終回に観た。フィナーレで再び幕が上がり、それぞれアンドレとして、オスカルとしての最後に当たっての感懐、また明後日からはそれぞれがオスカルをアンドレを演じるに当たっての抱負のような発言があって、観客は拍手をしたのだが、さぁ、再び音楽が流れてスターが銀橋に歩き始めた時には、客席から息を呑むような悲鳴が聞こえた。「やればできるやんか」とも思ったし、レストランのカレーライスが特別割引になっていたことも含めて、やはり連日満員ということで劇団はずいぶん気をよくしているのかなと思ったりもした。大入り袋が出ていたかもしれない。

何日か後、彩輝オスカル、水アンドレを観た。数日前までオスカルに捧げる愛に耐えていた彩輝が、みごとな金髪となって「女であること」に揺れている。なんとみごとな転換であろう。ここにはもちろん複数の性の入替えがあるわけだが、やはり宝塚の醍醐味は交換された性にあると、再認識した。両方の役を演じることで、二人とも役の彫り込みがずっと深くなったはずだし、この劇自体への理解と愛着が強まっただろう。

改めて言うまでもないが、女性が男性を演じる宝塚、男性が女性を演じる歌舞伎の面白みは、まずそのことによって男性はより男性らしく、女性はより女性らしくと、ステレオタイプまたは理想形としての「らしさ」を具現化しようとするところにある。ここには、疑似的にせよ恋愛感情に身を委ねることについての、同性であるゆえの一見の安心感もあるだろうか。一見のというのは、本当は同性によって演じられる性愛表現のほうが倒錯的であるに決まっているからだ。

さて、シアター・ドラマシティという劇場が奇妙なのは、都会の真ん中の商業劇場である割には、花組芝居、Studio Lifeと、どうも同性だけで演じられる劇団に意識的にか力を入れて上演しているらしいところだ。このような都市的で耽美的な、美意識のきつい劇団に、そこそこ(中劇場が満席近くなる程度)客が集まる、そういう状況ではあるのだろう。

六月に入ってStudio Lifeの「死の泉」(原作=皆川博子)を観たが、前公演の「トーマの心臓」と比べて魅力的だと思ったのは、一つには男優が演じた女性、具体的には岩崎大が演じたマルガレーテがひじょうによかったことだ。詳細は端折らざるをえないが、中でも観ていてこちらの体温が上がったのは、神経を病んでしまったマルガレーテが<現在または未来>と<過去>とに引き裂かれそうになり、その揚句ラストに死ぬために戻ってきて、養子フランツ(笠原浩夫)と抱擁、接吻を交わす場面だった。もちろん現実には男どうしである。花道を走ってくるマルガレーテの速さは、男性ならではと思われたし、その速さが劇の緊迫を物語って、素晴らしかった。

率直に言って、前公演「トーマの心臓」を観た時には、彼らが男だけで劇を上演する必然性がよくわからなかった。もちろんこの作品はギムナジウムを舞台とするものだから、登場人物のほとんどは男子学生で、女性はあまりあらわれないから、違和感はあまりない。しかしやはり何人かの女性をこの劇団の男優が「女装」して演じることについては、多少違和感というか、滑稽な感じさえしないでもなかった。

ところが、「死の泉」という、ナチス・ドイツ下の優生思想、それに類似するカストラート(去勢によって実現される男声ソプラノ)生成への歪んだ欲望、ナチスが優れた人種として認めたアーリアン以外の人々の悲哀と愛と裏切りの物語といった、常識や良識といったものが極端まで激しく曲がりくねってしまった世界や時代においては、かえって性の逆転や混交が、違和感を与えないばかりか、逆にその歪んだ世界の中で彼ないし彼女が屹立する存在であるためにはふさわしいありようであるようにさえ思えたのだった。彼らが男性だけであることを必要としたのは、歪み倒錯した時代における最後の真実を描き出すための必然であったのだと、深く感じ入ることができた。

もちろん、劇団としての彼らがあらかじめ片寄った性別構成をもっているということで、倒錯した世界を描きやすいということはある。花組芝居は、やはり泉鏡花等の絢爛たる美意識に満ちた世界を描くのを得意とする。そもそもの倒錯性によって、異界に入り込むための仕掛けが、小さくて済んでいるといってもいいだろうが、Studio Lifeや花組芝居が倒錯しているように思えるのは、彼らがある美意識に強く固執し、執拗に描き続けているからに他ならない。これらの劇を数多く上演するシアター・ドラマシティは、都市の中心にありながら、いや、それゆえに、かぶいた存在でもあることを巧妙にアピールしているようで、それ自身、奇妙な異界であるともいえるのかもしれない。

さて、宝塚歌劇が「清く正しく美しく」というテーゼに守られた存在であり続けるのは、本当はずいぶん無理のあることではないのか。たとえばStudio Lifeや花組芝居の役者たちは、接吻のシーンできちんと(というのも妙だが)唇を合わせている。「トーマの心臓」における男子学生どうしの接吻でも、もちろん同様である。それがいわば演劇的必然であるし、逆に彼らがそのシーンで、顔を近づけて傾けるだけで「回避」すれば、おそらく観る者は憮然を通り越して、こんな「おままごと」を観に来たのではないと怒るだろう。

しかしぼくたちは、宝塚歌劇に、唇の触れ合わない接吻というものを許している。それによってぼくたちも劇団も劇団員も、「大丈夫だから」と留保することができている。いくつものそのようなことが「すみれコード」と通称されて宝塚歌劇というものを作り上げているわけだ。そのため、宝塚歌劇は、一見の安心感に留まってしまうことになる。

宝塚歌劇に、花組芝居やStudio Lifeに拮抗するような美学があるか。もちろん作家によっても異なるし、作品によっても濃淡はある。しかしながら、美学というものが、それを守るために多くのものを犠牲にしなければいけないものであるとすれば、宝塚歌劇は貪欲すぎる。何といっても劇場が大きすぎる。あまりに強い美学を強調してしまえば、二千人の劇場は成立しないだろう。劇団員も多すぎるし、公演回数も多すぎる。そもそもが健全な娯楽をしか目指していなかった。宝塚歌劇は尖鋭的である必要はない。あらゆる意味で微温的であらざるをえない。

オスカルとアンドレに戻ろう。改めて確認するまでもなく、オスカルは女性であるが、王妃を守るために、軍服を着けている時は近衛士官として男であると自己規定している一方、女としてはフェルゼンに叶わぬ思いを寄せている。時代設定は、革命前夜である。オスカルの設定自体を、王政の頽廃と爛熟した宮廷の文化状況の所産と解釈するのが妥当だといえよう。そうなると、本来「ベルサイユのばら」の舞台化は、強い美意識によって歪み倒錯した世界を描くことであってよかった。革命前夜という緊迫した時代背景の下で、王宮に展開する複雑な恋愛関係。その中で大きな位置を占めているのは男装の麗人である……というのだから。

それが決して倒錯した美学に基づいた世界とならなかったのは、既に述べたような宝塚歌劇がそもそももっている健全さによる。それでも、そこからあふれるように零れ出てしまった倒錯性というものがあって、それがこの宙組公演では彩輝と水の役替わりであるように思えたのだった。

ベルばら初体験のぼくにとって、正直に言うとこの公演はいささか拍子抜けの感があった。いくつものドラマティックなシーンや人物がちりばめられているにもかかわらず、その多くがあっさりと流れてしまったこと、いくつもの重要なモチーフが、伏線もなく放り出されていること、モンゼット、シッシーナと名付けられた意味不明な存在、群衆処理の中途半端さ、何よりもフェルゼンの冷静沈着な薄さ……。家に帰って細君から星組/日向薫のフェルゼンのビデオを見せられ、刈り取られた多くのシーンやセリフに得心し、今回の公演は初見者にはあまり親切な演出ではなかったように思えた。かといって、リピーターには満足のいくものだったかどうか、それもはなはだ心許ないが。

その中で、数少ない背筋のゾクゾクする場面が、オスカルとアンドレが登場するシーンだった。新人公演の華宮あいりもそうだが、オスカルの美しさは、彼女が性を往還する存在であるということに集約されており、それは決して軽やかさであるとはいえないが、貴族という地位を捨て領地を捨てて民衆の側に転じる可換制につながっていったと思われた。このオスカルという存在を実現させたのは、池田理代子自身の、革命とそれに青春や命を捧げた人々を美しく描こうとする情熱であった。宝塚歌劇のありよう自身とのシンメトリーはほとんど奇跡のようなもので、まれに見る幸福な出会いだったといってよい。

にもかかわらず、少なくとも今回の宙組公演に関しては、何かに固執するというしつこさ、アクの強さといったことがほとんどなく、全体にひじょうに希薄な舞台となってしまったのが残念だった。このような改変が「2001」と銘打たれるのであれば、それは歌劇団のファンひいては大衆というものに対する認識が間違っていると思った。再々演がリピーターを前提とするものであれば、いっそ「ベルナールとロザリー編」といったような、外伝でもよかったのではないかと思った。綺羅星の如き専科のスターがたくさん使えるのだから、キャスティング上も何ら問題なかったはずだ。要は、そのようにしてでも自らの新しい解釈に基づいた世界を現出させたいという情熱が、池田理代子ほどではなくとも演出家にあったかどうか、またそれを歌劇団が許容したかどうかということであって、つまるところ現理事長の名を不朽のものにした(?)大作を、その在任期間中に上演するということ自体、いろいろとご苦労があっただろうという意味で、今回起用された演出家にしかできなかった、そういうことだろうと思った。

数年前、清水書院から出ている『白バラ』を読んだ時、これを小池修一郎が宝塚でやらないものか、手紙を出そうかとまで思った。白ばらとは、『死の泉』と同時代のドイツで、反ナチ運動を展開した学生組織の名である。最近なら荻田浩一にと思っただろう。時代の緊迫と女性を含む数名の学生たちの友情と愛と悲痛な結末は、かなり重い題材ではあるが、野心的な演出家なら宝塚でもきっとできると思ったのだ。彼らは宝塚以外の舞台で活躍する機会を得ているようだが、そのことでかえってフラストレーションが溜まってしまうような結果にならなければよいのだが。

「この思い、届いていますか?」 スポットが消えたあとで12

 やりたいことができることなど、そうはない。まして、舞台の上で。花組の歌い手たちによるエンカレッジ・コンサートが面白かったのは、十六人の出演者がそれぞれ自分の歌いたい歌を持ち寄ったからだと思う。印象的なシーンはいくつもある。たとえば、母親が上月晃の大ファンだったという(ここで客席からは「おやおや、ご本人じゃないのね。そりゃそうよね」というような感じのため息がもれたのだが)悠真倫の「グラナダ」。失礼を承知で言うのだが、悠真は決して二枚目タイプの役者ではない。腕や脚もそうスラリとしたタイプではない。新公で印象に残っているのは「夜明けの序曲」で岸香織が演じた三上繁、「ルートヴィヒU世」で星原美沙緒が演じたワーグナーと、共に専科の役であるように、おそらく今後は渋い脇役を演じ続けるタイプの役者として成長すると見込まれていると言えるだろう。そんな彼女が精一杯二枚目になって踊り、歌ったのがこの日の「グラナダ」だった。

 これが感動的なものだった。悠真は歌はもちろん、ポーズもかっこよく、キザに決めた「オーレ!」は実にセクシーで素晴らしかった。一種異様な雰囲気−−歌そのものの持つ力、上月晃という存在の持つ力、そんな諸々の空気が満ちていることを感じることができた。もう一曲悠真が歌った、「テンダーグリーン」の「心の翼」も、バックコーラスを務めた他の出演者の楽しそうな姿も含め、もちろん名曲ではあるにせよ、不思議なほど感動的に盛り上がった。何よりも、再び失礼を承知で言うが、悠真倫という地味めなこの舞台人が、こうして一人で真ん中でスポットを浴びて、数百人のホールの観客の全員の視線を一身に浴び、まさにスターとして光を放つ機会が、今後そうたびたびあるとは思えないことを、本人を含めてみんなが知っていてこの瞬間を大切にしていることからたち昇る、一世一代の哀切のようなものの入り交じった緊張感が、この舞台をきりりと引き締めた最大の要因だったことは否めない。

 同様に、眉月凰の「愛の旅立ち」も、実力どおりの熱唱だった。正直に言って、今後眉月からこんなに深い感動を与えてもらえることがあるだろうかととまどうほどだった。この歌を聞き、姿を見ている時は、眉月が現在必ずしもトップ路線に乗っていないようであることが不思議に思えてしかたなかった。真竹すぐるが硬質なハイトーンで歌った『ラ・マンチャの男』の「見果てぬ夢」も、幸美杏奈が自在な声のコントロールで歌った『Les Miserables』の難曲「On My Own」も、すばらしかった。

 特筆しておきたいのは幸美杏奈、真丘奈央、絵莉千晶による『哀しみのコルドバ』の名曲「エル・アモール」、続く絵莉の「ひまわりの歌」だ。言うまでもなく、「エル・アモール」は三角関係の緊張を3人が歌い上げる、ひじょうにドラマティックな曲である。もちろん本来は劇中歌であるから、物語の内容に沿った前提や感情表現を伴って、いわゆる劇的に歌われるわけだし、それに耐えうるだけの盛り上がりをもった曲だ。それをこの3人は実にみごとに歌い上げた。3人の歌、表情だけでドラマ全体の哀切が立ち昇ってくるような気がしたし、震災で飛天(当時)の安寿ミラのサヨナラ公演が中止されたことさえも思い出されて、きっと彼女たちにとっても単なる名曲というにとどまらない、特別な一曲であったのだろうなと想像した。

 もちろん歌いたい歌を歌えばいいというものではなく、たとえば渚あきの「私だけに」(『エリザベート』から)は、明らかに入れ込みすぎだった。しかし、ふだん大劇場では決してソロを聞けない劇団員たちの実力を聞くことができたことは貴重で楽しいことだったし、何よりも彼女たちが楽しそうだったのがよかった。当初は予定になかったというのだが、吉崎憲治がタクトを振ることになったのも、彼女たちの熱意か楽しさにつられてしまったのではなかったか。

 ぼくは本当は、スタンディング・オベーションをしたかった。本当によくやったよ、すごかった、うん楽しかったよ、と十六人全員に声をかけたいと思ったのだが、それは無理なので、せめてふだんの公演と違う形で気持ちを伝えたかったのだが、ちょっと勇気がなかった。次は雪組がやるらしいので、どうだろう、皆さんやりませんか(チケットが手に入ればの話だが)

 バウホールでスタンディング・オベーションをと思ったのは、十一月中旬に同じくバウホールで行われた音楽座ミュージカル『メトロに乗って』のカーテンコールで、客席全員で熱いスタンディング・オベーションを送ることができた、その興奮がまだなんとなく残っていたからかもしれない。毬谷友子、福麻むつ美という2人の宝塚出身者が出演していることもあってチケットを取っていたのだが、半ば伝説と化していた毬谷の歌の力には本当に引き込まれ、圧倒されたし、何よりも舞台から熱い思い……このミュージカルをやりたい! というようなエネルギッシュでひたむきな思いが伝わってきた。

 浅田次郎原作のこのミュージカル『メトロに乗って』については、この作品だけで数枚の劇評を書くべきだとも思うが、とにかく感動したということだけにとどめておいて、この公演が始まるまでの、音楽座のホームページや電子メールによる情報発信の充実ぶりについてもふれておきたい。

 まずインターネットで音楽座ミュージカルの会員になれば、チケットが割引になるのがうれしかったのだが、それに続いて、公演が近づくにつれて、顔合わせだの通し稽古だのメンバー変更だの、そして出演者からのメッセージと、頻繁に送られてくるメールによって、出演者やスタッフ、そして全国に広がっているのであろう多くのファンと一緒になって公演本番を待つことができたのがうれしかった。もちろん音楽座時代から培われたノウハウでもあるのだろうが、作り手から観客に向かう熱い思いが長い期間にわたって伝わってきていたのは確かなことだ。それが公演当日にも、舞台から客席に向かう熱さとなって届いたのだし、客席からも「待ってたよ」というメッセージが伝わっていたのだと思う。

 舞台から客席に、たとえば「この作品を観てほしかったんです。どうですか?」「こういう世界を作って、あなたと共有したかったんです」というような思いがダイレクトに伝わってくるのが舞台芸術というナマな表現形態の素晴らしいところで、ぼくたちはそれを味わいに小劇場やら大劇場に通っているといっていい。音楽座ミュージカルが素晴らしかったのは、あるいはひときわ熱くさせているのは、一つにはトラブルを超えて再びミュージカルの公演を打てることを、スタッフもファンも出演者も心から喜んでいることではないか。

 このような「私たちの思いは、あなたに届いていますか?」という熱い息吹のようなものを、残念なことに宝塚ではあまり感じることがないように思う。宝塚は、恵まれ過ぎているのかもしれない。専用の新しい常設劇場ができて、東京でも関西でも通年公演ができるようになった。額の多寡は知らないが劇団員には給料らしきものも出ているそうだから、舞台のためにといってアルバイトに精出さなくてもいいのだろう。アクセサリーはともかく、衣裳は専門のスタッフが作ってくれる。音楽学校という制度がある。生徒と呼ばれる劇団員たちはライバル意識も強いだろうが、同期という強い仲間に恵まれてもいる。同じ作品を2ヶ月、3ヶ月と続演できる。生演奏のオーケストラがついているのも、日本では稀有のことだ。などなど、これらのことは、他の劇団の人から見ると、とうてい望みようがないほど、うらやましいことであるはずだ。しかしながら、恵まれた環境も与えられれば当然かつ自明のものになってしまう。それが当たり前と思ってしまう以上に、不満だって出てくるだろう。たとえば、「一年中舞台に立てる」という喜びが、「一年中舞台に立たなきゃなんない」「しょっちゅう作品を作らねばならない」というふうに変質してしまうのが、悲しいかな、人間というものなのかもしれない。

 以前からぼくが不思議に思っていることの一つは、大劇場公演ではカーテンコールがないことである。考えようによっては、最後の大階段のパレード自体がカーテンコールのようなものなのだから、屋上屋を重ねるようなことは必要ないというのかもしれないが、緞帳が降りてからもう一度や二度、手を振って「明日も来てね」ぐらいのお愛想を言ってもいいではないかと、かねがね思っているのだ。例のバレンタイン・スペシャルでは、アンコールに応えて銀橋まで渡ってくれたのだから、普段からできないわけではないだろうに。緞帳が上がって稔幸がユーモアにあふれた挨拶を終え(「客席のカップルのあたたかさを自分たちももらえたような気がした」とコメントしていたのが、強く印象に残っている)、再び音楽が始まってスターが銀橋に向かったときに、客席が悲鳴のような歓声に包まれたのを、関係者は聞いていただろうか? もちろん理事長や会長は、早々に席を立っていたのだろうけれども。第一、バレンタイン・スペシャルで宝塚を初体験した男性客が、次に観にきたときにカーテンコールがないのを知ったら、どう思うだろうか。

 例によってばかげた話になってきたが、宝塚歌劇団全体が、今日もお客さんが観にきてくれてよかったと思い、今日も無事に舞台の幕が開き、無事に幕を下ろすことができた、ありがたいことだ、と思っているのなら、そういう思いを客席に確実に届かせるように、せめて当たり前に普通の劇団がやっているようなことはやっておくべきだ。何度も書いてきたことだが、演劇というものは、出演者と観客とスタッフが共に創るものであって、それらの相互作用によってどうにでもなる生き物だ。花組のエンカレッジ・コンサートで、もう一度緞帳が上がれば、ぼくは立とうと思っていた。そしてきっと多くの人が立ったと思っている。もしそれをその日ステージの上にいた彼女たちに見せてあげることができていたら、彼女たちもきっともっともっとうれしい思いを抱くことができたはずだ。ステージから客席に投げかけた熱い思いが、客席からまた投げ返される、そんな当たり前で理想的な時間がもてるはずだった。

宝塚の観客の拍手のポイントはいわゆる会によって決められているせいか定型化してしまっていて物足りないが、そのように舞台が生き物ではなくなったかのような定型化の最初のきっかけを作ったのは、八十数年に渡る歴史の中で、「公演が打てて当たり前」というふうに思ってしまった、劇団関係者の意識だと思う。これは客商売の基本だとかおもてなしの心だとか、ホスピタリティだとかCSだとかの前に、初心ということだけ肝に銘じておけば、すむことだ。


「マチュア」ゆえの魅力とチャレンジ―スポットが消えたあとで11

 新・専科制度の発表と同時に組替えが発表され、そろそろ組替え後の公演が大劇場でも始まっている。宙組に水夏希、朝宮真由が、花組バウに高翔みず希が出演して、元気な姿を見せている。水はともかく、朝宮や高翔が以前より大きくシーンをもらっているように思ったが、だいたい組替えが栄転(というか序列の整理)のニュアンスをもっていることと、ご祝儀の両方からの厚遇だろう。

 組替えは、言うまでもなくこれまでも年中行事のように繰り返されてきたことだし、おそらく今は「ダンスの花組」などと呼ばれた以前ほどには組によってカラーが違うということはないだろうが、やはり新しい仲間が入ってくることで、組のバランスにも変化がもたらされ、各個人の位置にも影響があるはずだ。そもそもが歴史の浅い組で、しかもトップの交替と時を同じくして宙組に水夏希が入ったことは、星組に安蘭けい、夢輝のあが入ったこと以上に大きな影響を与えるかもしれない。

 これまでの組替えで、他のことはともかく、他の劇団員への影響が大きかったと思うのは、香寿たつき、紫吹淳と、やはりダンスの名手の場合だ。雪組の男役のダンスが最近非常に充実しているのは、香寿の後ろ姿を見ていられるせいだと思えるし、紫吹が星組に来た時の絵麻緒と音羽の成長ぶりは著しかった。いくら同じ音楽学校を出た仲間だといっても、組替えはやはり少なからず緊張するものだろう。その緊張はたいていの場合好ましいもので、双方のレベルアップにつながり、そうでなければどちらかが淘汰されることになるわけだから、やはり全体には整理されて質が向上するといえよう。つれないいい方だが、このようにしてこれまで宝塚歌劇は歴史を重ねてきたわけだ。

 さて、ネザーランド・ダンス・シアターV(以下、NDTV)というカンパニーの公演を観た。四十歳以上のクラシックバレエ公演などの経験豊かなベテラン・ダンサーによって構成されたカンパニーである。Vの創設者でNDTの芸術監督を長く務めたイリ・キリアンは、その創設の背景についてこう説明している。「(NDTVは)ひとつのカンパニーではなくひとつの理念なのです。つまり明らかにカンパニーではありますが、ダンサー達に繰り返し影をおとしている根源的テーマ―正規のカンパニーの状況の中では、もはや自分が参加または機能することが出来ないか、あるいはしない事―について各人の個人的な長い年月にわたる経験なくしては決して実現しないからです。多くのダンサー達は四十歳前後に、自分がノーマンズ・ランド(無人地帯)にいることに気がつきます。自分の生き方になってしまったこの職業、多くの人は子供の頃から始まりますが、それをあきらめるという状況に直面するという事は、新たな納得のいく信条か、未来へのヴィジョンがない限り生易しいものではありません」(プログラムから。彩の国さいたま芸術劇場)

 そしてこの公演は、実に素晴らしいものだった。動きのスピードは二十代、三十代のダンサーほどではないかもしれないが、何よりも一つ一つの動きの意味をよく理解できるだけの、経験と知識に裏打ちされた深みがあった。その結果、動きは鋭さよりも大きさをもち、劇場の空間を隙間なくうめていった。NDTでは彼らのことをマチュア・ダンサー(成熟したダンサー)と呼んでいるそうだが、誠に円熟の境地に達した人間でなければ醸し出すことのできない味わいがあった。

 ぼくはここで場違いなダンス公演評をしようとしているのではない。NDTVを観終えてしばらくして、宝塚の専科(ここでは従来からある専科をいう)のことを思い出していたのだ。冒頭にもふれた今回の組替えでは、いわゆる組長、副組長の異動も激しく、これまでそのポストにあった何人かは専科に移った。専科に所属している者の扱いが必ずしも均等ではないことは、以前から指摘されていると同時に、たとえば最近になって矢代鴻ががぜん脚光を浴びていることからもわかるように、一度使われると誰もが使いたくなるような魅力をもっている者が、そこにはいるのだ。

 少々話は遠回りするが、周知のように、ぼくはベテラン娘役である万里柚美の大ファンなのだが、「黄金のファラオ」のヌビアの舞姫としてのダンスは、本当にうれしかった。地球ゴマのように、身体の軸を斜めにしてクルクルと回転するのを観て、ダンスの技術と経験のバランスからいって、現在の彼女はそのピークなのではないかと思った。彼女の実年齢は知らないが、宝塚の中でも、ダンサーのキャリアの中でも、若手といえる年齢ではないことは確かだ。失礼をも承知でいえば、おそらく彼女はダンサーとして最も脂の乗りきった、充実した円熟の域にある。その万里が今回の大異動で星組の副組長になる。組長やら副組長やらの役割さえぼくはよく知らないが、噂では不入りの始末書を書かされるだの、あまりおいしい役回りではないように聞こえてくる。要するに管理職、いわゆる中間管理職の悲哀を味わうポストになるのではなかろうか。こと中間管理職の苦しさについては、他人事ではないので、誠に気の毒であるが、その人柄と技術や経験、何よりも宝塚歌劇に対する深い思いによってうまく乗りきっていってほしい。

 一方では、この副組長就任によって、現場から外され気味になるのかと思うと、これはかなり複雑な思いにとらわれてしまう。これまでの各組の公演で、組長、副組長クラスは、芝居では渋い脇役、ショーでは笑われ役やつなぎ役、時に幕前の美声披露といったところで、少し全体の盛り上がりからは外されることが多い。ここが難しいところで、かといって一連の宙組公演、特に今回の「ミレニアム・チャレンジャー」のように、副組長がエトワールの一人として出てきてしまうと、これはまた何か勘違いしているようで、みっともなくさえ見えてしまう。

 万里にとっては、いい時期なのだろう。ブンブン踊ってさえいれば楽しいという、ダンサーとしての青春の時期は過ぎていくのだろう。そうすると、これまでの経験を生かして、振付や後進の指導に回るべきなのだろう。それが彼女の喜びであるのだろうから、特に端でいろいろいうことはない。おそらくダンスと共に生きてきた彼女にとって、これからもダンスと共に生きていくために考えられる選択肢の中で、最良に近いものだったに違いない。ぼくとしても、これからも舞台の上の彼女の姿を見ていることができるということは、大きな喜びである。

 総じて現在の宝塚歌劇は、マチュアな役者やダンサーに対する評価や人気が低すぎるのではないか。音楽学校を卒業して入団から十五年程度でトップクラスに立ち、三年程度で退団となると、三十代半ばまでしか在団しないことになる。若くてピチピチしている方がいいというだけでは、目の肥えた観客がついてこなくなるのも当然のことではあった。多くの劇団員が宝塚歌劇で培った経験に基づく魅力が、舞台の上、作品の中で十分に発揮されないまま終わってしまうのは、あまりに惜しい。

 先ほど引き合いに出した矢代鴻がスポットを浴びたのは、「夜明けの天使たち」だったのではなかったか。その役柄と人生の年輪を感じさせる歌声がみごとに重なり合い、劇の温度を確実に何度か上げた。このような層、具体的にいえば年齢的には三十代後半以上、ポストでいえば組長、副組長や専科の者の魅力をもしみじみと味わうことができる作品が増えてくれば、宝塚歌劇の観客層は多いに広がり、動員力も上がって、興行的にもいろいろと楽になるのではないだろうか。

再びNDTVに戻るが、イリ・キリアンはNDTVを結成させるに当たって、自分自身も含めた多くの振付家に、NDTVのための作品づくりを依頼している。それはつまり、マチュア・ダンサーの体力でも踊れる作品という限定的なことであるよりは、むしろマチュア・ダンサーでなければ表現できない深みのある作品を、ということではなかっただろうか。ぼくが観た作品の中で、特に冒頭に置かれた「SIGHT」(振付=竹内秀策)は、寺山修司の世界を思わせる倒錯した濃厚な美意識を背景に、やや爛熟気味の身体でこそ表現しうる微妙なニュアンスを網の目のように張りめぐらしたもので、作者のバックグラウンドの豊かさにも圧倒されるようなものであった。

 ひるがえって、宝塚歌劇の多くの演出家は、スターの若さや華やかさに依存して、ワンパターンの設定、変化のない趣向に安住していないだろうか。特にショーでは、ただの歌謡ショーのような平板な構成、過去の作品の切り貼りのような構成が時折見られる。芝居でもショーでも、マチュアな素材を生かしきるだけのマチュアな演出家、振付家が何人いるだろうか。高いジャンプ、速いターンを見せていれば観客はため息をつく、そんなダンサーの身体能力に依存するのではない、本当の舞踊作品とは何か、本当に人間の身体表現の魅力を見せることのできる作品とはどのようなものかということを、NDTVは問いかけている。だからキリアンはこれを「カンパニーではなく理念だ」とするのである。

 ぼくもまた宝塚歌劇において、専科が一つの高邁なる理念であるべきだと思う。最も近い芝居の例でいえば、「心中・恋の大和路」のOG公演のレベルの高さを思い出す。あのような作品を念頭に、専科のメンバーを中心とした実験的な公演を打てないものだろうかとも思う。何も老人ばかりが出てくる劇をやれというのではない。たとえば「ベルサイユのばら」の外伝として、宮廷を舞台にした緻密な心理劇を、荻田浩一か児玉明子の偏執狂的なこだわりによって作ってみてはどうか。そのようなことが実現すれば、何よりも演出家に対するチャレンジとなり、専科のメンバーが活性化し、現役生も未来に明るい展望を持て、宝塚歌劇の芸術的評価も社会的地位も上がろうというものだ。

 付け加えれば、マチュア・ダンサーが正確な技術と深い表現力をフルに発揮できるほどの深みのあるダンスナンバーを作れる振付家を、外部からの起用も含めて採用し、宝塚歌劇のダンサーのレベルの高さを内外に明らかにしてほしい。キリアンは「このプロジェクトは年上のダンサーの為に創られたものではありますが、若い世代の振付やダンスに対する一助になるかもしれないと幾分の皮肉も込めて申し上げます」と結んでいるが、ぼくもまた幾分かの皮肉を込めて、宝塚歌劇とそれをめぐる環境が、マチュアな部分にもっと目を向けてほしいと祈るのだ。

もう「生徒」とは呼ばない―スポットが消えたあとで10

 宝塚歌劇団で女優たちのことを「生徒」と呼び習わすのは、「上の立場になっても学ぶ姿勢を忘れないため」だそうだ(清野由美「宝塚精神『清く、正しく、美しく』の教育現場」による。「プレジデント」二〇〇〇年三月号所収)。高い倍率の入試を突破して宝塚音楽学校に入学した時点からタカラジェンヌとしての歩みが始まり、その後も節目ごとに試験があるという現在の制度からは、歌劇団自体が一つの学校として機能していることは確かだし、一般論としても悪いことではないように思える。

 しかし、彼女たちが「生徒」である限り、誰かは「先生」であり、そこに庇護する/されるという上下関係が生じると思わざるをえない。一般的な劇団における演出家と役者よりも、おそらくは親密というよりは依存的な関係であるといってよいだろう。二年間の音楽学校の教育の中で、「生徒」たちは様々な技術を磨くことができる一方、宝塚歌劇に特化された技術を身につけさせられるようになっているはずで、極端ないい方をすれば、宝塚歌劇でしか通用しないような舞台人になることを求められ、それによって歌劇団は、優秀な人材を内部に囲い込むことができてきたわけだ。入団後何年かで歌劇団と「生徒」は契約関係を結ぶそうだが、その契約がどのようなものか、およその想像はつこうというものだ。

 そしてそのようなシステムの中に、ぼくたち観客も絡め取られている。あるいは積極的にその中に組み込まれようとしている、といった方がいいのかもしれない。「先生」や「生徒」という呼称が、本来は歌劇団内部でしか通用しないはずのものであるにもかかわらず、ぼくたちも普段から「生徒たち」と言いならわし、何を習ったわけでもないのに「正塚先生」「谷先生」などと呼んでいる。他に先生と呼ばれる職業はいくつかあるが、たとえば普段、面と向かっているわけでもなく選挙区民でもないのに「小渕先生」「森先生」などとは呼ばない。

 ぼくたちが歌劇団の演出担当や音楽担当を「先生」と呼ぶとき、無意識に「生徒」と同じ上下関係の傘の中に入っている。宝塚歌劇という舞台が成立する関係性の連なりの中で、結果的にあえて低い立場であることを選んでいるように思える。そのことで、隔離された共同体としての「タカラヅカ」の成立に拍車をかけている。

 忘れてはいけないのだが、ぼくたちは「観客」であって、「生徒」の保護者や親戚などではない。似たものに、バレエ学校やダンススタジオの発表会レベルの公演が挙げられるかもしれない。主宰者や指導者は「生徒」からもその保護者からも「先生」と呼ばれる。出演者にはチケットのノルマがあり、たくさん売ったほうがなにかと都合がいいことは、いうまでもない。観客のほとんどは「生徒」かその保護者、その関係者だ。関係者以外の者が観に来ることはほとんどない。さらにいえば、その発表会ないしリサイタルに批評の視点が入ることなく、作品としての出来不出来より、自分が関係している「生徒」の位置、出番、出演時間等が最大の話題となる。

 繰り返すが、ここで最も問題となるのは、あるいは問題にしなければならないことは、この時、観客は舞台が成立するためのプロセスの中で、不当に低い地位しか与えられていない、あるいはそこに自ら甘んじているということだ。観客が「生徒」の関係者である限り、そして「生徒」が劇団という組織の中で相対的に低い地位に置かれている限り、観客が劇団から不当に無視されたり横暴な振る舞いを受けたりするのは、当然のことだ。

 即興性の高いダンス作品においては、観客の視線や息づかいなどのひそやかな反応でもダンサーは敏感に受け止めて次の動きのきっかけとしたりする。あらかじめ作り込まれた作品では、そこまでではなくとも、舞台は観客と共に作り上げていくものだということを、ほとんどの舞台人は知っているし、宝塚もその例外ではないはずだ。

 やはりファンが悪いのだろうか。インターネットだかどこかで、お芝居を観て「あんまり笑ったら、一生懸命やっている生徒に失礼だ」というようなご意見に接して驚いたことがある。ちょうどぼく自身が雪組バウ公演「SAY IT AGAIN」の未沙のえるのボケをはじめとした間(ま)のみごとさに爆笑した後に接したご意見だったので、わがことを指摘されたようで、なおのこと驚き当惑させられた。確かに、笑いには微妙に上下関係が介在しているかもしれないが、舞台で役者が「一生懸命」やればやるほど、観客の喜怒哀楽が激しく深くなって当然なわけで、子どもの学芸会でうっかり転んでしまった娘の姿を大笑いされて怒り心頭……というのと同じレベルで考えてはいけない。こう書きながらも、なんてばかばかしいことを説明しているのかと、情けなくなってくるが。

 歌劇団を運営している側が役者たちを「生徒」と規定することで歪んでしまっている関係性。ぼくたちファンが舞台の上の役者たちを、同様に「生徒」と呼び習わしながら、一方で彼女たちを不可侵な存在として崇敬しているという、やはり歪んだ関係性。宝塚をめぐる享受の関係には、一つとして対等なものがないように思える。

 本来ぼくたちは、数千円という決して安くはない金額を支払って劇場に入場し、そこで展開される劇やショーを観るのだから、金額分の何ものかを正当に受け取る権利があり、その意味で対等であるはずだ(なお、読者の中には、ぼくが宝塚歌劇団から招待を受けていると思っている人もいるかもしれないが、そんなことは一度だってない)。ここで対等というのは、興行主や作者、舞台上の役者たちに対して何の遠慮もなく思ったことを言える、という程度に捉えておいていただいてかまわない。

 熱心なファンにとって、宝塚は自らのアイデンティティーと深く重なり合ってしまっている。宝塚を、あるいはひいきの誰それを否定することは、自分を否定することのように思ってしまっているファンが多いのではないだろうか。これは、ある意味では宝塚をめぐる状況の素晴らしいところでもあるのだろう。そのような熱狂的なファンによって現在まで宝塚が支えられてきたことは、いうまでもない。

 しかし、もうぼくはそのような関係性の中から一歩身を引こうと思っている。とりあえず、もう舞台の上の彼女たちを「生徒」と呼ぶことはやめよう。劇団員とか女優とか役者とか彼女とか、文章の流れに応じて適当に使い分けはしても、彼女たちを「生徒」と呼び、宝塚歌劇を一つの閉鎖的な関係性の中の閉じた舞台芸術であることを助長するような呼び方は、極力避けよう。その上で、舞台の出来の悪さを極力演出家の責任に片寄せして役者は被害者であるような論じ方も、意識して抑えていこう。

 しばらく前から、演出家のことは意識的に敬称略で通してきた。彼らに対しては、極力先入観を排した上で、引き続き座付き作者としての責任と誇りを求めながら、作品が舞台芸術として、またエンターテインメントとして成立しているかどうか、厳しく批判していこう。

 とにかく「生徒」と呼ばないことでぼくの文章に生じる居心地の悪さに、しばらくは自分で付き合ってみようと思う。申し訳ないが、読者の皆様にも、しばらくは見守っていただきたい。これは始まりとしては言葉だけの問題だが、おそらくはぼくの宝塚を語る文章に、大きな変化をもたらすことだろう。何よりも、ぼくと宝塚歌劇との距離を、大きく変えうるものだからだ。

 

 さて、突然このようなマニフェストめいたものに貴重なページを割こうと思ったのは、勘の鋭い読者の方なら既にお察しのように、千紘れいかの一件のせいだ。在団中に他の劇団のオーディションを受けてそこへ移ることになったということ、そのことが公けになったということ、そういったこと自体の当否をここであえて論じようとは思わない。ヤクザの世界なら小指の一本ではすまないのかもしれないし、「がんばれよ」と送り出してくれる劇団があってもいい。ただぼくがこの一連の歌劇団の対応の中で最も残念だと思ったのは、千紘のファンの存在が、完全にないがしろにされたという一事に尽きる。

 ぼくは別に千紘の熱心なファンではなかった。一時期不安定だった千紘のダンスに苦言を呈したこともあった。しかし、「黒い瞳」のエカテリーナには本当に感動した。「EL DORADO」のジプシー娘・ラウラは千紘ならではのいい演技、素晴らしい歌だったと思う。そのように、宝塚の観客の目の端には必ず入り、そして何がしか小さからぬ印象を与えてくれる存在であったことは確かだ。そういう意味で(もう少し大きな意味で)千紘れいかという役者を宝塚歌劇で見ることができたということに、ぼくは感謝している。

 この一連の歌劇団の対応を知って、ぼくはこんな馬鹿げたことを思った……もしぼくの愛する女優、たとえば万里柚美さんが何らかの事情や行き違いや心境の変化によって、歌劇団にとっては不本意な辞め方をせざるをえなくなって、もし千紘のように大階段も降りず、紹介もされず、袴も着ず、花束ももらえずに大劇場を去ったとしたら(千紘自身の意思もあったのではないかという観測もあるが、つまびらかではない)、きっとぼくは悔しさとか怒りとか悲しみとか憤りとかで、二度と宝塚を観なくなるだろうし、そんな宝塚を観てきた歳月を深く後悔することになるだろう。

 つまり、宝塚歌劇を長年支えてきているファンにとって、愛する女優の宝塚での歳月は、そのまま自分の歳月であり、舞台の上の彼女の言葉は自分の思いである。それを知った上でなお、歌劇団が一人の魅力的な女優を大人げない仕打ちで放逐したということは、歌劇団が劇団員をまともな人間扱いしておらず、ファンを金を払うカボチャ程度にしか考えていないということを自ら明らかにしているわけで、ぼくとしては、以て瞑すべし、だ。

 でもこのように打ちひしがれていても、たとえば花組「あさきゆめみし」の新人公演で最後に彩吹真央が涙をこらえながら「何よりも、ファンの皆様の暖かい拍手が……」などと言ってくれたのを聞くと、ちょっと勇気づけられ、「やっぱりもうちょっと、君を観に来るよ」などと思ってしまうのだから、ファンなどというのは可愛いものだ。この上は、真琴つばさが最後の日にはなむけとして密やかに千紘に贈った言葉(ほんのちょっとした勇気を持って、そして、きれいごとではありますが、夢を追いかけてみたら、いくらでも新しい人生を歩むことができる……)を思い出し、遅ればせながら千紘の旅だちに改めて拍手を贈ろうと思う。この拍手が千紘の次の一歩を明るく照らしてくれますように。


レビューする心−スポットが消えたあとで9

 1999年を締めくくる「レビュースペシャル'99」は、楽しかった。雪組が中心になって毎日出演し、日替りで月、星、宙の各組が登場する。東京公演中の花組はビデオでご登場となった。TCAスペシャル「ハロー!ワンダフル・タイム」が宝塚−東京同時衛星中継という話題を作っただけで、しかも宝塚のS席一万円とファンをほとほと呆れさせたことからすれば、よく見直して(レビュー)、レビューの本筋に戻ったというべきだろう。

 そもそも「レビュー」とは何かということについては、「ザッツ・レビュー」で愛華みれ演じる大河原が気の毒なほどの長台詞で「歳末清算劇」と説明してくれたが、一言でいえば「総集編」ということにでもなるのだろう。

 ぼくが観たのは宙組出演の日で、雪組の「華麗なる千拍子'99」に続き、「TEMPEST」「Crossroad」「SAY IT AGAIN」などバウやドラマシティの作品のダイジェストから始まった。歌だけではなく前後の芝居まで、たっぷりと本衣装でレビューするのを堪能した。ついに第一部のシメ「シナーマン」(「ノバ・ボサ・ノバ」)では八百屋舞台まで引っ張り出し、あのエンディングの興奮がそっくりそのまま再現された。舞台上の生徒ももちろんだが、裏方さんも大変だったことだろう。第二部ではクリスマス・ソングのメドレーに続き、宙組が「エリザベート」を、レマン湖畔でルキーニ(湖月)がエリザベート(花總)を刺し、トート(姿月)とエリザベートが純白の衣装で昇天するというダイジェストで堪能させてくれた。

 幕間に客席の会話が耳に入ってきたのだが、「また『ノバ・ボサ…』が観れるとは思わへんかったわ」と目を真っ赤にしている女性がいたかと思えば、「まさか『エリザベート』は、衣装着けへんわね……時間かかるもんねぇ」と諦めた口ぶりの女性もいた。数十分後、姿月があのトート閣下の髪型、衣装で現れた時、きっと彼女はめまいのような喜びを感じたことだろう。

 このレビューを本当にレビューとして成立させたのは、もしかしたら多彩しゅんの退団発表だったかもしれない。轟悠と同期の彼女は、前公演を病気で全休演したが、やはり同期の地矢晃がほんの数日前に最後の大階段を降りるのを、一緒に降りる気分で見ていたという。せつない。十数年の宝塚生活を、彼女がどのような心でレビューしていたのか。端正な横顔は最後まで崩れなかったが、胸にコサージュをつけてダンディに微笑む彼女の胸中を思うと、涙を禁じ得なかった。

 客席を埋めたファンの中には、彼女の姿があと数ヵ月に迫った姿月あさとの退団にダブって見えてしまった人もいたかもしれない。実際、この日の姿月のトート姿は、きっと多くのファンにとって、最後の機会となったはずだ(サヨナラ・ショーで演じられるかもしれないが)。多彩のレビューする思いが、年の終わりという節目と相乗して、多くの人のレビューする心をかきたてたように思い、たまらなくなった。

 過ぎ去ってしまったものは、その渦中にある時よりも甘美に思えるものだし、ましてやダイジェスト版ともなれば、選り抜きの名場面だけが引っ張り出されることになる。こうやって時の節目に振り返るのは楽しいことである場合が多く、「レビュースペシャル'99」を観た限りでは、一九九九年の宝塚がひじょうに素晴らしく充実していたように思えた。

 

 12月になって、玉井浜子『宝塚に咲いた青春』(青弓社)という本を読んだ。昭和18年に宝塚音楽舞踊学校(当時の名称。19464月に宝塚音楽学校と改称)に入学し、昭和32年に退団した「星宮眞沙美」さんの宝塚での十数年間を綴った、いわば壮大なレビューである。

 まず、戦争中の宝塚の様子を生徒の立場から綴ったものとして、資料的価値があることは当然のこととして指摘しておかなければならない。ぼくは『文藝別冊タカラヅカ』(河出書房新社、1998)の「タカラヅカ略年譜」の編集を担当したが、中でわかりにくかったのが1946年に「カルメン」で「勤労動員に出ていた三学年の生徒69人が揃って初舞台」というところだったし、聞いたこともなかったのが1948年に「東京・江東劇場でも公演を開始」という事柄だった。よく腑に落ちぬまま、後者については江東劇場ってどこなんだろうと思いながら『夢を描いて華やかに 宝塚歌劇80年史』(宝塚歌劇団、1994)の記述をそのまま写したものだった。

 玉井によると、江東劇場は錦糸町駅前の「江東楽天地と呼ばれるアミューズメントセンターの一画」にあり、「上京のたびの交通事情、宿舎、食料の確保など、とてもきびしい状況でしたから、私たち月組も昭和23年(1948年)7月に日劇公演をしたあと、続いて江東劇場へと移っていきました」という次第だったという。その前の雪組も日劇の千秋楽のあと、3日をおいて江東劇場で14日間公演しているというから、東京滞在の期間に少しでも多くの公演を打とうという苦肉の策だったようだ。

 前者の「三学年揃って初舞台」というくだりについては、橋本雅夫『すみれの花は嵐を越えて−宝塚歌劇の昭和史』(読売新聞社、1993)の「第14場 華麗な舞台よみがえる」に少しふれられているし、『80年史』の「創立以来の全生徒連名」を仔細に辿れば、1941年入学の明石照子から1943年入学の若浦朝生までの70人が「昭和20年入団」となっていることからもうかがい知ることができる。これについて玉井は「私たち同期生は、昭和16年(1941年)から18年(1943年)にかけての3学年をひとつにまとめて、21年初舞台組になっています。厳密にいえば第31期、32期、そして私たちの第33期となるのですが、一緒に卒業式を行いともに初舞台を踏んだことから、三期そろって“同期生”という意識でつながっています」と簡潔に説明してくれている。しかし、三期揃ってとはいうものの、1943年に入学した者のうち玉井たちのように遠方から寄宿していた者は、翌年三月末に「生徒の安全を確保できない」という理由で郷里に帰されてしまっている。在阪の者は宝塚音楽舞踊学校挺身隊として川西航空機仁川工場へ動員。つまり、玉井たちは予科生のまま初舞台に立ったということだったのだ。玉井が「初舞台が一年遅れた本科二年を卒業した生徒は三年間みっちり勉強しており、すでに十分の実力を持っていましたが、私たち予科生だった連中ときたら、まだほんの少し敷居をまたいだくらいのところでしたから、同列に並ばされるのは恐ろしいくらいでした」と書いているのが、実感だったろう。

 この初舞台は、玉井たちにとっての初舞台だったと同時に、戦争で接収されていた宝塚大劇場にとっても戦後の初舞台だった。宝塚の生徒にとっても観客にとっても、どれほどの出来事だったかは、橋本の著書に詳しい。

 なお、この1946年の初舞台生の人数について、ぼくは『文藝別冊』で何に拠ったのか69人と書いたが、現在ぼくがふれられる資料で確定しているのは、同年422日の大劇場再開の公演で初舞台を踏めた生徒の人数で、59人である。この場を借りて訂正しておきたい。ただし、入団を認められていたのは『80年史』昭和20年入団生を数えると70名、橋本の著書に転載されている昭和213月現在の生徒一覧表では68名と、一致しない。その上、両者を付け合せると、名前が一致しない生徒が10名前後もいる。中には、都小路という貴族を連想させる姓、葉隠という戦時精神を思わせる姓を付けたため、初舞台の直後に改名した者もあったと思われる。

 さらに、玉井は1943年の音楽舞踊学校の合格者は五一人、第三十三期生の入学者、つまり三期合わせての入学者は百二十人と書いているのが、六八または七〇人に減っているのは、在学中に「出校するに及ばず」ということで中途退学した者もあった以上に、卒業しながら舞台に立てなかった生徒がたくさんいたことをうかがわせる。橋本の著書には花房やよい、立花一美、藤蔭八千代が紹介されており、玉井は「何日をキリときめて第三十三期生としての復帰が締め切られたのかよくわかっていませんが、すでにほかの仕事についていた、家庭の事情で戻ってこれなかった、そして亡くなってしまったといった理由があったのでしょう」と淡々と綴っているが、万感の思いがあるに違いない。これに続く生徒たちの空腹、病気や生活難の挿話を読むにつれ、嵐を越えられた花もあれば、咲かずに終わってしまった宝塚の青春もあったことを思い、いたたまれない。

 もちろん玉井の著書は、戦後の混乱期ならではの秘話や裏話もあり、楽しく読める本だから、つらく悲しいことばかりをクローズアップすべきではないだろう。彼女自身、中堅どころの娘役として、当時のトップスターである春日野八千代、淡島千景、久慈あさみ、越路吹雪らへの憧れの思いや、娘役で同期の新珠三千代や下級生の八千草薫の素顔が綴られているのも微笑ましいし、現在の宝塚とその周辺についての穏やかな戸惑いのような苦言にも、一つ一つ深くうなずくことができる。

 何よりこの本がぼくを勇気づけるのは、年表ではほんの一行に約められる出来事が、その現場を生きた個人にとってどれほどの重み――喜びとしても悲しみとしても――をもっていたかを実感できたことだ。ぼくは今このように宝塚の各公演をおおむね楽しみながら見続けている。何年かのうちには、一人の生徒が成長し、花開く姿にもふれられたし、何人かは去っていった。一年をレビューすればいい一年だったなと思い、心の中で生徒たちに「ありがとう。来年もがんばってね」と呟く。そのようなことを何年か繰り返してきた。この繰り返しが宝塚をつくり上げてきたのかなと、ちょっとうれしく誇らしく思うことができた。

 この本からは、宝塚を平凡に生きようとした生徒が、時代の荒波にもまれ、意に反して劇的に生きた姿が生き生きと立ち現れている。しかも、なんだか楽しそうなのだ。それってやっぱり、宝塚だったからかな、と思ってしまう。

 過ぎてしまっても、皆が美しいわけではない。でも、ぼくが一年をレビューするとき、また玉井や多彩が在団した何年かを振り返るとき、やはりそれは甘美な歳月である。玉井の著書の中に、初舞台のラインダンスで、自分の上をスッとスポットライトが流れた時のときめきを書いた一節があった。多彩の最後の舞台でも、柔らかなスポットライトが彼女をひときわ明るく照らし出した。そのように、ぼくたちは歳月を明るく照らし出すことができる。彼女たちに浴びせられるスポットライトが、ぼくの上にも当たっているようなめまいにおそわれる数瞬がある。


スポットが消えたあとで8 舞台という夢魔

 今夏の高校野球が、朝日放送の局アナ・赤江珠緒が女性として初めて実況中継をしたことで記憶されるように、花組の「ザ・レビュー'99」は、その出来が素晴らしかったことはもちろんだが、宝塚史上初めて女性がオーケストラの指揮を務めたことで記憶されることになる。御崎惠という芸名のような名と、男役スターのような容姿をもった指揮者を、ぼくは幕開きから三日目に見たが、なんだか劇場全体に勢いや活気といったようなものを与えていたように思う。指揮者がそんなふうに目立つのはおかしいじゃないかと難じる人もいるかもしれないが、オーケストラピットから上体をひねって銀橋のスターに目をやり、テンポを合わせながら指揮棒を振る姿は、じゅうぶん目を引いて魅力的だった。ある部分では彼女自らタテ乗りで音にからだを合わせ、もしかしたら舞台をリードしていたかもしれない。ぼくには指揮法の知識があるわけでもないので、単なる素人目の印象だが、彼女の指揮姿はアグレッシヴでドライヴ感があり、何より舞台上の生徒をよく見ていた。それらは初々しさとか、いくぶんかはまだ不慣れであることの証左であったかもしれないが、共に一つの世界を作り上げようとする情熱の勢いのように見えて、感動した。

 FNNスーパーニュースや朝日新聞の記事によると、今春宝塚管弦楽団の指揮者のオーディションに九倍の難関を突破、八十五周年の宝塚史上、初の女性指揮者が誕生した。先輩指揮者の岡田良機から「慣れてくるともう少し楽に」といったコメントが寄せられていた。「頑張りすぎないように、とアドバイスしています」という歌劇団からのコメントも出ていた。一ヶ月半の間、水曜日しか休めず、一日二回公演の日も多いという過密スケジュールに置かれている以上、息抜き、手抜きをうまくとっていくことは、実に必要なことなのだろう。宝塚管弦楽団の指揮者は四人の交替制だという。一公演に必ず二人の指揮者が出るわけだから、二交替ということになる。なかなかにハードな勤務態勢のようだ。

 音楽系の大学の作曲科出身で、彼女自身学生時代にかアマチュアでか舞台に立った経験もあるとテレビでは紹介されていたし、この秋にも劇団てんというミュージカルの劇団の公演の音楽(作曲)を担当しているようだし、来春尼崎のアルカイックホール・オクトで上演されるミュージカル「Lia Fail 運命の石」という北アイルランドのテロリストを主人公にした物語の制作を担当するそうだ。彼女が今後にどのような未来を志向しているのかは知らないが、クリエイティブな感覚もあわせ持った指揮者として、これまでの指揮者の枠を超え出るような新しい局面が開かれれば面白い。

 そういえば、「ノバ・ボサ・ノバ」で指揮者の佐々田愛一郎がピンクのスパンコールのジャケットを着ていたのを、鮮やかに、そして少し微笑ましく記憶している。ショーでは時折、指揮者やオーケストラのアクションを見ることができたりする。日頃裏方として舞台を支えているオーケストラピットの人たちの姿を見るのは、けっこう楽しい。そしてそれ以上に、彼らがショーを一緒になって作り上げているのだということを改めて認識させてくれる。このステージを作っているのは、舞台上の数十名の生徒だけではなくて、数十名のオーケストラもだ、そして千数百名のぼくたちだって……と思いが及ばないでもない。

 さて、息抜き、あるいは手抜きというと、なんだか悪いことのように聞こえてしまう。常に全力投球で向き合ってほしいと思ってしまうのだが、そんなことは不可能に近く、あるいはペース配分といえば聞こえもよく、現実に近いのだろうか。実際ぼくたちは、その日のステージの出来について、「今日はビデオ録りの日だから、気合入ってたね」といったように分け知り顔に言ったりする。「ビデオ録り」が「会の総見」とか「誰某さんが見に来てる」に変わったりする。逆に気合が入ってない、ノリが悪いと思える日もあって「今日は手ぇ抜いてたやん」なんて憤ることもあるわけだ。

 手を抜く、気を抜くというのとは少し違うかもしれないが、メリハリや緩急をつけるということ、これはいいことだ。公演評でもふれたが、姿月あさとの歌が素晴らしいのは、引きを心得ているからだ。「エクスカリバー」の「ぁーロザライン」に続き、「激情」でも随所でメゾピアノの魅力を聞かせてくれたが、言うまでもなく声量、表現力、声質、確かな音程など、あらゆる面にわたっての力量が豊かな幅を持って自在であるからこそできたことだ。「ノバ・ボサ・ノバ」新人公演で霧矢大夢のソールに見たのは、同様の自在さであった。

 このような自在さというものを感じさせる舞台が少ない。いささか旧聞に属するが、五月に観た瀬戸内美八らの宝塚ホームカミング「心中・恋の大和路」で痛感したのは、なんと自由で自在で、闊達な演技であることか、ということだった。台詞回し一つとっても、ゆっくり噛みしめるところと早く畳みかける部分との強いコントラストの鮮やかさ。伝統に根差したような様式美を思わせるしぐさや足の運びが見事だと思ったら、別の場面では規矩を失って乱れた様子となる。のどをきつく絞った声と呵々とした笑い声に通じるようなおおらかな声。おどける部分は思いっきりおどけて見せ、だからこそそこに悲哀が見える。男の前で少女のようにとことん可愛く振る舞い、やがてその幼さが運命をシンプルな一直線に収斂させてしまい、二人の運命を白い雪の中に消してしまうことになる。男が友人を救おうとして打った一芝居での悲しい酔態は凄絶なほどに残酷だ。それに怒った男の狂気に近い高い笑いが覗かせる運命という劇の深さ。自分以外のものに魅入られてしまった男が発するいくつもの声音のすさまじさ。死出の旅にありながら「不思議なほど、心ははずんでいるんです」と微笑む女はあくまでも愛らしく、かえって運命の残酷さを思わせる。そして最後に八右衛門を見る忠兵衛の目、口元、伸び上がる背が、万感の思いを形にしたものだったのだ。

 ……このように、瀬戸内美八、若葉ひろみ、峰さを理、朝香じゅんらが繰り広げたのは、人が自らの運命を正面から受け止め、その故に運命に翻弄され、そこから生じる心の動乱を余すところなく描ききった近松の劇を、正面から受け止めて咀嚼するために、苦しみもがいた末の「劇そのもの」だったように見えた。彼女たちの演じた劇は、ある意味ではとてもわかりやすいものとなった。繰り返しになるかもしれないが、悲しむべきところは徹底的に悲しみ、喜ぶべきところは徹底的に喜び、くだけるところは思いっきりくだけ、怒るべきところは徹底的に怒る。自在に、つまり好きなように思うがままに振る舞っているように見えたのは、たとえば瀬戸内は忠兵衛その人になりきっていたから、何をどうしようが忠兵衛だったわけだ。そんな演技の振幅の大きさによって、劇が「劇的」と呼ばれるようなものそのものとして立ち現われることができたのだ。とすると、自在さを感じさせる舞台が少ないとぼくが思っているということは、残念なことに演じる者が役そのものになりきっていないからではないかと思われる。

 バウホールのシェイクスピアは、なかなか好調な滑り出しだった。「冬物語」のポスターを見て絶句した人も、春野寿美礼、瀬奈じゅんの迫真の熱演に驚きまた安心したのではないだろうか。「から騒ぎ」は初風緑・大空祐飛、星野瞳・叶千佳の絶妙なコンビに抱腹絶倒しながらも初風の濃さを堪能できた。「ロミオとジュリエット'99」は水夏希のシャープでクールな魅力と全編を通した透徹した美意識に酔うことができた。これらはいずれも、与えられたはずの役がいつしか演じる者に乗り移ったような、大げさにいえばシェイクスピアに憑かれたようなスリルがあった。

 そんな中で「十二夜」が物足りなかったのは、オーシーノーの大和悠河が狂言回しの役どころに回ってしまったからだ。ここで運命によって自らの恋いの心に煩悶するのは、オーシーノーに恋い焦がれながら男装のゆえにその思いを成就できないヴァイオラ(花瀬みずか)であり、オーシーノーから言い寄られながらヴァイオラに魅かれ、しかし受け入れられないオリヴィア(夏河ゆら)だった。夏河はもちろん達者なものだったが、いささかコメディに流れすぎた。花瀬にいたっては、令嬢が男装しているという美的スリルがなく(宝塚という枠組みの中ではしかたなかったのかもしれないが、そうだとしたら、男役にさせるべきだったかもしれない)、なぜオーシーノーに見向きもしないオリヴィアがヴァイオラに狂ってしまうのかを納得させるに至らなかった。数年前に見た「女たちの十二夜」でヴァイオラを青山雪菜がひじょうにチャーミングに演じていたのを、懐かしく思い出したりした。

 大和悠河に、こんな役をこんなふうに演じさせてはならない。この劇で大和はオリヴィアを恋慕し入れられず、男の外見をもったヴァイオラに異性として慕われているがそれを知らない、というちょっと滑稽な役どころだ。滑稽さについては、滑稽さが徹底していなかった。そして随所に男の真実を見せられる場面があったはずだ。オリヴィアに言い寄るのに受け入れられないというのは、確かにみっともない。しかし、「心中・恋の大和路」の瀬戸内が、情けない姿や滑稽な場面といった忠兵衛のみっともなさの中から、どれほど素晴らしい男の真情を見せ、「男」を上げたかを重ね合せれば、やはり大和自身が滑稽さを演じることに、そして演出家か誰かも大和に滑稽さを演じさせることに臆病だったといわざるを得ない。

 結果的に、大和は公爵として初めて観客に現われた場面でさえも、何者でもなかった。その場面に至るまでに、オーシーノーの登場を待ち焦がれているという劇を誰も用意することができなかった以上、やむを得ないことでもあり、いくぶんかは気の毒であったのかもしれない。

 この劇が面白くなかった大きな原因の一つに、誰がどのような位置で、どのような大きさを持っているのかという構図がはっきりしていなかったことが挙げられる。オーシーノーがなぜ主人公で、なぜそれを大和がやらなければいけなかったのかが見えなかった。ここではっきりしていたのは、紫城るいの可愛らしいアンポンタンぶり、穂波亜莉亜の愛らしさ、他はベテラン陣の奮闘ぐらいなもので、演出の木村信司はいったい外遊して何を見てきたのかと不思議に思うほかはなかった。シェイクスピア劇という骨格のしっかりした原作を元にしながら、劇の大枠となる構図を出演者に理解させることができず、つまり自分自身わかっていなかったということでは、演出家の看板を降ろしたほうがいい。

 わかってほしいのだが、ぼくは大和悠河という逸材が、本当に実力を発揮して、徹底的に自らを絞り尽くした魂からの舞台が見たいのだ。どんなに演出や構成が悪くても、一人大和がのたうちまわって恋をし、苦しみ、悩む姿を見ることができれば、きっと満足できる。大和はそれだけの華と魅力をもっている。歌が弱いことなんか、何の問題でもない。もう大和も子供ではないのだから、自分でそんな徹底ぶりを選び取っていかなければいけない。

 大和はおとなしい優等生であってはならない。与えられた殻を破り続けること、演出家の言うことを裏切り続けることができなければ、自分の殻を破ることもできないだろう。本当は、大和が現れれば空気が変わらなければいけない。大和が絶えず甘やかにぼくたちを裏切ってくれるようなスケールの大きなスターになるためには、こんな芝居をさせていてはならない。もっと鷹揚に、自在に、役を自分そのものとして、公演中はそれを生ききるような徹底的な没入をさせるほどの魅力的な芝居を用意しなければならない。

 瀬戸内や若葉、峰らが徹底的に役を生き、われを忘れて劇に没入した舞台を見、御崎の懸命な指揮ぶりを見て、ぼくは宝塚がアマチュアだのお嬢さんのお稽古事だなどというような批判を鼻で笑う気になっている。芝居というのは、たとえお嬢さん芸のつもりで入っても、それだけでは許してくれないような魔力をもっている。宝塚の生徒たちにだって、その魔手は及んでいて、それに捉えられた者だけが、ぼくたちに芝居という夢……夢魔を見せてくれる。


スポットが消えたあとで7 祭りのさなかに起きること−ノバ・ボサ・ノバとCrossroad

 あえて祝祭などと、文化人類学めいた言い方はするまい。祭りのさなかには、様々なことが起きる。それらの出来事を招き寄せるために、祭りというものはあるのかもしれない。神も来れば悪魔も来る。舞踏会も闘牛も祭りだといえば、「うたかたの恋」も「仮面のロマネスク」も「哀しみのコルドバ」も祭りが運命を決定づけた。「若き日の唄は忘れじ」の祭りの美しさは、誰もが記憶にとどめているだろう。

 伝説の名作「ノバ・ボサ・ノバ」は、改めて言うまでもないが三日間のカルナバルとその前後の出来事を描いている。一人の女が一人の男に引かれてしまい、怒った許嫁に誤って刺されて命を落とす。それだけのことが起きてしまう。カリオカたちはどこからともなくやって来て、どこへともなく去っていく。もし祭りのさなかに時間は止まっているとしても、人々はとどまってはいない。「祝祭日は移動し、見世物も移動し、それを楽しむ人々も移動する。移動の風景がいくえにも交錯し、すぎゆく過去と、受け入れる現在と、夢とともに迎える未来とで構成された移動する「人生」の諸相を、人々はそこに感知するのだ」(今福龍太『移動溶液』新書館)、と書き記した旅人がいるように、祭りは人生の時間の流れを濃縮している。

 実際、「ノバ・ボサ・ノバ」で中心となっているのはカリオカ(リオデジャネイロっ子)たちだ。八百屋舞台を左右に、斜めに横切り、流れ来ては去って行く。カリオカたちが現われ去ることで、時間が夢のように過ぎてしまったことを知る。三日間が劇場では三時間に凝縮されているが、さなかに踊る者たちにとっては、実際に数時間に感じられる三日間ではないか。それはドラマを生きる主役たちとは別の流れを持っているように見えるが、実のところ主役たちを包み、溶かし込んでうねる大きな本流であって、そこで誰かが他の誰かを好きになったり、恋を失ったりすることは、水面に跳ねる滴のようなものだ。カリオカたちが大きな群れとして過ぎ去ることで、個人のドラマは吸い取られ、押し流され、遠景に霞んでいく。起きてしまった事柄の結果……たとえばブリーザ(朝海、安蘭)がもういないということだけが残るのだが、それすら傷がやがてかさぶたとなり消えていくように、かすかな跡しか残さないだろう。オーロ(香寿)がラービオス(貴咲)に慰められる後ろ姿を見ていると、この翌日にカルナバルが終わったからには、何もなかったようにというわけではないにせよ、ちょっとかすり傷を追った程度の痛みだけを抱えて日常を生きていくのだな、と思う。それがまた群衆というものの強さであるのだし、そうでなければ三六〇日余の日常などを、生きていけるわけもない。

 カリオカと呼ばれる群衆をこれほどまでに美しく描いたというのは、一種の祈りと哀惜が込められていると思わざるを得ない。1971年という初演の時代を考えている。時代の興奮は去り、学生を中心とした青年たちに幻滅が広がっていった時代ではなかったか。群衆の力、何人かのヒーローたち、それらの消滅……。時代そのものが祭り(といっては割り切れないだろうが)の後のような空漠を抱えていたといえるのかもしれない。実際、それから数年後に大学に入ったぼくたちは、三無とか六無とかやさしさとか、とにかく欠如していることで一からげにされる世代となる。

 香寿たつきは、何をあんなに激しく嘆き歌っていたのか。それは一人の女を失ったという悲しみを超えて、人が時間の中で生き死にするという、どうにもしようがないことそのものを嘆いていたというほかはない。鴨川という男にどのような思いがあったかは知らないが、時代への悔恨を交えた哀惜がこめられていたに違いない。香寿がそれを感じさせた。そうでなければ、このように群衆を決定的に美しく描けない。主役たちが結果的にあまり目立たず、群衆に溶解していくのも、スターの交換可能性を意識した、一つの哲学に発したものだったのではなかったか。

 その鴨川も時間という限られた螺旋の中で、カリオカの一人のように凄烈なスピードで人生という舞台を駈け過ぎていった。もし鴨川が早逝せず、あるいはこれを継ぐ者がいたなら、たとえば一つに現在の宝塚の奇妙なスター偏重傾向は、かなり異なる形になっていたと、惜しまれてならない。誰もが数瞬はスターになれることと、誰もがどこにいてもスターでありうることを、同時に実現する、夢幻郷のようなショーだった。

 

 正塚晴彦のタンゴ・マオという存在が気になっていた。「そんな(抽象的な)<風景>のなかを歩む人は、だれもが群衆のなかの一人にすぎず、孤立した匿名・無名の存在、比喩的ないい方をすれば顔のない存在にすぎない」と、既に川崎賢子が指摘していた通り(本誌三号所収「<風景>の時代のスペクタクル、群衆の時代のエロティシズム」)、「二人だけが悪」でシルエットとしてほとんど姿を現わにせず、背景に溶け入るような存在だったのが、「ブエノスアイレスの風」ではやや姿を明確にした。展開するドラマの後ろでただ踊る男と女は、「エリザベート」の黒天使を換骨奪胎して、民衆の強さと美しさを見せている。「Crossroad」で踊り続ける、城華阿月を中心としたロマ(ジプシーの自称。「人間」の意)たちは、サンバやタンゴを踊り続けている人々に比べて、差別されている民族であるということで表現に哀愁の濃さが増している。この劇でクライマックスを彩る事件は、ロマの祭りのさなかに起きる。

 いくつかの軽率さとアクシデントによって、ということは運命によってということだが、アルフォンソ(和央ようか)、デュシャン(樹里咲穂)、ヘレナ(遠野あすか)は海沿いの街で身を潜めて暮らしている。以前はデュシャンが好きだったヘレナだが、今はアルフォンソに思いを寄せている。アルフォンソはその思いに答えられない。祭りの日、街角に花売りの屋台が出ている。ヘレナが駈け寄り、一本の花を「きれいよ」とアルフォンソに差し出す。ためらいがちにおずおずと「きれいだ」と答える。追い込まれた暮らしの中で、生まれて初めて花というものを見たような言い方である。もちろん初めてヘレナの姿が見えたということである。

 この少し前に「今も私のこと、嫌い?」と聞かれて、「いや、……どう答えていいか、わからない。……ジプシーの女しか、知らないから」とアルフォンソは言っていた。聖者の像をかついで海まで送るというジプシーの祭りのさなかに、一人の男が花を美しいと言い、そして次には「おまえが、嫌いじゃないよ」と言う。そして女は、彼らを追い詰めてきた男たちに撃たれる。彼女が持っていた花を手に、女を抱えて片膝ついて「嫌いじゃない」と繰り返す和央の、複雑で幼い美しさ。

 それは、祭りの昂揚が言わせたものだったのだろうか。長い逃避行ののち、デュシャンは持病の結核が悪化し、喀血して入院している。この少し前に「そろそろ死ぬよ。肚ん中のこと言っとかないとな。……悪かった」とデュシャンが自分のせいでこんなことになってしまったことを詫びるシーンがあった。ここでアルフォンソの「出会う理由があったんだよ。いつもすれ違ってばかりじゃ、やり切れないじゃないか」という名台詞が出る。このあと劇には、やっとやって来た古い恋人シモーン(久路あかり)にデュシャンが「シモーン、よく来たな」と全身で語りかける名シーンがあるが、アルフォンソはヘレナともう部屋を出ていて、過去を清算するために警察に自首すると告げている。

 死とか自首とか親許に帰るとか、要するに旅は終わったのだ。ロマたちもいつか放浪から定住へと暮らしを変えたように、アルフォンソの彷徨も終わる。そんな終わりをやさしく迎えてくれるような、ロマの祭りである。終わりを迎え、過去を清算しようとする思いが、男に思いを吐露させる昂揚につながったのだろう。後悔してばかりの歳月だ。逃げ続けてはいられない。すれ違うばかりじゃやりきれない。いつか運命というものを引き受けなければならないとすれば、それが旅の終わりということだ。

 ところが、正塚は簡単には旅を終わらせない。あるいは、アルフォンソが本質的に旅する者でしかないことを再確認させようとする。街に捨てられていたのをロマに拾われ、育てられたというその出自、ロマの村を出て街に出ようとする劇の幕開き、逃亡、投獄……と、アルフォンソはさすらう者、どこにも属せない者としてしか描かれていない。最後に仮出所した彼をヘレナが待ってくれていたのを見て、やっとぼくたちは彼の長い旅も本当に終わるのだろうと、安堵したのだ。

 旅という時間が祝祭的なものであることは、いうまでもない。旅も祭りも、凡庸な日常から突出する。そこで起きることは非日常の時間の中の出来事として、日常には持って帰らないものなのかもしれない。「ノバ・ボサ・ノバ」のカルナバルで展開された時間は、日常とは切れたものとして完結しており、ぼくたちはそれを持って帰る必要がないように思えた。鴨川は祭りのあとを描くことはしなかった。しかし「Crossroad」には旅の終わりが最後に提示されていたために、ぼくたちはそこから続く、旅ではないものの始まりを持って帰らなければならない。「二人だけが悪」でアリシア(白城あやか)が「その次も、その次も」と繰り返して、劇の後に続く時間が余韻されたように、アルフォンソとヘレナのこれからの幸せで凡庸な日々について、ぼくたちは少し心配になる。

 祭りのさなかに起きたことが、祭りの後の時間をどのように決定づけるのか。ぼくたちは本当には聖なる時間など持てないから、祭りの後にさなかの出来事を必ずずるずるとひきずってしまう。現代という時代は、ハレとケの境界が不分明で、祭りが拡散しているといえるのだろうが、自分の中に決定的な特別な時間を持ってしまった者だけが、本当の意味での祭りのあとを生きることになる。祭りのあとを生きていることを自らに刻印している男を、どうも正塚は好んで描くようだ。これはなかなか一筋縄ではいかない美学だ。祭りのさなかを全開で踊り続けるカリオカを、特有の哀惜に浸して描いたショーと併せて、同時期にこのような二つの素晴らしい作品に接することができたことは、大きな喜びだった。この二つの作品には、堅固で明確な美学が流れていた。そしてやむを得ないことだろうが、美学を保つためには、失わなければならないものも多い。そのような断念が劇に濃い暮色を与えた。真昼の太陽の下のカルナバルやロマの祭りにさえ漂う暮色に、深く深く陶酔した。 


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 上念省三